野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の概念

以下では、「月刊全生」(1979.1月から2月)に掲載された野口裕之氏の「整体法について」と「整体法実践の個人指導」から引用して、まず整体操法の概要や整体法における位置づけなどについて学んでおきたい。

 

「整体法は、次の四者を基幹として構成されている。

1.活元運動

2.行気法

3.整体体操

4.整体操法

これらは、共に運動系の調和を獲得することを目的としている。・・・整体法の特色は、以上の四者が共に錘体外路系の訓練に指標を措き錘体外路系運動の側面から、運動系の調和を獲得しようとすることにある。・・・多様な随意運動にも拘わらず、それに伴って生ずる反射的不随意運動-即ち錘体外路系運動は、常に一定の個人的な特性を有している。・・・本会では、この現象を錘体外路系運動に於ける個人的偏り運動習性と理解して、これを体癖と呼んでいる。

・・・運動系にみられる体癖という現象は、刺戟によって方向を決定される他発的な運動ではなく、その刺戟に対して平衡を保持しようとして生じる、生命の自発運動である。

・・・しかし調和した運動系の実質は、各体癖類型によって異なると考えている。

即ち、上下体癖に於いては上下運動が、左右体癖に於いては左右運動が、捻れ体癖に於いては捻れ運動が、開閉体癖に於いては開閉運動が、前後体癖に於いては前後運動が、それぞれ必要且つ円滑に生じている時、各々の体癖類型に応じて、調和した運動系が獲得されていると考える。このように、個人的運動特性である体癖に則って、調和した運動系が獲得された状況を本会は「整体」と呼んでいる。整体という状況は、本協会に於ける身体運動の規範ともいうべきものであるが、この規範は唯普遍的唯一のものではなく、相対的個人的のものである。従ってこの整体という規範は、個人個人に於いて見出されなくてはならない。ここに整体法の実践指導が個人指導という指導様式をとらざるをえない所以があると言える。更に、本会でいう整体という状況は、健康という概念と近似値ではあっても、疾病の有無とは無関係である。整体であれば無病であるということは無い。また疾病があるから不整体であるというのでもない。従って整体という概念は、疾病論から離れて、別の次元で論じられなければならないものである。

整体法実践の個人指導に於いて指導技術というものがあるとすれば、それは殆ど観察の問題である。その人本来の体癖をどのように読み取ることができるかに尽きるのである。

体癖観察は…観察点を通じて行われる。体癖の停とん状況の有無、即ち整体不整体の判別は、腹部の弾力に於いて捉えることができる。・・・腹部の第一、二、三観察点がそれぞれ虚冲実にあることを我々は整体と呼び、この観察は体癖修正を目的として行なう整体操法、活元運動、整体体操の効果の確認として用いられる。

具体的な観察法は、言葉にすることは至難であるが、虚冲実という弾力状況は、相手が息を吐ききって吸う迄のその微かな瞬間に指先に感ずる印象を言語化したものである。行気法という精神集注を体得したものであれば、誰でも共通の印象経験をもつものであるが、本会で制定している整体操法の型によってでなければ観察はできない。

 

・・・体癖修正を目的とした他動的な技術である整体操法は、整体法実践の個人指導に於いては、次のように位置づけられる。

1.活元運動の誘導補助

2.体癖の修正補助

3.体癖状況の観察を通じての生活分析

整体操法による体癖修正法は、体癖の焦点の弾力の回復を目標とするが、それを遂行する技術様式は大別して次の二法に要約される。

1.四肢の運動操作によって、呼吸の間隙に、体癖の焦点の力の方向を急速に転換させ、体癖の焦点の固有の弾力特性を復元せしむる方法。

2.体癖の焦点と連動するいくつかの処に対して愉気することによって、体癖の焦点の感覚の鈍りが次第に蘇生され、自動的に弾力及び弾力特性が復元されるよう企図する方法。

いずれの方法も、次の二点に要約される原理に則って行われる。

1.錘体外路系の自律作用の誘導

錘体外路系は、姿勢反射やマグヌス反射に見られるように、四肢などの一部の位置を変えると、この位置の変化に対して平衡を保持するように、他の部分の筋緊張を誘導し、無意識的な反射作用を生起させる。整体操法は、四肢の一部を特定の角度をとることによって、体癖の焦点に最も力の集注するような特定の錘体外路系の反射作用を誘導せしめ、そこに生じた力の方向を利用して、弾力特性の復元を図るものである。従って常に相手の力を用いることが原理となっており、錘体外路系の訓練段階に応じて、同じ方法をとっても修正の能率が異なるところに特色がある。

2.感受性の運用

生体は刺戟に対して反応するが、しかし同一刺戟は必ず同一反応を喚起するとは言えない。そもそも、生体の秩序ある反応の実質は、刺戟によって左右されるものではなく、感受性の作用によって左右されるものである。

感受性の状況は、心理的生理的要素から構成されているが、いずれにしてもそれらの要素が一定の秩序ある体制を形成しているのである。

この秩序ある感受性の体制に同化し得ない刺戟を生体は拒絶し,拒絶し得ない事態ではこれを閉鎖して、その感受性自体の作用を鈍麻させることによって、生体の刺戟に対する最小限の平衡を保持しようとするのである。しかしこうした事態にあっては、生体の豊かな自発性は閉ざされた状況にあると言わなければならない。

この感受性の秩序ある体制の状況は、しかし、常に変化している。例えば、吐息時と吸息時に於いてすら、同一の刺戟に対する反応は異なった形で現象する。さらに感受性は体癖類型別に異なっており、同一の刺戟は体癖類型別に異なった反応を導く・・・」