野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

気と人間関係

野口整体の根本にあるのは気である。整体操法野口晴哉氏と被操法者との気を媒介とした、一対一の直接的な人間関係としてとらえることができる。

生きてそこにいる個人と個人の直接的な関係性の場が整体操法の場である。つまりこの対(つい)の関係性は、自分が自分に対する個の関係性とも、社会と個人との関係性とも一応分けて考えられるべき領域である。しかし、いずれの領域でも気の問題を抜きにしては考えることができないものである。 

野口晴哉氏は「月刊全生」(1970.3)で以下のように述べている。 

「人間が人間の体を研究するようになってから、もう随分経っております。そしてその研究には世界中の学者が携わり、血管も神経も細胞の一つ一つも、胃袋も肺臓も、肝臓も皆、丁寧に分解され、研究されておりますが、現実に存在する人間は、学者の研究した人間とは大分違っている。・・・今までの研究は、一人の人の体を対象に進められている。・・・ところが人間の生活というものは一人一人ではないのです。生活している体というものは、絶えず二人以上の人の人間関係、対人関係によって営まれているのです。一人ひとり別々だと脈は78、呼吸は18ぐらいに決まっているのに、自分の好きな人がヒョッコリ現れると、急に脈は速くなり、呼吸は荒々しくなる。・・・こころでは自由にならないものが対人関係には現れてくるからです。そういう一人ひとりにはあるかないか判らないものが、二人になると現れてくる・・・私たちが研究しております気というものはそういうものであります。・・・対人関係というものが、人間同士の社会的な関連の根本として存在するものだという観点から一人の人間を観てゆくなら、どうしても気というものの存在を否定する訳にゆかなくなる・・・人間の生きている状態、生活している状態を研究するなら、どうしてもこの気というものを否定できない。かえって、そういう気の中にこそ、人間が生きているということの本体があるのではなかろうかと考えられるのです。・・・」(「人間生活に於ける気の問題」)