野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(12)質問に答えて 

いつも思うことなのですが、野口晴哉氏による整体操法の口述記録は、野口氏のリアルさを体験できる貴重な資料です。そこには、氏の語録や全生訓などとは趣の異なる、生身の息づかいが感じられる。その語り、そのことばの持つ射程は、語られている野口氏の<今>を表現している。なによりも氏の感情が脈打っている。永沢哲氏が『野生の哲学』で形容していた<天使>といったようなものは、少しも感じることは出来ない。ごく普通の、といっていいような人間的眼差しや、私たちにもなじみのある苦悩と同質のものしか感じられない。だからこそ、魅力的なのだと思う。野口氏をあまりに性急に<天才>呼ばわりしたり、<超人>扱いしたりすることは、野口氏自身が最も嫌うことではなかったか。これら口述記録は、そういうことを私たちに伝えてくれているのだと思う。整体操法の思想や技術が、卓越したものであり、誰によっても首尾よくそこに到達できるものではないとしても、それは異次元の世界ではなく、われわれと陸続きの世界であり、きわめて人間的な世界のことがらである。そういう<読み方>、<愉しみ方>が大事なのだと、しみじみ思います。

 

整体操法高等講座」(12)(1967.7.25)

 

質 問:「頸椎ムチウチの時、C6、7、D1,2に異常が来た時、頸が腫れてきますが、どうしても後までたびたび腫れてきます。その調整法をお教えください」

野口氏:「要するにその異常が治っていないのです。だからたびたび腫れてくる。・・・そこで頸椎を治すという問題、C6,7、D1,2の調節の方法をまず会得しなくてはならない。

・・・頸は60度しか動かないのに、70度あるいはそれ以上前後すると、C6.7の位置が動くほかに椎骨自体が毀れる。追突された速度によって毀れ方は違います。なかには、髄体が飛び出しヘルニア症状を呈するものもある。ムチウチ症状の多くはヘルニアを起こして髄体がでて引っ込まない状態。たんに頸椎の位置異常というのではない。

位置異常というのは16キロから20キロの速度で追突された時に起こる。40キロ以上だと椎骨自体を毀す。同時にヘルニアも起こす。頸椎にひびがはいったり、頸椎の中の神経を押しつぶすような状態を起こす。

だから、頸椎の位置異常を治しても腫れるというのは、神経の圧迫や、切断、あるいはそのなかのリンパとか血管がつぶれた状態になっている。

リンパや血管といった体液的な流れを阻害されてしまった場合は、腫れが何度でも起きる。そういう状態で位置異常を正しても、一旦腫れが引いても、また位置が狂ってくる。位置を保つ力がなくなっているのです。時間が経過するほどに、自分で回復する力がなくなる傾向が強くなるのです。そして頸にコルセットをはめたとか、骨の位置を他動的に整えたとかいうような場合には自分で治るという傾向が鈍くなっていく。・・・

痛くなって、苦しくなって、その最高点になったという時にはあまり何もしないで治ってしまう。そういう時期にちょっといじる。だから手際よく治るのです。

何でもないうちにせっせとやると、やるたびに痛くなって痺れてきて、後遺症的な症状が多くなるんです。だから、よそでいじくってきたものは、一応何もしない時間をおいて、そして痛みがひどくなってから手をつける。そうするととても楽なんです。いじらないでほおっておけば、悪くなるよりは、回復的な動きが起こるのです。

ところが、そういう過敏な状態を、悪くなった状態と考えて、それを何とかしようとする為に、いろいろな治療法が行われております。だから回復し出しても、また鈍くなってしまう。固定して動きを悪くしてしまう。そういうふうにして、何かしていくうちに、次の<萎縮>が生じてくる。頸がいきなり縮んでくる。こうなると鈍り出しで、動きの幅も狭くなる。痛みはないが動かなくなる、という状態が起こってくる。・・・

痛いとか痺れるとかいうことを除こうという為だけにやっているからそうなってしまう。・・・そういう過敏症状は<回復の経路>だと、それをなくすように操法しようと思うことは逆効果なのだと、むしろそれを亢めるように操法して、それをなくしていくことが望ましい。

こういう<回復の経路>というのは頸に限らない。たとえばD6が曲がれば、その影響は胃袋にも現れ、十二指腸にも出てくるというように、D6の変動は消化器を中心に、あっちこっちに出て参ります。感情も過敏になり、しょっちゅう片腹立ちしているという状態が起こっております。そういう場合に、D6を治せばそれらも治る。

このことは、胃腸病だからD6を治すのだ、と思いがちだが、本当のところは、そういう症状が<D6番症状>だ、ということなのです。

手が痺れる、指が痺れる、頭がクラクラする、頭痛がする、どうしても落ち着けないといった症状は<D6番症状>とでも言うべきもので、胃潰瘍だ、胃酸過多だといろいろ名前をつけているだけのことで、それは脊椎の異常状態だと考えるのが本当だと思うのです。

昔私たちは、「整体操法読本」という本を出しました。そこでは、病気を治す為には、<硬結>だけをを見るのではなくて、骨が曲がり硬直した影響から、いろいろな症状がでる、そういう変動を見ていくのだということを、<硬結>を中心にして説明して書いたのです。

最近は、腰椎ヘルニアやムチウチ症などを通して、西洋医学でもこういう考え方がぼつぼつ起こってきたわけですが、いかんせん治す経験がない為に、症状を治すことばかり考えてしまって、<頸自体の力を回復する>という問題に行かない。

胃が痛いと言えば痛みを止める薬を、縮んだといえば引っ張り伸ばしてコルセットを、というように、我々で言えば初等の人が考えるようなことになっている。

われわれは治す経験を重ねてきているので、頸が右に曲がったという人を見ても、単純に右から押せばいいなどとは考えない。体力のある人だったら、右に曲がった骨を、左からもっと右に曲がるように押すと、元に戻ってくる。右に曲がっているのを左に押すとかえって戻らないということがあるし、体力のない人には、左に押さえないと治らない。しかし、左に押して戻ったという場合には、また右に曲がってきてしまう。

やはり、右へ押しながら戻すというように治っていくように仕向けなければならない、ということを段々知っていって、そして整体操法を作り上げてきています。

 

曲がったから無理に戻す、折れたら真っ直ぐにして棒やギブスで固定する。そんなのは小学生の算術のようなもので、<人間の体の特性>を活かすというやり方とは言えません。われわれはそういう段階を卒業して、<体の特性を活かして治していく>、特性を利用していく。そのために、痛くなるとか痺れるという状態が強くなる時機を経過させることが必要であるという認識に立って、その時機に、もっと痛くなる方向、もっと痺れてくる方向に一旦誘導し、それから調整していくということを考える段階に至っているのです。

痛いことそのもの、痺れることそのものを利用していく。われわれは、経験から、技術で無理矢理治したものは<保たない>、その人の体の力で治らない限り<保たない>ということをよく知っています。だから、<相手の体の力をどう呼び起こすか>というところに主力を置くようになった訳です。

 

ところが、ご質問の「異常が出た時頸が腫れてきます・・・」というのをみると、腫れることが、相手の自己調整の一つの経路である、回復過程である、ということに気がついていない。今言った現代医学的なというか、あるいは操法の初等講座以前のレベルというそれでご質問されている。

腫れるということは体の回復的な手段であって、腫れるということがなければ、骨の異常は治って参りません。位置が狂っているから腫れると考えているが、それではいくら位置を治しても、腫れるということはなくなりません。位置を治すと腫れはひどくなります。腫れは、多く腫れるほど、椎骨異常は自分の力で治っていきます。だから腫れを治す方法などという事を考えてはいけないわけです。

操法が上手に行われますと、一旦ドッと腫れます。腫れてる間は、後遺症的な症状は激しくなります。その激しくなる状態を経過することで、神経なりリンパ腺なりの異常が回復してくる、回復の方向に向かっていくのだと考えるべきであります。

幸いなことに、他の異常と違って、つまりある異常を起こすような体の状態になってそういう異常が起こったというのではなくて、臨時に車の衝突やそれに類似した頭のショックといったもので何でもない体に生じたわけですから、回復力は鈍ってはいない

のですから、回復できる可能性がある。

追突されて70度曲がっても、何ともない頸もあれば、すぐ毀れる頸もある。十二種とか八種は感じません。上下や、十一種はちょっとぶつかっただけでも頸に変動を感じる。感受性が過敏になる傾向のある人は、ムチウチ症の話を聞くと、たちまちそういう症状を起こしてくる。頸に異常がないのにそういう症状を呈してくる。こういう場合は、また別個の技術を用いないとそれが治らない。

人間はどういう症状でも作れる力を持っているのです。

ヘルニアというとC6、C7だと考えるのですが、架空に作り出したヘルニア症状というのは、C2、C3の変動によって、同じような症状が現れるのです。だからそこを調整すればなくなる。

八種や十二種の体が鈍い傾向の人、ときに六種もありますが、そういう人は、感じていないだけで、少し時間が経ってくると、突然頸が曲がって来たり、脱肛したり、急に耳が聞こえなくなったり、鼻が臭わなくなったり、視力が突然なくなったりというように、三カ月ほどしてそういう変化を起こします。だから異常はあるのです。

そういう場合、私はC4を調べます。そこに異常があれば、三カ月ぐらいするとそういう症状を起こす。そこでそういう症状が起こったときにC4を治すとそれが治ってくる。

症状が起こっていないうちにC4を治しても、一時的に曲がりが治るけれど、また繰り返します。だからそういう症状は、回復時期の行程だといえる。その時機が操法の急所である、と考えるべきである。

症状がある時を機会に調節する。・・・腫れたらその時に処置を行なえばいい。

調節方法は、C2、C3の場合、C4、5の場合、C6、C7の場合があります。

C2、3は狂っていなくても狂った徴候を感じる。C4、5はずっと後にならないとその狂いを感じない。C6,7は普通のムチウチ症状といわれる後遺症を残す、そういう異常感を感じ出す。

一番多いのはC6、7の場合で、それを調節すると腫れてきます。腫れるのは中に傷があった場合です。位置異常だけの場合は腫れずに、大抵そのまま治ってしまいます。

ところが位置異常だけでも、コルセットをはめたりしていると毀すらしく、そういう人達は一応腫れますから、そういう人は時間をおいて、何もしないで、腫れた時にやると楽です。腫れた時機に着手する。痛みが激しい、指が激しく痺れるという症状の濃い時にスタートする。

スタートする時には、四番組か二番組かを確認してスタートする。そうでなければ六番組なんです。

四番組は、まだそれだけではスタートしにくい。二番組はそういう異常の有無にかかわらず別個の角度でスタートしなければならない。

症状が同じだからといって、二番と四番と六番とでは違う。特に、二番と六番は混同しやすいのです。それは長い間二番症状を続けていますと、六番も曲がってくるのです。六番に異常があるからここだとやっていると、六番も曲がってくる。二番、六番が曲がってっている人がよくあります。そういうのは調節するといよいよこういう徴候がを激しく感じます。そういう場合は六番を直接調節しないで、二番を調節しるというのがその要点です。

四番、六番が曲がっている場合は、四番が変動を起こした時に六番を治すというのがその要点です。 

 圧倒的に多いのは六番の狂いですから、六番の狂いの治し方を一応練習で覚えておいて頂きましょう。

手が痺れているものは、手の力を利用すると治りやすい。これは扁桃腺を治す手の引っ張り方ですが、手を持って今の角度に引っ張る。そしてうまくC6が変わればD2が下がってくるんです。D2とD3がくっつくわけです。その二番を上に持ち上げます。あるいは場合によっては、D1が下がっている場合もあります。D1かD2の下がっている方を上げる。それが割に簡単な方法です。

 

実演

坐姿。

ちょっと二宮さん来てください。二番ですね。六番が右下に行っていますね。右の手を持つ、捻るように持つ。そして六番をみていると力が右に来ます。右へ来る位置に持ってきて後ろに少し廻す。そこでポッと引っ張る。ただ子供の頸と違って、筋肉が硬直しています。その前に、六番、七番をよく押さえ、調節し、愉気しておいてやるのが順序です。今の要領で、一応六番の調節方法を覚えて頂きましょう。狂ってなくとも捻ると六番が動きますから、どうぞお互いにやりあってみて下さい。動いてきて一番多く動いた角度のところで引っ張ればいいのです。

引っ張るのは、相手が息を吐き切った時に、ちょっと引っ張ればいいのです。呼吸を無視すると全然だめです。やってみると、相手の体が一緒に来た場合は駄目なんです。腕にだけ来て、体にはあまり響かないという時はうまく治ったときです。これはあまり上手にやると毀しますから真似事にしてください。

これで六番を治す為には、あらかじめ上肢第七調律点を二、三回上げておいてください。そうすると楽に六番が調節されます。

今、練習の前にそれを説明しなかったのは、毀される恐れがあるのでやめたのです。

七番を治すには、鎖骨を持って上に引っ張り上げます。あるいは鎖骨の腕に響く処にじいーっと愉気して、鎖骨を上げるように何回か操法を致しますと、それから今の方法をやりますと、同じやり方で七番が調節されます。

肩甲骨はがしの操法をしてmそれから同じようにして指の当てる場所を下にしてやれば、一番を治します。D2の場合は、D1と同じように、はじめ操法して角度を上にとって、後ろに引きます。肩甲骨の間の胸椎というのは、腕を使うと割に楽に矯正が出来ます。

ともかく、ムチウチ症は今後多くなると思いますので、どうぞお覚えになって、ただムチウチ症だからやってみるというやりかたではなくて、どういう性質の自覚症状か、二番、四番か六番か、それを確かめておやりになって下さい。

 

質 問:「昨夕、七十九歳の母が畳の上で転び、右手人差指と中指を曲げたと申します。短くなっておりました。突き指か捻挫でしょうか。処置をお教えください。私は、L5と仙椎を操法して、お腹に愉気、足指に愉気をしました。十時ごろになって内出血して、今朝は大分それも引いて、楽になったそうです。」

野口氏:「大体判らない処は愉気と、こういけばよろしゅうございます。老人の場合には骨を折ったりするとなかなかつながりません。だから愉気が一番いいと思いますが、内出血している場合には翌日になって拡がります。翌日になって拡がれば、吸収されやすくなるのです。

指が短くなっているというから、関節が食い込んでしまっている。何番目の関節かを調べると、そこは腫れていますから、すぐに判ります。腫れている指をつかまえて、裏側を引っ張っている状態でやればすぐに動いてきます。そしてはまります。裏側を引っ張らないと、いくら引っ張っても出てこないのです。

そういうので古くなったものは、その関節よりもっと根元の関節一つ先の関節を押さえると、硬直しております。そこをよく愉気してからやると、わりに簡単に変わっていきます。子どもなどは調べなくても、急に引っ張れば大抵治ってしまいます。

要領は、下を引っ張る。ただ、手首を毀した時は大変で、この場合人差指だから簡単だと思うのですが、一般的に細かい処ほど治しにくいのです。やり難いのです。ただ、その影響は、手首なら生殖器に影響するくらいのものですけれども、人差指だと

喉から腎臓から、みな影響します。影響の度合いというのは、先にいくほど激しくなるのです。特に老人の場合の人差指が短くなったというような場合には、腎臓に関連がありますから、先になって健康生活に相当影響があると思います。ですから人差指によく愉気をすると一緒に、D10番と腰の両側に愉気をして、腎臓機能が正常な状態を保つように準備した方がよろしいと思います。」

 

質 問:「汗の内攻現象とその処理についてお教えください」

野口氏:「冷たい風で汗が引っ込みますと、一番多いのは下痢です。それから神経痛、時にリュウマチ、それから急な腹痛がおこることがあります。肋間神経痛、坐骨神経痛、それから腰や足という順になります。それから風邪(喉、気管)、体が重い、だるい、それらはみな汗の変化です。風邪で咳になる事がありますが、共通して痰が濃くなる。

体癖によっていろいろな現象を起こします。

下痢は汗が腸から出るだけで、それは下痢じゃなくて大便が汗混じりで出ただけですから、それはそのままで一向構わない。変に病気扱いすると、病気になる。いろいろ処置をしますと、そのまま続くようになります。

内攻した汗が、下痢にならない場合は、体が強張って、立ち眩みや動機といった心臓現象を起こします。人によっては、心筋梗塞で死ぬこともございます。

冷房から出た時、冷房に入った時によくやられます。冷房病といわれるものは、我々から言うと、坐骨が縮んできている状態なのです。ぉれを伸ばすと治って参ります。内攻したために下痢をした場合でも、もう一回汗を誘導すればいい。D5番が発汗の中枢です。D5を刺戟しておいて、足をちょっと伸ばせばいい。

肋間神経痛は痛みの根元を押さえればいい。リュウマチの痛みもその根元の筋肉を押さえれば止まります。 腹痛も、足の第二指と第三指の間を押さえるか、そのお腹の痛いところの根元を押さえれば止まります。ただ、痛みが止まっただけでは駄目で、汗がもう一回出るようにしなければいけない。

汗が内攻していると、生殖器に異常がないのに、堅田活点に硬結が生じます。

急性病の場合の多くは、汗の内攻と関連がありますが、特別鈍い人は背骨を操法し、あるいは頭部第四を操法しなければなりませんが、大抵はD5をショックして足を伸ばすだけでみな汗が出てきます。

 踵で大股に二十歩ほど歩くという方法も、汗を誘導します。

夏の変動というのは、そういう汗の内攻によるのではないかと、一応考えてみる。汗はどんどん出したほうが良い。汗を出さない工夫は、体に悪い。汗の内攻による神経痛でもリュウマチでも痛いところに汗が出てくると治る。

腰の汗を引っ込めてしまうと、腰が鈍くなって、異常感がなくなってしまう。そしてただ体が重くだるくなる。体のどこかがむくんでくる。そういうことから腎臓病になってくる人もいますが、汗をドカッと出すと、それっきり治ってしまう。

汗の内攻により、インポテントや月経痛になることもある。」

 

質 問:「アキレス腱を切った場合の処置についてお教えください。」

野口氏:「アキレス腱は切ると繋がらないのです。縮んでしまうのです。D11を刺戟するとそれが伸びてきます。そこで愉気をします。そうすると大抵の人はつながります。最初の愉気が大事です。とにかくじゃんじゃん、じゃんじゃん愉気をする。愉気する人を交代してでもいいので、愉気をし続ける。

漢方の<経絡>を万能のように考えて、<経絡>を頼って治そうとする人がいますが、私も昔、<経絡>とか<神経系統>に沿って治療技術を用いるというようなことをキチンとやってきたのですが、やってきて駄目な面が多かったのです。たしかに活用できる面や、利用できる面もあるのですが、それを万能として信じ込むことはおかしいのです。こうした傾向は中山氏の『漢方医学の復興』という本の魅力によるもので、それでうまく勿体がついちゃったのだと思うのです。かといって、漢方を否定して、生理解剖学による神経系統や筋肉の構造を用いればいいのかといえば、それでは出来ない。

十五、六年前に整体操法の本を作る際に、調律点を図示するとき、その調律点の場所のちょっとずらした場所が神経の急所と一致するのだから、そっちへ変えてくれと頼まれましたが、実際に効く場所でなければ意味がないのでそうしなかった。神経の急所とは違うのです。

私は、はじめは神経系統の知識をいろいろ研究し、工夫してきました。<経絡>の研究もして来ました。当時私は心理療法をやっていたので、整体操法委員会の委員長になってからそういう研究をやりだしたのです。ところが集まった十数人の手技療術専門の委員の知識はといえば、彼らの知識を全部集めても、私の十分の一もないのです。私はそれくらいせっせと知識を集めました。「ああ、みんな知っていないのだな」と思いました。・・・手技療術の面だけでいっても、他の人の勉強態度と比べると、私は大分熱心にやりました。神経系統の問題も、<経絡>の問題も、実に細かく研究しました。

しかし、その結果、そういう知識を全部捨てて、<体の動き>を自分で確かめていこうと決心しました。なぜかと言うと、そういう知識によってでは、効いたり効かなかったりするからです。人によってそれが違うのです。

効くときは気分がいいものですが、効かなかったら実に体裁が悪くてしようがない。それで、一人ひとりの個性をはっきりさせることが先決で、一人ひとりの急所をつかまえることが大事だと、そう考えた。だから、直接、相手に手で触って確かめる、という方法をとりだしたのです。

いまでも私は、それを自分の楽しみとしてやっております。・・・人の体を丁寧に見ていくことは、やはり楽しいのです。変化をみていくことは楽しいんです。

知識や先入観があると、相手の状態が見えなくなってしまうことがある。寝小便や、屁の問題が、相手にとって死活問題になることだってあるのに、解剖学の知識や、漢方の<経絡>の知識に捉われてしまっていると、なぜそれがその人の死活問題にまでなるのかの見当つかない。常識で考えればすぐに判ることも、それらの知識に偏してしまうと時にそれが素直に見えなくなる。

 失恋した人をみて、顔色が良くない、食欲がない、だから<経絡>のどこどこが閊えている、頸椎のどこどこが故障だ、なんていうことになってしまうことだってある。

 

先入観を持つという事は危険なことで、私はそういう先入観を捨てました。素直に相手の体の動きだけを見るようにしてきました。そうなるためには、随分骨を折りましたけれども。

相手の調節も、<体運動を正常に戻す>という一点に絞って一切を処置してきました。それが今日の整体操法です。

こういう病気の為にここを治す、なんていうのは嘘です。確かにD6が曲がればその影響で胃袋がわるくなったり、大便が固まらなくなったりはします。D7が悪くなれば、白血球の数が少なくなったり、多くなったり、あるいは糖尿病を起こしたりという症状はあるけれども、病気の為にそういう変化を起こすわけではない。やはり、<運動系の異常>とみて、処理をする方が本当と思われる。

それで私はそういう考え、立場に立てるところまで、<運動系の変化>を見て、<経絡>とかいう過去の迷信や古い知識、あるいは人間が得てきた知識というものを捨てるようにしてきたのです。

<運動系>を見るというのは、人間の裡にある<原始の力>、あるいは<生命>というものを見るという事です。・・・<原始の力>が一番本当で、生きるのも、成長するのも、繁殖するのも、そういう<原始の力>で、それ以外のものではどうにもなるものではない。その<原始の力>だけ見て、そして<要求と運動>、<運動と潜在意識>そして<体の構造>をじっと見て、ぐるぐる動かしていって、<変化>を見ていくことをやってくるようになったのです。

 それが今日の整体操法です。

整体操法は、解剖学的な構造に入っての問題、たとえばここに胃袋があるとか、腸があるとかいう問題から、神経系統の問題とか、漢方の<経絡>の問題とかいうものをすべて捨ててしまって、ただ<見える処の動きだけを見る>ということおこない、その<見える処の悪い処>だけを調節する、ということだけをやって参りました。

それは見ようによっては、非常に非進化的なやりかたと映るでしょう。「これは解剖学的構造によってそうなっている」とか、「<経絡>によればそうなっている」とか、いろいろな説明を勿体をつけながらすることはできるでしょうが、いざ実際に技術を運用してみると、それらの説明や、それらの知識が先入観となってしまい、てんでおかしな結果を引き寄せてしまいかねないのです。

過去の知識にしばられると、先入観が働いて、見えるものも見えなくなることが起こるのです。それだけでは、過去に行われたこと以上のことは出来ませんし、過去の専門家を超えることも出来ません。同じ出発点では駄目なんです。

そこで私たちは、<運動の失調状態を正常に戻す>という、これまで誰もやってこなかったことをやり始めたわけです。そして実際にやってみると、今まで治らないとされていたものが治ったり、それまで出来なかったことが出来るようになった。

 

鍼灸がドイツに渡って、有名になったというが、たとえば脳溢血は昔から難病だったし、今でもそれは変わらない。いくら<経絡>の論理で針を打っても、治すことが出来るのは稀である。それ以外の病気についても、みな同じようなもので、<神経衰弱>ひとつ治せない。

最近よくいわれるヘルニアも、昔は<仙気>と言われていましたが、これも難病の一つとして、うまく治らないものでした。ただ、たまたまこの<仙気>が生殖器の異常と関係があるということで、仙椎部に針を打つと治る。しかし、それ以外の場合には治らない。今も昔も治らないんです。

そういうように、<経絡>理論というような過去のものを再び持ち出そうとしてみても、何も始まらないのです。

やる以上は、<新しい原理>をつかまえ出してやらなければならない。

私は、そういう<新しい原理で見る>ということをやり出してからは、人間の体の動きや変化を見ることが楽しくなってきて、丁寧に、綿密に、細かく見ることが出来るようになってきました。

 

私は手足根本療法という<経絡>治療をやっている柴田和道君に、「経絡は捨てろ、そんなものがあるから全体が読めないんだ。足の親指が狂っているから経絡によって肝臓が悪い、などというこじつけは止めろ。」と言いました。そして「親指が狂っている人の中に肝臓が悪い人が何人いるのか、小指の狂っている人の場合に何人肝臓が悪い人がいるのか、というように確かめていけばいい。実際に足の親指の狂った人が多ければ、その親指の運動状況、足親指に体重がかかる時の姿勢と肝臓の異常とにどういう関係があるのか、それを調べていけばいい。そうすれば<経絡>よりももっと多くのことが、足の指の研究につながるはずだ」と言った。

ところが彼は、「それじゃあ講習の内容が難しくなってしようがない。やはり<経絡>を説いて、その関係があるからこうやるのだ、と言えば人は信じる。」と。

これでは目先の商売の為に真理を見失っているということになる。せっかくの<真理>を得る機会を失ってしまっている。だから彼は早く死んだし、そしてとうとう本当の事を究め得なかったんです。そういう先入主があった、あれは惜しいと思う。

野中豪策君はそれに対して、先入主を全然持たないで、直接研究していた。それまで誰も体の中心部分を恥骨を押してで治すということを考えたことがない、しかし前歯の痛い時に恥骨を押さえると止まる、喉の悪い時に恥骨を押さえると声が出てくる、恥骨を押さえると皮膚病が治る、これらのことは皆さんも経験済みのことと思いますが、生理解剖や<経絡>を研究していたら、こんなことは出来やしません。

そういう点で、私は柴田君より野中君の方を百倍ほど高く買っております。それは人間を見ることにおいて優れており、独特の視点で見ていた。

後で知ったのですが、柴田君の師匠は漢方の<経絡>をやっている人だったということで、一度身につけたものを捨てるということが、いかに難しいものであるかがわかる。  私はどうやらそういうものを捨てることが出来たので、割に素直に<体の動き>を見ることが出来るようになった。

まあ、そんなこんなで、余分な知識で体を見るということは警戒すべきことなのです。知識を得ることが悪いという事ではない、悪いという場合があるということです。

 

(終)

 

 

「整体操法高等講座」を読む(11) 腸骨操法

野口氏は前回の高等講座の後半部分で、なぜ<腸骨>の変動に興味を持って観察してきたのかという理由を、次のような興味深い言い方で語っています。以下に引用しますが、こういう氏の語り口に、野口整体法の本質が垣間見られるような気がしますし、こういう講座だからこそ初めてこういう言葉に出会えるのではないかと、ぞくぞくしてくるのを感じます。

 

「更年期はいろんな悪い病気が沢山出る。そういう場合に(腸骨を)上げていくと病気が育っていく。下げるとなくなってくる。癌なんていうのは化月操法(腸骨を下げる)をするとなくなってくる。そして治りきるまで(腸骨を下げたままで)上げなければ治ってしまう。途中で上げるとまた異常が拡がってくる。だからそういう病気を調節する場合には上げることを急いではいけないということですが、化月操法をすると(病気の)回復が早くなってくる。そういうわけで回春も化月もともに操法としては必要な方法ですが、ただそういう特殊な場合を除けば、(腸骨が)下がっていれば老人になり、逆に上がっていくのは若くなっていくことですから、どっちかというと体を若くするように腸骨を上げるように操法の目標を定めるということは必要だと思います。」

「腸骨の動きはみな生殖器の問題に関連して参ります。分娩出産の問題に我々が口を出すのも、生殖器と骨盤(腸骨)との関連を知ろうとする興味の一つの現れであって、楽にお産をさせてあげようとか、良い子どもをつくるようにしてあげようとかいう親切の為ではないのであります、私は。ただ面白いんです。

分娩後の骨盤の変化、分娩前の骨盤の変化が、妊娠を通していろいろ変わっていく。変わりながら分娩の後それがずっと元に復っていく。そういうもどる過程で、妊娠から分娩するまでの経過、変動と同じことを、一気に(腸骨が)おこなうのです。分娩後二、三週間のうちに。

骨盤が分娩前に戻るのには、大体六週間かかりますが、そういう骨盤の収縮の変化速度の度合いによって、その変化がどのあたりのものかを判断できる。

だから、妊娠初期の頃から見ている人は、そういう変化をみることが興味深いのです。途中からの人はそういう一連の変化が比較して見えないので一向に面白くないのです。

私は、回復してい過程というもの、<回復の経路>というものが非常に面白くて、しかもその人の<体のリズム>や<体癖>を知るうえで非常に参考になる事が多いので、まあ親切な顔はしておりますけれども、実はそういう興味なんです。

 <回復の経過>という人間の体の動き、<体の波>、特に腸骨の回復の動き、腸骨のいろいろの動きというものが、妊娠・分娩時が一番よくわかる。結婚した場合からの(腸骨の)変化をみていると、もっと細かな動きがわかる。」

「L3、L4、L5、とくにL4と腸骨は私の興味の一番深い処で、それらを通すと、体全体の回復や、その体の滅びる時や、その体の動きが読めるのです。」

 

これら野口氏の一連のことばには、身体の変化を<愉しむ>ということの深い実感が込められています。人間の意識による注意・集注によってもたらされる素晴らしい贈り物がどのようなものであるのかを、われわれは野口氏のこれらのことばから知ることが出来る。

興味に導かれ、好奇心の赴くまゝに<意識>を対象に注ぎ込むと、<対象>はそれまで秘匿したままであった自らの肌理や表情を次第に露わにして立ち顕れてくる。これは人間が持つ極めて恵まれた特質といえるものであって、そうした資質を発揮した時、われわれは何ものにも変えがたい歓びを感じるものであるということが、とてもよく伝わってくる。

このことは、言いかえれば、人間というものは、<好奇心>に支えられてはじめて活き活きと生きられるということであり、<好奇心>こそは<生命>の躍動する状態であって、ひとたび<好奇心>というものを失ってしまえば、たちどころに<生命>を枯渇させてしまうということになるだろう。事実、野口氏は自らが好奇心を失うことを恐れるようなことばを、しばしば口にされます。今回の講義録から引用してみます。

 

「何十年もやってきて、相手の体の変化を読むことにかなり巧妙になってきたと自負しておりますが、人間が滅びる(死ぬ)時にはみな(腸骨が)下がってきます。(しかし観察によれば相手がまだ)滅びる時ではない、と見た時には、相手に多少の変動を覚悟してもらえるはずだというつもりになってきます。そこで(こちらも相手の)変動を覚悟して、大きいショックを与えます。ところが相手はその変動に耐えられないということが、時々生じます。相手の体にはそれに耐えられるだけの体力があるはずなのに、そのショックによる変動に精神的に耐えられなくなる人がいるのです。(それはこちらの誤算とも言える。)

ところが私は、体の変動をよく見ているという自負もあって、相手のそういう心理的な面を重視しないで、つい体の方ばかりに重きを置いて、一気に(操法に)乗り出してしまうということがあるのです。

私がやってしまう<失敗>というのは、そういうものです。相手の心の変動ということよりも、相手の体の方に力を、重点を置きすぎてしまう。私が<成功>するという場合も、同じ理由によっています。たとえ当人がヘナヘナの状態でも、その体にこういう力があると見れば、断固としてその体の力で引っ張っていく。そうすると相手は不安を持ちながらもついてきて、こちらが思ったとおりに良くなっていき、最後は相手もわかってきて安心する。相手の心よりも体を重視した結果の<成功>というわけです。

こういうように、時に<失敗>したり、時に<成功>したりしながらやっているから面白いといえるのですが、これがやがて百発百中で<成功>するようになって、それが当たり前になってしまったら、少しも面白くない。やがてそうなるだろうと思いますが、そうなってしまったら、それは私の整体指導をやめる時期だと思うのです。

最近は、これは成功したとか、これは失敗したとか思うことが少なくなりました。<それは当たり前だ>、<それはそういう経過だからこうなるのだ>というだけで、あまり激しく喜んだり、ひどくがっかりするということもなくなってしまった。ここ何十年間

は、興味一杯で追いかけて参りましたが、いまは大抵のことが<これはあの時のと同じだ>、<これはこうなったからこうなのだ>と自分の中でわかってしまっている。だからちっとも面白くない。時々<成功>や<失敗>があるので楽しめるが、もう少し経つとそれもなくなって、私が飽きる時が来るだろうと思う。まあ、人間の体というもの、人間の体が変わるということは、他のものに比べれば飽きることが少ないものなので助かっているということは言えます。・・・」(第十回講義録、17-19)

 

整体操法高等講座」を読む 11 (1967.7.15)

 

実習(前回の省略部分)

「仰向けになって、両脚を曲げてそれを肩に向けて押していきます。脚が胸につかない場合、脚の膝蓋骨を押しておろします。膝蓋骨をおろすのは、L3を刺戟する方法です。腰が強張っていたり、立った状態から腰を曲げていって手が床につかない時は、腰を押さないで悪い方の膝蓋骨を押さえて下げます。悪い方の膝蓋骨が下がっていますので、それを上げるのではなくて、もう一つ下に下げるのです。何度もそれをやると、下がっている膝蓋骨が上がってくる。左右揃ったらやめる。

それをやると、曲げた脚が胸にくっつくようになる。これが第一の準備です。

それから<恥骨の角>の処を上に持ち上げるようにちょっと押さえます。それから膝を下げて愉気します。

そして膝が上がったら、相手の脚の両側にこちらの膝を入れます。そしてこちらの膝を開くようにして相手の脚を開きながら、同時に相手の両膝を胸の方に押していきます。

そしてぎゅうっと開いていって、放す。そしてもう一度開いて、放す。

ぎゅうっと押さえると、相手は息を止めます。その止めている時には、いくら放しても駄目で、息を止めきれなくなって、吐く、吐いてしまってから放しても駄目なんです。ちょっと吐きに移ろうとしたと時にポッと放すと決まります。それをやるには、相手の体の動きをサッと感じるようにならなければ出来ません。また、いっぱいにやらなければ効果がない。

次に、相手の両足を少し伸ばした状態で、足首を持って捻りながら引っ張って伸ばします。その後、相手の呼吸が元に戻るまで待ちます。

脚を捻って引っ張るというのも多少のコツがあります。息を吐かせてしまうと重いんです。吸ってしまってもいけない。吸って後の吐いてくる六分目か七分目のところだと軽く動くのです。それが出来ないと効果が出ない。

以上が骨盤を締める方法です。その逆に、骨盤を開く場合は、これより簡単で、相手をうつ伏せの状態にしてやります。」

 

「腸骨操法

「前回、腸骨の開閉の方法を説明しました。それは極めて弱い、できるかぎり自然に沿って骨盤を締める方法でした。技術的な面から言うと、スパッと効く操法を選ぶのはあまり上手でない場合です。上手な場合には、いつ治ったか判らないような技術を使うことが大事であります。出来れば何もしないに等しい技術で変わっていかなければならない。今の世の中は効く技術、効く薬、効く何々ということだけを主張して、効果のないことは見捨てますけれども、効果のないものを使ってこなす効果というものは、効果のあるものを使う以上に、体の実質的な力を高めるものです。ですから理想は何もしないにちかいことである。効果の余りないことである。そこで前回の操法も、月経の終わった後、始まる前、自然に開閉する時期に開閉の操法をする、体のそうなる時期に乗せて行なう。分娩の後に、腸骨の縮んでくるそれに乗せて行なう。そういうように自然の波に逆らわない、という行きかたの方法として、前回の二つの操法があったのです。

しかし、今日説明しようと思いますのは、相手の条件の如何にかかわらず、腸骨が締まってくる、少し強引な乱暴な方法であります。・・・

技術にも、一方で相手の体の自然に添ってそれを使うという、効果の緩慢な、高等の技術があり、これは体の修繕整理するための技術ですが、他方で、相手の条件にかかわらずコツさえ得れば、指で押したり放したりしてできる技術というものもあります。

体を実際に治す場合には、相手の体の自然にどこまでも沿っていくことが必要ですが、後者の場合の技術というのは、そういう意味ではまともなものとは言えない。熱が出るには出るだけの理由があるのであって、ただ下げればいいと言う訳にはいかない。

ただ、整体操法の技術として、強く効くという技術をあることは知っておいていい。知っていて使うことを避けるということはいいが、知らないで使えない、というのでは都合が悪いだろうというふうに思いますので、その説明をいたします。

具体的には、<急速に腸骨を開く方法>を説明します。

L4が毀れてヘルニアを起こす人の場合、それは腸骨の位置異常によるものと言える。その場合、L4を対象に腸骨を調整するということは可能です。」

 

(ちょっとここで、引用者からひとこと。私の引用は、どうしても長くなってしまいます。その弁解をしたいのです。もし私が、上記フレーズを簡潔に要約してしまうと、< L4が毀れてヘルニアを起こすのは腸骨の位置異常によることが多いのでL4を対象に腸骨を調整する>というふうになると思います。しかし、これだと野口氏が重層的に説明したことの一面しか要約していないことになります。その操法が、どのような場合に必要であり、どんな場面では好ましくないかという説明が抜けてしまう。技術にも二種類あって、いま説明しているのはこういう特殊な場合の事である、ということも抜け落ちてしまう。そして何よりも、今何のためにその操法をするのかという肝心の事も抜け落ちてしまう。だからそうならないようにしようとすると、かえって口述どおりに記録することよりも、要約しようとして余分な説明を加えざるを得なくなった分、冗長にならざるを得ず、結果として原文よりも長い説明文になってしまうということも生じてしまう。それでは何のための要約引用かが分からなくなってしまう。こうしたことを恐れる為に、あるいは理解の行き届かないところをどう処理すればいいのか、そしてもちろん著作権侵害のことなども含めて、いろいろ葛藤しながら、この作業を進めているのが現状です。野口氏の息遣いや、その言葉に含まれた言外の意味を取りこぼさないようにと考え込んだりで、ブログ作成の時間がかかった割には、原文のまま引用した方が良かった、と反省することも多いのです。高所に立って分析しつつ紹介する、という引用の仕方ができない非力ゆえの私の悩みでした。そしてこの悩みはどこまでも続きそうなのです。まいったな。)

 

「腰が抜けて動けないというような場合の処理や、太った体を痩せさせるという場合に、こういう技術が使える。相手の自然の動きに沿ってやっていくとなると、相手の人の力がなかなか出てこない。自然に沿って普通にやれば二年間はかかる。しかし、今回の技術だと、急激に痩せる。一週間で4キロから6キロ痩せる人も少なくない。一回やるごとに2キロぐらい減ってくる。そのかわり、何回もやると痩せすぎてしまい、痩せるのに皮膚が追いつかなくて皺だらけになる。・・・

骨盤異常で腹水がかなり溜まった人がいて、骨盤を締めましたら13キロ減りました。骨盤が狂うと、脂を捨てたり水を捨てたりが不十分になって、太ってしまうのです。それを締めると痩せてくる。そういう場合には相当慎重な注意が要ります。その人の場合も、一気にどっと痩せたら死んでしまうと思います。やはり、残る処がなくてはならない。残ると今度はまた太ってきます。それから徐々に痩せていく。美容の為に痩せさせる場合でも、4きろから6キロ減ったら、ひとまず休んで、それからまた太ってきて、6キロ痩せた人だったら4キロ、4キロ痩せた人だったら2.5キロ、つまり三分の二戻ってきたところでまた引き締めの操法を行なう。また痩せて、三分の二戻ってきたところで、今度は前回紹介したtような緩やかな操法を行なう。そうすると、増えないがあまり減らない。だけども何か月かすると段々減ってくる。そうしてすっかり減る、というようなコースへ導いて参ります。そういうようにしないと、一気に痩せたままだと、反動的に太る時期がある。あるいはもっと上手に効きすぎると、どんどん痩せてとめどが無くなる。そしてその為にいろんな病気になるという人も時にはあります。だから技術の使い加減というのは難しいので、一般には説明したり、紹介したりすることが出来ないのです。しかし、一応知らないということでは慎むということができませんので、<知って、やることを慎む>ということをお考え頂きたいと思います。」

 

練習ー腸骨を開く操法

うつ伏せで、腸骨を拡げる。これは太らせる方法です。捻り具合にコツがある。脚はただ膝の上に乗せて、動きの合ったところを使えばいい。転がってフッと開いた時に叩く。自分の脚を開いてそれにくっついた時では駄目なんです。転がるようにしてフッと開いた時を使う。本式にやる場合は、予め腸骨周辺の調整をやっておきますと早く変わってきます。

今は夏ですから、ほとんど今の腸骨周辺のそれをやらなくても動きます。夏は簡単な刺戟で拡がる。ですから冬はやらなくてはいけないが、夏はやらなくて結構です。余り気負ってやると本当に太ってしまいます。そうすると今度は締めるのにとても骨を折るんです。素直に締まらないんです。呼吸器の風邪を引くとか、喘息の発作を起こすとか、下痢が続くとかして縮んでいくのです。拡がる時は黙って拡がるんです。ですから注意しておやり下さい。恰好だけ真似るように。これは化月操法の一種ですから、できるだけゆっくりして下さい。

L4の二側が弛緩している側を、今の操法を致します。多くこれが弛緩している時には

 下垂しております。だからこの坐骨の下縁が下がっております。下がっているのが極端な人は、小便系統に異常があります。両方下がると、老人になっております。

だから上がっている方を、今の拡げる操法をすれば、確実に老人にする操法として使えます。

ここでの練習は、腸骨を開くだけで、老人にする目的はございませんので、弛緩のある、下がっている側をやります。下がっているもの多くは、開かないで縮んでいるようにみえて下がっている場合です。だから腸骨の外縁でみないで、下縁でみます。

 

今説明した開く操法は、実は肝腎な処をわざと除いて説明してありますから、皆さんが相当強引にこれをやっても心配しないで大丈夫です。太りません。だから私は悠々として見ていたわけです。そうでなければハラハラして、もっと歩き回るのですが、どうせ効きっこないと思っていたから悠々としていられた。

 

実は、こういう操法を効かせるための急所があるんです。それはこの操法を行なう前に、うつ伏せにしたままで、足の<小指を引っ張る>のです。それと<膝の真後ろを押さえる>のです。

膝の真後ろはL4と関連のある場所で、睾丸炎や卵巣炎の激しい痛みは、ここを押さえると止まります。性欲がストップするとここが硬くなっている。だから膝の折り曲がりが悪くなって、それが腰に影響して曲がってくる。つまり膝から老衰すると言うことも出来る。老衰というのは膝の弾力が無くなってくるんです。

膝のバネがなくなってくるのは内側が硬くなり、ひどい場合は腫れてくるが自分では気づかない。その簡単な調整法は、膝蓋骨を下へ下へと降ろすようにするとなくなってくる。

膝の真後ろの押さえ方ですが、膝を曲げた時に一番曲がった処に手を当てます。降ろしますが落ちない。相手が落とそうとすると痛い、その場所が正確な場所です。今度弛めて降ろして、足をちょっと押さえておく、そして押さえる。触るのはちょっと触るだけで、触れている程度です。これをやっておきますと、今の操法が開くのに効果を発揮するんです。これを先にやる。

この今の拡大操法のあべこべは、逆側を今のようにちょっと押さえておくと、あまり効果を発揮しなくなります。膝を先にやっておかないとそういう効果はないということです。

小指を引っ張ると、膝を押さえた時に、もっと痛く感じる。それを平気でこらえている人がいますが、小指をちょっと押さえておくと、頑張っててもすぐに痛くなるんです。

力をギュウギュウ入れれば痛いに決まっていますが、ちょっと触る。急所を触って痛んでなくてはいけない。触れただけで痛く感じる。ギュウギュウ押して痛いのでは意味がない。力を入れないで触るだけで痛いという処を見つけることが大事です。

 

今の場所は生殖器の急所でして、そこに脂がたまって厚くなっている人は、自覚するしないにかかわらず、生殖器の異常がございまして、それが或る年代から急に出たという場合は泌尿器の故障や、従って脳の血管の異常と考えなければならない。

急にではなくてずっとそこに脂があって厚くなっているのが続いている人は、特別そういう必要はございません、脳溢血の心配をする必要はございませんが、それでも生殖器の異常のあるものと考えていい。不妊症や出産がスムーズにいかないような人は、みなそこに特殊な脂がたまっています。

突然起こるのは、そのあたりから老衰したということであり、その場合には頭の警戒を要する。

私が出産指導を致します場合に、膝の後ろを押さえて、その反射状態をみまして、普通に反射している場合には、これは無事に産みうるもの、そうでない場合には鈍いものと分けて、それを標準にして区別しております。大体今迄のところ間違いはありませんでした。相当いろいろ悪い条件があって産めそうもないという状態でありましても、膝の

後ろがきちんとしている人は、結局は大丈夫でありまして、だからその辺に標準をつけたらよろしいのです。

卵巣炎や睾丸炎の場合に、それをピタッと押さえると痛みが止まります。そういうように痛みを止めてみると、急所はここだというのがお判りになるのです。すぐ判る。一分半か二分ぐらいまでの間に痛みは止まります。急所を外していますと、いつになっても痛みが止まってこないのです。

ただこれは睾丸炎などの痛みを止める急所ではなくて、<腸骨を動かす急所>なんです。ご承知の通り、我々の操法には、睾丸炎を治すとか、風邪や肺炎を治すとかいう方法はございません。同じ肺炎でも、肋骨が下がってなるのもあれば、D3、D4が悪くて、あるいは鎖骨が移動してなるのもありまして、そういうのを一様に肺炎として考えるのは不適当でして、やはり体の能力を発揮するのには、ここが邪魔をしている、こっちが邪魔をしていると考えるべきで、究極は<相手の体力の発揮>ということであります。だから睾丸炎の場合だと、腸骨の変動を起こす場所をはっきり知るために、その痛みを止めてみるということが意味があるわけです。

小指を引っ張るのは、ちょっと痛い時に、足を上げて耐えるようにするために小指を押さえる。だから手や何かで逃げてしまって、膝を持ち上げて逃げないという場合には、強すぎる場合か、そうでなければ相手の反射運動が他に起こり易い場合なのです。

それによって体癖を知ることも一つの方法ですけれども、一応小指を引っ張っておきますと、膝で逃げるようになる。上げて逃げたものを押さえる、ちょっと戻すと強く感じる。上げていたのでは痛くない。それをちょっと押さえると痛みが出てくる場所をつかまえればいいのです。

その場合にはL3、L4に緊張が激しく参ります。L3、L4を押すよりはその方が効果があります。そういう機能が鈍い場合にはL3、L4が狂います。膝がガクガクするという感じになります。膝がガクガクしたり、膝の力が抜けて来たりというのは、皆L3、L4の力が無くなり出してきた、つまり一種の老化現象であります。老いると下がってくる、それをちょっと刺戟を加えると上がってくる。そういう上がる力を呼び起こしておいて、腸骨操法を行ないますと、きちんと腸骨が開いてくるのです。やってすぐ開くのではなくて、翌日そうなれば一番確かです。その確かめを行なってください。

あとで確かめてみて、腸骨が上がるのではなく、下がっていれば失敗です。失敗した場合は、やったことを帳消しにする為に<足首の回転>を致します。

やり損ないは、腸骨操法したあと二、三分経っても腸骨が上がらないでいたら行います。

 

実演 足首の回転

手で強く押さえた場合は別ですが、いろいろな失敗を元に戻す、元の戻すと同時に、頭の働きをキチンといたします。そういう為に、操法に時々使います。やり過ぎた時、失敗だと思った時にはやる。そして成功したと思った時には、頭部第四をジーっと愉気をする。これが着手と終わりと結びの問題です。

回転は足首を固定して動かさないで、というのは一つの技術です。上体が動くように回す。どうぞおやりになって頂きます。

これは高等講習ですから、しかし皆さんの力を率直に言いますと、腕力は確かにあるんです。だけど腕力では、最小の力を使うというそれがない。それで、わたしのやったのを皆真似ると、腕力だけを強くしてしまう。やはり最小の力でやっていくということを前提に考えなければならない。

どうも皆さん共通して、腕力の使い方が強くて、技術的な力がないのではないかと思う位です。五、六人の人が上手に行っていますが、あとの方は足首を回すのでも、私からみればおざなりという言葉が使える。私のところにいる研究生なら怒鳴りつけられるところですが、下手だから講習に来ているのだと思うから辛抱して見ておりますけれども、なかなか辛いものです。中等や初等の場合には、そういうものと思って覚悟は定まっていますが、せめて高等の人は、多少は素人と違う、腕力でない技術的な力の使い方を覚えて頂きたいと思う。みんな自信があるんです。そしてみんな<痛い>というところまでやろうと思うから、つい腕力が出るんです。相手が痛いからいい、痛いからいいのではなくて、痛くなくて治ればなおいいのです。ただ異常があります場合には、それは痛みに感じる。相手の体が過敏な為に痛みに感じる。だけども特別異常がない相手を練習の対象にしておこなう場合に、そう痛むわけがないのです。

そこで練習の相手にする人達を強く押さえて痛く感じさせて、それを標準にして、本当の、ただ触っただけでも痛い人に対して、ギュウギュウ押さえてしまえば、毀す率が高いように思うので、痛いとかなんとかいうことよりは、技術的な力を発揮しようとすることをお考え頂きたいと思います。

そのためには、第一に<構え>の問題があります。足首を回すのに、どこの位置に坐っているか、技術というのは、最初に<構え>に現れます。<技術的な力>というのは、押さえた時に相手の逃げていく力を、いつでも先回りして押さえていく。それが<技術的な力>を発揮させる理由なのです。

<構え>に無関心の人は、両方で押さえてしまう。片方で押さえれば、大抵は逆の側に逃げるのですが、両方で押さえるから上に逃げるしかなくなる。そうすると要領を得ないのです。

逃げというのを防ぐのが技術の要素だということは中等の終わりで何回も練習したと思いますが、それを忘れてしまっている。

 

ここでしばし再ポーズ。更新回数がすごいことに。今回は遅々として進まない。書き始めから一週間を超えてしまった。読者の方にはご迷惑をおかけしたことをお詫びします。でも、嬉しいことに一昨日、ひょんな場所からから「整体操法高等講座」の分厚いファイルが二冊、ひょっこり見つかって、俄然やる気が出てきました。この講座は第十一回までしか手持ちにないと思い込んでしまっていたので、見つけた時は飛び上がって喜びました。余りに前に読んだことだったためなのか、はたまた記憶力の劣化のためなのか、この十一回を最終回として書き始めてしまったのでした。でも、まだまだ当分の間は、このシリーズを<愉しめる>そ、と思うとすぐさま「最終回」という文字を削除し、更新したのです。

そんなこんなで、やっとのこと<足首の回転>のくだりを読みだしてみると、そこには受講生を前にした野口氏のやさしく哀し気な言葉に出合い、いきなり脳天をぶっ叩かれたような衝撃を受けたのでした。

「高等講習なのに、なんでそんなことも出来ないのか」「もうやってられないよ、見てられない」という叱責の言葉でした。まるでわたしもその場に参加していて、そこに流れるピーンと張りつめた緊張感で縮みあがったように 感じられたのでした。

続けます。

 

中等講座でやったことを忘れたというのは、普段の練習にそれが行動として入っていないのだということである。こうやればここへ逃げる、そこへ力を逃がさないような角度をとってやります。だから伸ばした角度によって開き加減を加減しているという人は、これは技術で逃げを防いでいるのです。開きを広くして、逃げを防ぐ、そうでしたね。相手の逃げの状態で角度をとっていく。それが出来なければ、それがすぐ触ったときに感じで判らなければ、まだ高等技術を会得しているとは言えないんです。もっともこれは卒業してからそういうことを会得すればよろしい問題で、まだ途中ですから多少そういうミスがあってもしょうがないとして、卒業しないうちに多少その<におい>だけでも嗅がしてくれれば大変安心なのですが、その<におい>もないでしょ。本当に心細いです。

五、六人の人はそういう<におい>はございましたけれども、それでも逃げを防ぐという、それが意識しないで無意識に、こういう角度で一番抵抗があるというのがとれればいい。力でやる訳ではない。角度で開くか締めるか、その角度ぐらいはやはりご自分で見つけて頂かないと、技術を生み出す力をつけようとする講習では、全部教えてしまったのでは作り出せないのです。道筋は教えましたから、あとはそれを黙っておりますが、自然にそれが出てくるようでなくては本当でない。

まあうまくいったのは普段数多くやっている人達で、それは自然に出ております。ところが数をやっている筈の人が、それが出ていないのを見ると、熱心に勉強しているのか、一人ひとりやるのに、これを勉強のつもりで、練習のつもりでやっているのだろうかと、ちょっと疑念にかられます。

余りに忙しいと、それに追われて上手にならないのです。私も百五十一人やってきてもまだまだ余力はある。翌日はかえって調子がよくて、百五十人でなくて二百人まで出来るな、とそう思ってやるつもりでおりました。だけども将棋をやると負ける。判り切ったところにミスがある。レコードを聴いてもイライラしてしまう。百五十人やろうとすると、要点は喋らないことなのです。自分で喋らないというのではなくて、相手に喋らせないことなのです。相手が一言喋ったら、もう時間切れです。三分間というのは実質の三分間なら安易ですけれども、挨拶、坐ってから歩いてきて、お辞儀をする、これで下手をすると一分を越す人があるのです。・・・

<構え>をやると自然に決まるのです。肘を体から出来るだけ離さないようにやるというのが整体操法の<構え>の第一です。

腕力的な力は体の表面にしか伝わらないんです。技術的な力は、ポッと当たると、強くなくてもそれが強く感じ、中へぐんとしみ込むのです。弱い力でも、気が集まっていると、ずっと奥の方まで力が沁みとおって、それなりの快感があるのです。・・・

操法する場合に、練習でも実際にやる場合でも、<構え>をきちんとして、そうしてスタートする。ただ、そういう体の<構え>以外にも、<心の構え>ももちろんまとめておく必要がございます。

(終) 

 

 

 

 

 

「整体操法高等講座」を読む(10)出産問題

さて、今回も出産の問題です。(続く次回は「腸骨操法」がテーマです。)今回も整体操法技術の未熟な私にとっては、文面の要約さえもがとても難しくて、結局のところ多くを省略せざるをえませんでした。

そこで後半部分に「野口晴哉著作全集 第八巻 後期論集一」(全生社)の「誕生前後の生活」や、「月刊全生」、あるいは私自身が直接整体指導者から教わった<妊娠・出産>をめぐる知識などを寄せ集めて、私の理解した範囲でのまとめを<参考>と題して付け加えさせていただきました。省略部分を多少でも補うことができればと思います。では始めます。

 

整体操法高等講座」(10)出産問題 1967.7.5

 

「今日は、出産そのものの問題について説明しておきたい。L3が捻れている場合、股間に異常がある場合、頭部第四に異常がある場合、これらは出産のしにくい条件です。

骨盤が拡がらない、頭があちこちにつかえている、破水したのにあとがなかなか産まれない、出産そのものがスムーズにいかないでつかえる、これらの場合は、そういう条件がある場合がほとんどで、それ以外では、出産が時間的にまだ来ないということに対する焦りというようなものもかなり多くある。・・・

妊娠はその始まりからL3に緊張が起こってくる。私はそれと、S2の硬直状態をみて出産の時期をみているのです。出産が始まると、S2に変動が起こる。そうするとL3の硬直がL4、L5に移ってくる。つまりL4、L5の方の硬直になってくる。その硬直が弛んでくると間もなく始まるのです。L4に来ると拡がり出してくる、L5に来ると排泄が始まるという順序でL3の硬直がL4に移る。移り出した時に準備の運動が起こった、準備の運動は起こったが、L5に来てから排泄が始まる。L4、L5が一緒になっているならもう始まる。別々だったら支度は出来たがまだ時期でないというようにみて参ります。L4に移って産まれないということはよくありますが、L5に移って産まれないことはありません。L5に移った時は頭部第四も緊張してきます。L3までのうちは頭部第四は弛緩しているが、L4に移ると緊張し、L5になると産まれます。だから頭部第四とL5の緊張が揃ったら産まれる。・・・L4に移ってからL5移らない場合がよくあります。多くの場合股関節に異常があります。股関節の異常は、普段治そうとしても難しいのですが、分娩前の、L4に緊張が来ている時ですと、割に簡単に治せる。・・・」(2)

 

実演(省略「とりだに操法」)(3)

 

「もう一つ出産時期の問題として腸骨の問題があります。出産の後で、腸骨が片側ずつ縮んで参ります。この期間は寝ている方がスムーズに縮んでくるんです。そして両方一緒に縮む時期が来ます。これから先は起きている方が縮みは完全にいくのです。やはり両方とも収縮過程なのです。だから片側の縮みが終えたから収縮が終えたというのではないのです。これが終えた後は寝ていると開いてきてしまうのです。これの際中に起きると、片側が縮んでいるままでストップしてしまうのです。分娩後太るとか、女くさくなくなるというようなのは皆この片側組。両方縮みだしてきても、寝ていると開いて、本式に太ってしまう。そしてお乳が濃くならないんです。そこで両方が揃った時期を見つけ出して、起こすというのが出産指導の一番重要なことになります。・・・」(4)

 

「腸骨関連」

「腸骨は生殖器の状態に応じて拡がり、縮まり、上がり、下がりしております。老衰しだすと腸骨が下がってきます。分娩の後で腸骨が下がる人は、膣の内部が弛緩してしまう。緊張力が無くなってしまう。だから収縮感がないということです。男だと、腸骨が下がっていれば勃起しないということです。年齢に関係なく下がっていれば老衰している。腸骨を上げれば回春となり、下げれば化月の方法となる。」(12)

 

「実演、実習(腸骨を縮める方法)」(省略)(19-22)

  この省略部分は、次回の「腸骨操法」にまとめて記述します。

 

(終)               

 

 

参考:

野口晴哉著作全集 第八巻 後期論集一」(全生社)の1ページから137ページにわたって、昭和53年3月15日に発行された「誕生前後の生活」が再録されています。また全集には、「月刊全生」誌上の出産関連の原稿や、未発表稿も追加掲載されています。

 

まず本書の「誕生前後の生活」の冒頭には次の内容が記載されています。

 <出産については、その前後の問題が多くある。そのことが忘れられている。育児というのは生まれた後の問題ではなく、受胎と同時に始まるものである。妊娠中の時期は、知識よりも母親の要求が尊重されるべきである。出産の後、骨盤が片側ずつ交互に収縮する時期は安静を保つべきで、トイレに立つことも禁じる必要がある。そうしないと、母乳は不足し、出ても質が伴わないだけでなく、母親が太って子供は痩せ衰える。骨盤が両側同時に収縮する時機に、速やかに起き上がる。この時機を誤ると容色が衰え、身体は弛緩する。骨盤の片側収縮は出産直後に起こるが、両側同時の収縮は普通三、四日後である。時に一週間の人もいる。>

 そしてさらに、

<出産の問題は、受胎と同時に始まる。そして胎児に対する教育として、母親に子どもを育てつつあることの自覚を求めつつ、胎児の快感を保つための生活のありかたや、母親自らの要求に素直に従って生きる生活スタイル、胎児を一個の独立した人格として認め話しかけることに意義がある>と説いている。

そして妊婦への整体指導として、

 <妊婦への<愉気>は、妊娠初期は母体を中心に行い、中期は胎児を中心に、そして後期は母体を中心に行う。母体への愉気は、腰部、骨盤および生殖器系統に行う。また後頭部。腎臓、泌尿器系統(喉、耳下腺部、側腹等)。内股や脇の下のリンパ還流の処。妊娠三、四か月は、腸骨修正の好機。受胎後は腸骨の閉傾向、九種傾向となる。三か月前後になると腸骨の開傾向、十種傾向となる。この開き始めに仙椎二番の圧痛が消える。そしてこの開傾向は出産直前まで続く。仙椎二番の圧痛が消える頃に悪阻が始まる。悪阻は、腸骨を開きさえすれば変わるものと、それだけでは変わらないものとがある。変わらない場合、D4右二側に硬直がある、あるいはD4左一側と右二側に同質の硬直がある場合である。これらは肝臓や心臓の系統。変わらないもののうち、泌尿器系統のものは、D4、D9、D10、内股、側腹、耳下腺部に停滞がある。そのほかには、単に鳩尾の緊張による悪阻というのもある。妊娠七か月は一つの節目と言える。ガスの停滞による腹痛は、L4、L5のくっつきによる。L4を上げるように調整する。むくみには、腎臓系統の調整をする。鳩尾の緊張はD5からD8の二側の弛緩へ愉気する。逆児は、L1,L2の捻れの時に多い。あるいはL3一側の硬結。調整の時期は、五か月、七か月、分娩間際。話しかけだけで変わる、たとえばL3一側の硬結に愉気し、弛んだ時に話しかける。七か月以前なら、九種矯体操法でも変わる。七か月以降はL3-D11-L1の棘突起への操法。D9-7-8の操法(これは間際には使えない)。D7-L2一側。内股・腰部活点・腰眼の操法後、L2、L3の間を押さえてヘソへ愉気する。L5-L3(これは間際まで可能。分娩までの経過は、8時間前に骨盤が開き始める。次いで子宮口も開く(ただしまだ寝て待つには早すぎる。次いでS2の圧痛が消え、S4に過敏が生じる。S2に変動が起き始めると、妊娠中からあるL3の緊張がL4に移る。L4に移ると骨盤が拡がり出してくる。L4の緊張がL5へ移ると排泄が始まる。次いで頭部第四の弛緩が緊張に変わる。この緊張と、L5の緊張が揃った時、出産となる。産むのに時間がかかるのは、股関節の可動性が片側悪く、L3、D10が捻れている場合や、腸骨左右の開閉度合いの差が著しい場合、あるいは頭部第四に異常がある場合である。早期破水、陣痛微弱、前置胎盤などの場合、L1、L5の一側の硬結の処理、あるいはL5の陥没の場合はL5、L1を上げる操法をする。後産に長時間要するのは、L1が突出している。分娩後の起き上がる時期は、当人の感じで、骨盤の中心に痛みを感じるとき。起き上がりたくなる。腸骨が左右揃った時。L3に捻れのない人たちは、分娩後四から六時間で骨盤の収縮が始まる。>と。

 

(以上)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「整体操法高等講座」を読む(9)出産に関連してー整体指導

野口氏は整体操法はほぼ完成されたものと言っていい、と語っています。それは、人間の<身体><心身><心>の全ての領域に対する整体操法による働きかけが、一定の原理としてほぼ十全に提起できたということの表明であると私には読み取れます。そしてそれがその通りのものだとすれば、私たちはこれまで見たこともない<人為による働きかけ>の究極の姿、あるべき<身体>認識に関する一つの有効な方法の表現を目の当たりにしていると言えるはずだ思えるのです。

もちろんわれわれは、近代医学、医療の恩恵の上に日々を送っていることは確かです。しかしそのことと、われわれがわれわれの<身体>や<心身>や<心>の在りようをトータルに理解し、それらの人間現象に正当な意味付けをするための真の基準や認識レベルといったものを持っていということを意味するものではありません。

ただ科学的・生化学的な客観性を持った、エビダンス豊富な、<正統>と称される現代医療の認識・言説を<信じて>行動しているにすぎないという面もあるはずです。

従って、そうした近代以降の<医>の論理や、<医療>がまだ未知のものとしている領域については、医科学(医療)の今後の発展を待つことしか出来ないというのも、また確かなことでしょう。

人間現象については、まだまだ未知の領域が広大に拡がっているわけですし、身体の働き一つをとってみても、謎や不思議に満ち満ちています。

近代医科学・医療の行為も、整体操法という人為的な行為も、ともに最終的には人間の<身体>が悠久の昔から蓄積してきた、環境の中で生き延びていくための<智慧>といったものを当てにしてなされていることに変わりありません。

<身体>が自身の中に秘めている、無限とさえ見える<知恵>やその働きを当てにしないかぎり、あらゆる<医>の行為は出発することさえ出来ないのです。

この<生命>あるいは<身体>が内蔵する、<智慧>を前にして、人類は謙虚に、かつ好奇心をもって<意識>でずっと対峙してきたわけです。

これまでのところ、どのように優れた認識や方法といえども、どこまでも未知でありつづけるこの<宝>の質量に匹敵する知恵をまだ人間は獲得出来ていない。

この当たり前のことを前提にしないと、多様に存在する身体についての<知>や<医>についての方法が、互いに「目糞鼻糞を嗤う」ような愚かな足の引っ張り合いならないとも限らない。時には正統が異端を排除するような狭い料簡に陥らないとは限らないと思えてならないのです。

<生命>や<身体>に対しての科学的な認識や方法が極めて有効なものであることを否定することは誰にもできないでしょう。しかし、そこから得られた知見のみが唯一絶対のものだと考えてしまうと、それは一つの<信仰>に堕することもあるわけです。本当は、どこまでも多様な好奇心に促されて歩を先に進めることでしか、対象である<身体>や<生命>は自らを開示してくれないものなのだから、もっと自由に、もっと柔軟に、もっと多様な視点、開かれた心的態度によって人間現象を探求することが求められるはずです。

それを可能にしているのは、私たちがすでに一つの<自然>、一つの<生命>、一つの<身体>として、裡に<叡智>を持ちつつ生きているからです。人事を尽くすというのは<意識>によってその隠された<叡智>の不思議を解き明かしていく作業のことに違いないし、その上で静かに<天命を俟つ>、つまり<生命にたいする礼>をもって生き切るということのように思われます。

まわりくどい言い方をしましたが、野口氏の思想や技術が、どこまでその<叡智>に肉薄しようとしているかを、私なりに見極めたいと思って始めたこのブログですから、本来なら口述記録も、正確に解読し、余すところなく記述していくことが必要なのですが、やはり今回も私の未熟さゆえの限界を曝け出すことしか出来ないのです。

ご容赦下さい。

 

整体操法高等講座」(9)出産に関連してー整体指導(1967.6.25)

 「出産に関する指導は、われわれのなかでも重要なものであり、結局健康な人間を増やしていくという場合に、お腹の中にいるうちに世話したものが際立って改革されている。相当弱い親からでも、丈夫な子供が生まれるようになる。そういう点で、<出産指導>ということもやはり大事な問題である。

特に妊娠中の愉気ということは、いろいろな愉気のなかで一番効果が的確で、妊娠中に愉気をした場合に生まれた子供は全然違う。」(1)

 「お乳が出ないという中には三つの問題があります。一つは腸骨の収縮が行われていない。一つはD4、D5に硬直がある、乳腺の働きが悪い。もう一つはC2、親の頭の過敏、親が頭を余りに忙しく使うと、お乳が出なくなってくる、少なくなってくる。いろんな理屈を知って考え込んでいる人はお乳が出なくなります。或いはお姑さんが見舞いに来たら、それ迄一杯出ていたお乳が出なくなったという人もいます。」(9)

 

上記の口述に続く文章は、女性と男性の性差による差異についてのものですが、そこには男性の体に比べ、女性の体の方が構造的に、あるいは感受性において優位にあるという野口氏の認識から、それゆえ男社会というような明治期的男性優位社会を恣意的に作り上げてきたのだといったような、そのことへの肯定的な表現を野口氏は語っています。もちろんそういう言い方はしていませんが、性差による身体的差異や優劣について氏は直截に語っているのです(10)、そこには今日の<性>についての考え方とは相容れない記述がみられるように思われます。

それを女性優位と理解するのか、男性優位容認と理解するのかは微妙ですが、多様な性のあり方を認めている現代の時代状況の中では、問題性を孕むと言わざるを得ないのではないかとも思います。

野口整体の思想は、人間の<心身>領域の問題がその主戦場だと言えると思えるし、<自己><対(つい)><共同>という観念(意識)の三つの領域に分けて考えれば。<対>、つまり一対一の人間関係における<心身>領域を主たるものとしていると言えると思えますので、社会性とか共同社会の問題、あるいは制度の問題といった<共同性>の領域の問題は、直接には対象にならないはずだと思えるのです。

<性>の問題は、<対>の領域の問題であって、そこから<共同>性の問題に一気に論理的を飛躍させ展開してしまうと、あやしいものにならざるをえないのではないか。つまり、その飛躍が、度を越して誤った認識を引き寄せてしまう場合があるのではないかと思えるのです。

<個>の問題と、<対>の問題と、<共同>の問題とは、それぞれに固有の論理として分けて考えるべきものですし、そのなかで原理的考えられるべきものであって、それらを一緒くたに混同してはいけないのではないかと思うのです。

野口整体の思想は、<個>の身体や心の問題、個と個が一対一で関係する<対>の領域の身体や心の問題を主たる対象としているのであって、法や制度や組織や国家などの<共同性>の領域を扱っているものではないと考えるべきだと思います。(こうした私の考え方は、吉本隆明氏が練り上げた思想的成果を、私なりに勝手に切り取って援用しているにすぎませんが、この分け方は、人間の心的領域を考えていくうえで、極めて有効なものだと私は考えています。詳しくはこのブログで改めて触れてみたいと思っています。)

 

脇道に逸れましたので、講座記録に戻ります。

 

「子供がお乳を呑むということは、子宮の収縮を良くするのです。・・・だから子宮の収縮の悪い親に、子供の後頭部に愉気を致しますとお乳を呑む力が増えてくるので、産後の経過が急に良くなる。・・・太り過ぎを調整する。膣周辺の緊張力を恢復するという意味がある。だから呑ませなければならないのです。」(11)

「母乳の最初の初乳という脂肪の濃いお乳は、体の宿便の掃除と同じように、通じる役をするのです。」(11)

「お乳を呑ませるのに初めから時間を定めている親がいますが、それはいけない。要求通り要求一杯に与える。初めはしょっちゅう呑んでいるが、段々飲む力が出来てくると、三時間目、四時間目と間隔があいてくる。時間も定まってくる。定まらないのは、親のお乳の量が足りないか、子供の吸う力が弱いからなので、親のは胸椎四番に愉気する必要がある、子供のは頭に愉気をする。お乳の量は呑む量によってだんだん増えてくる。」(17)

 

腸骨の締め方(実演)

腸骨の拡がっている方、どうぞここへ仰向けになって下さい。

Mさんの腸骨は右側が拡がっています。それを治すのには、右の手をこう持ってきます。真っ直ぐ左右でこれだけ差をつくる。これを腸骨の外へ出す。こう腸骨の前へ出す。同じ幅に開く。それで、こう曲げる。つまり右のほうが余分に開くわけです。開いて外へやると、腸骨が狭くなってきて、左右が揃う処があります。揃うところまでずーっと拡げます。この位置、持っている「パタ」。うまくいけば縮んできます。一呼吸待つ。ハイ、結構でございます。」(19)

「今の方法をポンと放すのに息を吐き切った時にストンと落ちるようにすればそれでよろしいのです。・・・これの前提は、L4、L1、D11,C7を前提として操法致します。C7,D11、L1,L4,C7、D4、D10,C7,D11,L1、L4。それが腸骨引き締めの前提としての操法の要る場所で、そういう処に硬結のあるうちは、今の操法をやっても引き締まりません。そういう処の操法をして、それらを除いて今の操法をやることが大事である。前提としての部分を整理して、整理がついたと思われる日にやる。しかし、いつでも必ずそうでなければならないかというとそうではなくて、月経の直後、排卵の日にそれをやると、腸骨の締めをやると、そういう処がなくなってしまいます。だからC7、D11、L1、L4という処に故障のある人は排卵日に腸骨開閉の操法を致しますと、そういう処が逆に治ってしまうということがよくあります。」(21)

 

上記に続き、乳腺の刺戟の仕方、赤ちゃんの便秘への対処の仕方、頭の形と性格、子供の斜視の問題と多岐にわたる話題がなされますが、これらは他の著作にも詳しく記述されていることですので、今回は省略させていただきます。

(終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「整体操法高等講座」を読む(8)妊娠ー整体指導

今回の講座内容(「整体操法高等講座」(8)1967.6.15)を一読して、はたと困ってしまった。タイトルにもあるように、ここに記録されているのは<妊娠>と<出産>に関するものだが、私には、そこに記された内容が、あまりにも縁遠く、途方もなく難解で、要約することすら無謀な行為に思えてならないのだ。

私の<妊娠>や<出産>に関する整体的な知識は、『誕生前後の生活』(全生社)や、「月刊全生」から得たものでしかない。しかも二子を授かったわたしたち夫婦の経験は、それが整体指導者に個人指導を受けたうえでのものであり、また<出産>も、近くの産院が、たまたま整体協会の会員の産科医であったことなども手伝って、いわばお任せの、受け身的な経験でしかない。

整体的な<出産>や<子育て>の考え方に深く共感していたとはいっても、それはあくまで操法を受ける側の問題としてしか意識してこなかったのである。

だから、野口氏がその弟子に、しかも相当な高段者に対して行ったこの「高等講座」の難解な内容を、しかも<妊娠><出産>という問題に、素人の私が何らかの記述をすること自体が無謀なことであるのは間違いないことだ。要約すること自体が、ほとんど不可能なことに思えてしまうのだ。

では、これまでの「高等講座」七回についてはどうなのだ、と問われればやはり答えに窮してしまう。無謀なことをやっていることに少しも違いなどないはずだからだ。

 

だから、読者の皆様には、私のこの要約の限界をお伝えし、お許しをいただければと願います。その意味で、今回の引用は、操法技術についてではなく、<妊娠>の問題の周辺領域に限定しておこなっていこうと思います。

 

「産むのに時間が長くかかるのはどういう体型かというと捻れている場合である。特に股関節の緊張度合い、可動性が片側が悪い場合である。あるいはその変動が、腰椎の三番または胸椎十番が捻れていることである。腸骨の左右が極端に大きい小さいがあり、開閉度合いが強い場合である。これらはみな捻れだから時間が長くかかる。」

「出産が自然のものだからといっても、病気などと違って、もっと全身のエネルギーを集中しなければならない状態のものです。

病気というのは特殊なもので、治さなければ治らないものだと思って、いろんな治療をやりすぎるので、今のような恐い存在になってしまったので、そうでなければ余り変わらないものである。病気が重いといったって、分娩よりは小型の冒険のようなもので通る筈なのです。

だから出産は自然のものだから無事だというのは、妊娠説得用の言葉であって、われわれが一旦引き受ける場合は、恐いところは全部きちっと見て、恐いところの恐い理由をすっかりつかまえて、恐いことを知り尽くした上に立って、安心して動作すべきだと思うのです。(中略)

私は人を引き受ける時には、必ずあっちこち検査して、それからでなければ引き受けません。こういう系統の人の悪い処は何処か、ここに危険がある、そういう処を先ず見つけておく。最低でも相手を悪くしないことだけは考えなければならない。」

「実際に操法を引き受ける場合には、<生活指導>する場合に必要な心構え、見方、急所などを知っておく必要がある。だから、前回の<頸の操法>はそれだけにして、少しそういう面の操法をお話しようと思う。

昔は整体操法の効果を上げる為に<整体生活>の実践を人に要求したのです。今は人の<整体生活>あるいは<全生生活>をさせる補助として、整体操法を使うようになったのですから、当然<整体指導>、<全生生活指導>の様式を覚えていなければならない。」

「妊娠中は運動が大事であります。働いているほどお産は軽いのです。体を多く動かすほどいいのです。体を使わないで沢山食べていると重くなるのです。こういうことは、単なる普段の心構えを説くことです。

整体指導という場合には、こう付け加えます。<一定時間に一定距離を歩くこと。三十分でも一時間でもいい。歩くときに亭主を連れても、子どもを連れても、犬を連れてもいけない。自分の歩幅で歩く。だから一人で歩くこと。>と。

用事を果たしながら買い物に行ってきたから運動になった、と言う人がいますが、ある目的を持って歩くことは運動にならないのです。早く買い物を済まそうと思えば動きも早くなってしまう。自分の正常な歩幅で歩けなくなるんです。純粋に散歩する。頭の中に何も持たないで、これは病気の場合も同じですが、一定時間・一定距離を散歩していれば、大抵の病気は治ってしまうのです。

お産の場合の散歩は、お腹のなかの胎児のために時間をとる、という意味があるのですから、お腹の胎児の存在を意識する、散歩のときに赤ちゃんに話しかけをする、そういう時間であることを伝えるのです。」

「一定時間、一定距離、目的を持たないで、自分の歩幅で、全く気楽に散歩をする。昔は土の上を歩くということを付け加えたのですが、いまは土がなくなってしまった。土の上を歩くと、無意識に違う変化を土から刺激として受け取れる、急な刺戟や強い刺戟でなくて、わずかな刺戟をうけとれるのが理想です。

いずれにしても、こういう散歩をすることが丈夫な子供をつくる第一歩となります。」

 

実習は「逆児の治し方」

冒頭に書きましたように、この技術については、省略させていただきます。

 

(終)

 

 

 

 

 

 

「整体操法高等講座」を読む(7)圧痛の呼び起こし

前回のワープ方式、ノート形式だと、要点の記録だけになってしまい、野口氏の講義に流れる<時間>の経過やその<空間>のざわめき、野口氏の豊富な事例のリアルさや、話された言葉のニュアンスなどが全部吹き飛んでいってしまうことが分かる。これではせっかくの<口述記録>の持っている価値の多くが失われてしまう。やはり、これ以前の方式に戻した方がよさそうです。今日の講座の聞き所は、ヘッド氏の知覚過敏帯についての野口氏独自の整体的解読と、<頸上>の操法の実演・実習にあるように思います。では、今日も私的要約を始めます。

なお、蛇足ですが、筋肉についての名称や構造などについて殆ど知識のない私は、最近購入した『プロが教える筋肉のしくみ・はたらきパーフェクト事典』(ナツメ社刊 2018 荒川裕志、著 )を参照しながら、学んでいます。

 

整体操法高等講座」を読む(7)1967.6.5

「圧痛の呼び起こし」

前回、棘突起で<圧痛>を呼び起こすということに少し触れましたが、この方法によって、体のいろいろな状況を推察することが出来る。つまり圧痛が生じた処と関連する部分の働きが悪くなっている。

ヘッド氏の「知覚過敏帯」の図に示されているように、それを類推できる。

まず圧痛の部位としての最初の問題は、手や足などの随意筋の問題です。

たとえば胸椎六番に圧痛があった場合は、乳の下の筋肉に硬直があり、伸び縮みが悪いというようにその「知覚過敏帯」の図を使っ類推していく。

あるいは、上腕筋が硬直して細くなっているという場合に、胸椎二番の圧痛を整理すると、ここの筋肉が弛んでくる。神経痛やリュウマチの場合は勿論ですが、そうでない場合でも、こういう処の異常が却って他の臓器に関連していることがある。

以前、右の足首と胃袋とは関連していることを説明しましたが、右の足首はL5、足の指はS1と関連があります。そうするとL5やS1は直接には胃袋には関連していないにもかかわらず、足首の変化および足の指の変化を介して胃袋、消化器に影響する。

足の人差指の根元の処が食中毒と関連があるということや、足首の緊張の悪いのが生殖器や胃袋の働きと関連があるというのはそれであります。

そういう場合も、L5やS1は、足首とか胃袋とか肝臓(中毒)とかには直接関係がないはずですが、そういうところを経由して関連している。足や何かに異常な硬結があった場合には、臓器と何らかの関連があるかもしれない。

そこで、そういう場合には元の脊髄まで辿っていって、その脊髄の変化から見ていくと判ってくるし、そういう処の硬直は圧痛の呼び起こしに成功すると弛んでくる。

たとえば乳の下の筋肉が硬直している場合に、D6の圧痛の呼び起こしをすると弛んでくる。あるいは腕に力が入りっ放しにって抜けない時、C1,C2を処理すると弛んでくる。

このように、圧痛の呼び起こしに成功すると、その脊髄の末端の随意筋の部分が弛んできます。

そういうことと、体のある部分の使い過ぎと、臓器の関連を探していけば、こういう疲れ方をしている時はこういう処の異常があるということが判ってくる。

肩の筋肉が硬直している、それはC4である。C4は肺の収縮で、それが妨げられている。 つまり、肩の硬直と呼吸器の異常とには椎骨を介して関連があるということになる。

こういうように、椎骨と末梢の筋肉との繋がりを丁寧に見ていくことが大事です。だから、「知覚過敏帯」の図は、常に頭の中に入れておかねばならない。

D9とC4なら<中毒>である。<糖尿病>はD5とD7に関連し、D7が主体である。

D3とD4の過敏は、迷走神経の過敏、迷走神経の張力と関連している。

 

◆「圧痛の呼び起こしによる変化の処」

D  1 上肢

D  2 上肢、(右)肝臓、胃粘膜、(左)心臓

D  3 

D  4 (右)肝臓、(左)心臓

D  5 胃、十二指腸、咽喉、鼻粘膜、聴覚

D  6 胃、膵臓

D  7 脾臓膵臓

D  8 胃、肋膜

D  9 胆嚢、(右)肝臓、(左)胃

D10 腎臓 

D11 胃、卵巣、膀胱、小腸

D12 大腸、生殖器

L  1 生殖器の知覚、胃・腸の収縮

L  2 臓器の下垂、胃・腸の収縮

L  3 生殖器の血行

L  4 卵巣・睾丸・腸の弛緩、骨盤神経叢の血行

L  5 膀胱・尿道生殖器内の粘膜、骨盤神経叢の血行

S  1 ~5 生殖器

S  2 関節、十二指腸潰瘍、火傷

S  3 

S  4 膀胱括約筋

 

食欲がない、という場合、D5、D6およびそれらの間に圧痛が出てくる場合は、胃袋の働きが活発に行われていない、というか食べた分だけ働いていない状態。

胃が働かないという場合は、むしろD11、D12に関連がある。

胃が働きすぎているという場合は、腰椎と関連がある。

L1は、胃や腸を縮める働きがある。だから胃が痛いという場合、胃袋の働きを弱めればおさまる。胃袋が縮む(縮むから痛い)のを妨げるわけです。そのために、拡張中枢であるD11を刺戟すると、胃の痛みはなくなる。

ところが、ついでにとL1を押さえると、また胃が痛み出してくる。

痛みを止まりきりにするためには、L1を押さえてから、D11を押さえる。

 

「知覚過敏帯」の図で、脊髄の反射する機能を知って、<操法>に役立てることが出来るだけでなく、<操法の順序>を作る際にもそれを参考にすることが出来る。

 

L1、L2は胃袋や腸の収縮。L1、L2、L3は尿、脱糞、生殖器の勃起、射精、あるいは子宮の働き、子宮の粘膜の変化、あるいはL3は形の変化を示します。L4は卵巣および腸の弛緩、L5は膀胱、あるいは尿道、あるいはそれに関連のある生殖器内の粘膜。

L4・5は主に骨盤神経叢の血行に関係があると考えればいい。

仙椎部はほとんど生殖器の反射、ただ仙椎部で特殊なのは、S2は関節と十二指腸潰瘍に関連がある事である。またここは、火傷の場合の特殊な治療点にもなっている。

S4は時に膀胱の括約筋に関連があり、ここに異常があるために夜尿症を起こしていることも少なくない。

心の状態でいえば、L4は不決断状態、特にL3と一緒に変動していればそう考えていい。L1は理由なき焦燥とか、絶え間ない妄想状態。L2は、何となくイライラした状態。

 

こういう関連は、圧痛点を呼び起こして、あるいは過敏点を呼び起こして、それに成功した場合に判るもので、そうでない時はそういう関連を類推することはできない。

圧痛があるところは、長い間、臓器や脊椎、あるいは筋肉の変状が持続していたところです。だからそういう変状が、心理作用にも影響を与え続けていると言えます。

 

さて、今日の説明には<頸>(くび)には触れてきませんでしたが、それは胸や腰などよりも、もっと複雑な<関連>というものがあるためだったのです。

<頸>は、「心と体」とが一つになって働いていく場合の重要な中継地点でもあり、<頸>が強張ると、心と体がうまく連動できないで、病気になっていたずらに焦ったり、逆に体の異常を頭にうまく伝えなくなったりします。

それから<頸>の状態は、腹部の状態と同様に、<体力>の象徴の場所でもある。しかも「生きている」ということに直接つながっている場所でもある。

<体力>が弱ってくると、どこよりもまず、後頭部から<頸>にかけて鈍ってきます。後ろ姿が何となく寂しく見えるというのは、そのためで、後頭部と<頸>が痩せてくると<体力>が無くなってくる。がっかりすると<頸>の力が抜けてしまうけれど、緊張していると<頸>はしっかりしている。つまり<体力>だけでなく<気力>にも関係している。

だから<頸>の操法というのは極めて重要なものだといえるのです。

<頸>に異常が生じると、足が細くなってくる。病気で寝込んで床擦れが出来るというのも、<頸>の故障と見ていい。<頸>を治すと、床擦れも良くなってくる。

がっかりした時に、足がだるくなるというのも、<頸>との関連と見るべきです。

 

<頸>を操法する時は<頸椎>が中心です。<頸>を柱のように考える人がいますが、むしろ<鎖>(くさり)と考えた方が実態に合っています。<頸椎>の正常な位置を保たせているのは、神経や筋肉の張力によっているのであって、頸椎自体の問題ではないからです。それは迷走神経の張力の問題です。

ところで、<頸椎>に分布している神経系統の影響というのは、全身に及んでいますが、迷走神経もその一つです。そして<頸椎>の1,2,3,6,7番を刺戟すれば、迷走神経の張力は亢まってきます。ところが「胸鎖乳突筋」そのものを直接ゆすぶって刺戟しても、同様に迷走神経の張力は亢まってくるのです。しかも<頸椎>の刺戟よりも亢まりの度合いは強く早い。

こういうことは、他にもいろいろあって、<頸>と関連しているから<頸椎>だけ操法すればいいとばかりは言えない。頸椎以外の関連する場所を操法した方が早く良くなるというものもある。だから、<頸>の問題は複雑なのです。

 

<頸>の操法は、非常に重要で、<胸椎>の9-7-8番の操法(いわゆるパカパカ)と一緒に行うことは、われわれにとっては<秘伝>と言ってもいいものです。これは、鈍った体の神経全体の働きを亢めることができる技術で、最近のストレス学説で説かれている症状なども、これによって対応できるのです。

ストレスによるいろんな症状は、みな「胸椎の9番、7番、8番」と<頸>との関連と考えていいのであって、われわれはストレス学説の出る何十年も前から、「<頸>の操法の持つ特殊性」に気づいていて、これを使ってきた。

血圧を下げるのも、喘息を止めるのも、肺気腫を治すのも、肺炎をよくするのも、風邪を抜くというのも、寝小便を治すのも、泌尿器の異常を治すのも、皆<頸の操法>で対処してきたのです。

そういう意味で、<頸>は非常に応用範囲が広く、それはほとんど全身にまたがっている。

 

ところが、<頸の操法>は難しいのです。今の皆さんの練習状態では、まだとてもお教え出来ない。お腹の操法でも同じで、恐くて見ていられないのです。一度、京都での高等講習会で説明したことがありましたが、押さえられたあとに痛くなったとか、尿が出なくなったとか、つぎつぎに毀して、もう見ていられやしない。それでその後は一回も頸とお腹の操法はやめてしまいました。講習会で<頸の操法>など持ち出したら何が起こるかわからない。

今日、それを持ち出したのは、テストケースとしてなのです。<頸>は締められればすぐに苦しくなるし、間違えればすぐに毀れてしまう。だからお互いに警戒して、警戒しながら押さえ、力を強く集める為にも、相手が力を感じないように柔らかく押さえるということを逆に身につけやすいのではと思ってのことです。だから、練習もおっかなびっくり使っていただきたい。それに講義ばかりで、実習が伴わないのは問題でもあるので、ぼつぼつ実習も始めたいとも考えたからです。

 

(実演)

 ちょっと頸を貸してくれませんか。操法で<頸>というのは、大体頸椎の七番から<頸上の三>までを指して言っています。さらに胸椎の二番まで広げて、それを<頸>と見ます。頸椎二番まで広げるのは、腕の運動は絶えず胸椎の一番、二番を経由して頸椎に影響を及ぼしているからです。<頸上>というのは、一番からラムダ縫合部までのことですが、それを三等分して、一・二・三と呼んでいる。

まず頸椎の一番ですが、これには棘突起がありません。その上部の<頸上>から胸椎の二番までを、一応操法するうえで<頸>と認めて説明します。

 体の異常が頭にいつも感じるという場合には<頸上>の一、二、三の中の特に二、三が関連しています。つまり頂靭帯が緊張過度になると頭痛、頭重がします。

 

練習

頭痛、頭重を治すのには<頸上>の二、三を押さえまして、それから外へ外へと辿っていってそれから胸鎖乳突筋へ入ります。酔っぱらって醒めないような場合も同じくこれです。

頂靭帯を押さえる場合に、頸上の一番、二番、を押さえます、上に上げます。みんな後頭骨が下がっています。この後頭骨を上げるように三、二、一と押さえていきます。

たとえば、一番だけの場合でも、三、二、一と押さえ、押さえる度合いを目標以外は簡単にしたらいい。

三番に至ってずっと上に上げ、頭皮をずらすように押さえます。一緒に頸の筋肉がくっついて上がります。その場合に、肩の筋肉が緊張し伸びるように押し上げることがよろしい。

<頸上>は下から一、二、三と数えます。そして上に上げるように押さえます。肩の筋肉も動いてくるのが正常で、ここに異常がいるとこれが動かない。

動きが鈍い場合は、これに沿って頸を押さえていきます。頸椎よりずっと外側です。そーっと押さえます。強く押さえてはいけない。

押すときは、真横にではなく、横に押しながら斜め前に、強い力でも柔らかく、ここへ来まして、これから今度は前に、そうして胸部活点、これを痛くなく押さえなくてはならない。

風邪を引いて頭痛がするというのは、みなこれが閊えている。粘膜が悪くなって、脈管運動がつかえる。

頭の血の降りが悪いとか、勉強して次の転換がきかないとか、心の転換がきかないとかいうのもこの閊えです。

ここの筋肉が硬くなって、萎縮している人達は、常習的に頭の血の帰りが悪い。ここをジーっとしばらく押さえる。押すのは内側ではなく、外側です。外側をちょっと内側に向ける。胸に響くところではない。押して腕に響くところで、これは二番までの筋肉が変わってきます。

ここだけ押したんでは駄目なんです。頭の方の変化がないんです。

頸上から押さえていく、頸上の三番を押さえてから、その次に外へ、外へ、外へ、下の方向へだんだん外側に押さえていって、中に入る。

まず、ここまでを二人組になって覚えていただきましょう。

 

頸の左右を触ってみて、動きの悪い側を対象にしてください。大抵は、肩の凝った感じのある側でやってみましょう。

やる前に、まずご自分の頸をそーっと触ってみて、そこを強く触っても苦しくないという度合いを確かめてからやって下さい。

自分でやってからだと、他人のがやりやすくなる。

ただ、やり過ぎると吐き気が起こりますからそのことは御承知ください。

 

はい、<頸上>の一、二、三ときたら、次に<後頭骨>を上げるように、上げるように押さえます。そして乳嘴突起のところから下へ、乳嘴突起に副って押さえる。その中のどこかを押さえればいいので、全部押さえるのではない。

 

それから<下頸>の操法をする。ここは、こういう角度だと相手は逃げないんです。押さえなくても逃げない、ここでは逃げる、ここでは逃げない。この逃げない位置で押さえる。相手が不安定な位置のほうが、操法は割に変化します。

安定した位置でここだけやると、ここの部分だけ押された感じになる。

それを逃げない位置で押さえると、自分で逃げようと、元に戻ろうとしているから、体じゅう押されたのと同じになる。そういうことが、体じゅうに影響してくる。

不安定になる程、影響してくる。

このように<下頸>を押さえます。

 

その次は、<喉>の操法

顎のこれです。これを前から押していく。両方一緒にやってはいけません。両方一緒にやると死ぬことがあります。首を絞められて死ぬという場合、窒息で死ぬというより、ここの副甲状腺を毀してしまうのです。

これは、みなさんが上手になって、一番最後に説明しようと思いますが、ここは顎からこう押さえて喉の真上までいきますが、こう触っていって、一か所の悪い処だけを押さえる、それだけです。ただこれは他の場所と違って恐いです。もっと上手になってからじゃないと難しいですので、練習はここか、家族で留めておいてください。

(終)

 

◆脊椎の転位とその影響

頸椎一 顔の上下斜頭筋、後大直頭筋、後小直頭筋、後頭骨の皮膚、頭蓋骨、顔・耳・眼・咽喉の異常、

    悪寒・発熱

頸椎二 下斜頭筋、半棘筋、棘筋、肩甲骨の後半部、咽喉、発熱 

頸椎三 後頭部と後頭部外皮、眼、咽喉、心臓、肺、横隔膜

頸椎四 斜角筋、上棘筋、下棘筋、大小菱形筋、咽喉、甲状腺、眼、横隔膜、心臓、脈管神経

頸椎五 鎖骨下筋、棘上筋、大小肩甲筋、三角筋、内膊筋、二頭筋、大小内筋、大鋸筋、大小胸筋、浅指屈筋

    虫様筋、眼、心臓、甲状腺、咽喉 

頸椎六 鎖骨下筋、棘上筋、棘下筋、大小円筋、三角筋、内膊筋、二頭筋、覆手筋、覆手方形筋、濶背筋、大

    小胸筋、小鋸筋、三頭筋、長短棘筋、橈骨屈筋、長掌筋、長短撓腕伸筋、拇外転筋、拇対筋、拇屈筋

    耳・眼・咽喉・甲状腺、悪寒・発熱

頸椎七 長短撓腕伸筋、拇対筋、拇外転筋、拇屈筋、大鋸筋、烏口腕筋、総指伸筋、長短拇伸筋、指示伸筋、

    小指伸筋、濶背筋、三頭筋、肘筋、大胸筋、迷走神経張力亢進の為心臓・胃に及ぶことあり 

胸椎一 覆手方形筋、尺腕屈筋、長拇屈筋、手の内部筋、瞳孔繊維、耳、眼、心臓、肺、肋膜、肝臓、皮膚

胸椎二 肋間筋、脈管神経、腕の異常、心臓、気管、従隔膜

胸椎三 肋間筋、肺、肋膜、肝臓、目、皮膚

胸椎四 肋間筋、心臓、肺、肋膜

胸椎五 肋間筋、乳、肋膜、肝、胃、脾

胸椎六 肋間筋、胃、脾

胸椎七 肋間筋、腹筋、肩、脾、胆嚢

胸椎八 肋間筋、腹筋、胃、脾、胆嚢、輸胆管、膵臓、悪寒

胸椎九 肋間筋、腹筋、胆嚢、脾、胃、膵、輸胆管、悪寒・発熱

胸椎十 肋間筋、腹筋、膵臓脾臓、輸胆管、横隔膜、胃、輸尿管

胸椎十一腹筋、横隔膜、膵臓、腎臓、膀胱、腸

胸椎十二腹筋、横隔膜、腎臓、輸尿管、大・小腸、虫様突起、子宮、摂護腺、睾丸、輸精帯、陰茎、卵巣、副

    睾丸

腰椎一 腰方形筋、大・小腸、虫様突起、子宮、卵巣、喇叭管、睾丸、輸精帯、陰茎、副睾丸、膀胱、下肢の

    筋肉

腰椎二 下肢の筋肉、堤睾筋、腸、虫様突起、子宮、卵巣、喇叭管、睾丸、輸精帯、陰茎、副睾丸、膀胱

腰椎三 薄股筋、長・短大股内転筋、股四頭筋、外閉鎖筋、子宮、卵巣、喇叭管、睾丸、輸精帯、陰茎、副睾

    丸、膀胱、摂護腺

腰椎四 薄股筋、長・短外転筋、股四頭筋、外閉鎖筋、中殿筋、小殿筋、股鞘張筋、半膜様筋、蹠筋、股方形

    筋、下秄筋、内側転筋、直腸、肛門、膕筋 

腰椎五 長内転筋、大殿筋、中殿筋、小殿筋、股鞘張筋、半膜様筋、膕筋、股方形筋、蹠筋、上秄筋、下秄筋

    長趾屈筋、後脛骨筋、短趾屈筋、短母屈筋、母外転筋、内閉鎖筋、半腱様筋、ヒラメ筋、長母屈筋、

    膀胱、摂護腺、直腸、睾丸 

仙椎一 大殿筋、中殿筋、小殿筋、半腱様筋、股方形筋、上下秄筋、股鞘張筋、膕筋、蹠筋、長・短趾指屈

    筋、短母趾屈筋、長母趾屈筋、母趾外転筋、股二頭筋、内閉鎖筋、ヒラメ筋、梨状筋、小趾外転筋、

    横斜母筋、背側骨間筋

仙椎二 上秄筋、内閉鎖筋、大殿筋、半腱様筋、ヒラメ筋、長母屈筋、梨状筋、小趾外転筋、腓腸骨外転

    筋、横斜筋、股二頭筋

仙椎三 勃起、射精

仙椎四 肛門と膀胱の括約筋

 

※上記の筋の名称の一部は、引用者が前掲のナツメ社の本を参照して現代生理学用語に書き換えたものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

「整体操法高等講座」を読む(6)相手の力の使い方(4)

今日の講座記録は、これまでとは違った方法で記述してみます。私が講座の現場にワープしたと仮定し、野口氏の講義をノート片手にメモした場合どうなるか、そんな感じでフィクションを書いてみようと思います。つまり、講座記録を読むというのではなく、講座に参加した際の受講記録のつもりで・・・

 

整体操法高等講座」(6)1967.5.25

「相手の力の使い方」(4)

今日は高等講座の六回目。さっと風のように先生登場。簡易な黒板に「相手の力を使う」とチョークで走り書きをしてから、慈愛に満ちた眼差しで私たちを見まわし、さっそく講義が始まった。

「相手の力を使うというと妙な感じなのですが、操法というと全体はいつでも、相手の力を使ってやるだけで、相手の力を抜きにしてやることはありません。」

・生きている人間に操法する。その人が食べるから栄養になり、その人が気張るから大便になる。その人の細胞が分裂するから切ったり貼ったりしても自然に繋がる。

操法はそういう生きた人間という相手の力ならどんなものでも使っていく。そういうふうに操法はできている。

・先生が操法すると、受けた人は強く感じる。

・だから操法は強い力がいるんだと考えて、一生懸命力を入れる。そしてくたびれる。

・それは受けた人の自分の感じ。

・先生はせいぜい2キロから5キロぐらいの圧力。

・力にならないような力を力として働かせる、それが技術。

・力づくで効かそうというのは間違い。

・できるだけ力を少なく。もっぱら速度の加減を使う。

・練習、速さの加減で強くも弱くもしていく。

・痛い処を触るときも、速さの加減で痛くなく触れる。

・量の加減で触るから、そっと触ると弱いし、ギュッと触ると強い。速さの加減でやると、相手の注意の密度が高まらないから痛くない。

操法以前の問題

・期待、空想、を相手の力として使う。押すとただ痛いだけだが、「ここは胃袋のガを抜く処だ」「これは呼吸器の関係だ」と言って押さえると、その方向に変わってくる。

・触る前の準備が沢山あるかないかが、効果を大きく左右。

・脚がむくんでいるひと、腸骨の角、腸骨櫛を拡げる。体液を流通させる処。

・今日の参加者、初等の基本を忘れている。圧痛点は触るだけで可動性の鈍いところががあるはず。それを棘突起を一つ一つ全部揺すぶっている。触る前に圧痛のある場所が判らないと、高等技術とは言えない。

・触る前に勝負を決めるつもりでないと高等とは言えない。

・手をつけるまでの技術を大事にする。操法以前の問題。

・相手の、異常に対する注意。痛いところを庇おうとする注意、異常を治すのに自分で治っていこうとする意欲、欲求の程度。それを呼び起こす。

・こちらが気張ると相手の依存度だけが増す。自分で治そうとする欲求が薄れる。

・痒いところに手が届くというのは理想ではない。

・一点の不満があって、要求が亢まる。

操法以前のことを操法として使うのが高等の技術。

・初等は自分の型。中等は相手の感じ方。高等は操法以前の問題、相手の感受性を高度にいて操法していく問題。

・ひとつひとつほじくりまわしていたら、手がくたびれて、そんな指で見つけようとするのはおかしい。

・どのように呼吸しているか、どの程度警戒して自分を護ろうとしているか、どう触られるのを望んでいるか、体力はどうか。みな操法以前の問題。触る前の準備。

・じっと見る。素人には見えないものを見る。動かないように見えるものの中に、動きを見ていく。それは触れば判る。手はそれが出来る。相手の中にある活気、その動き。

・自分の感覚をフルに発揮して、活気や気配を見て感じていく。手はそれが出来る。

・気配を感じる。気配を見る。手の感じ。気の感じ。

・花が咲くときに、花の咲くのを手が感じるように訓練する。それがつかまえ出せるようでないと、高等技術の仕事にならない。

・同じ痛みでも、エネルギー過剰の痛み、不平の痛み、面子の痛みなどいろいろある。そういのをどっかで入れ替えておくことも操法の技術。

・感受性を高度に導くために、余分なものを一つ一つ剥がしていく。それらが無くなってくると相手に直接に触れられる。

・練習 相手の感受性を高める押さえ方

(終)