野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(29)指の操法

野口整体という一つの体系が、現代においてどのような意味をもつものかは、いまの私にはうまく答えられない。このブログで、野口氏のからだについての言葉や、からだに働きかける技法の言葉を、I先生の教えを手掛かりにして素直に感動して学んでいる自分がいる一方で、現代社会の仕組みの中で否応なくがんじがらめに絡めとられて生きざるを得ない自分が同時に存在している。この今という時代、今という政治的・経済的環境、制度、国家、世界が強いてくる、生命(自然的身体)としての私に対する圧倒的な影響力のまえで、悩み、立ち止まり、途方に暮れる非自然的なからだを持って生きているのもまた現実の私なのだ。

野口整体の思想の原点に、病んだ人を見ていると放っておけない、まるで自分自身が病んだように不安になりつい手を差し出したくなる、といった野口氏固有の心情があり、その不安の打消しとして、整体法という膨大な自然身体への回帰(還元)ともいえる体系を打ち立てた。このことは稀有のことであり、他の追随を許さないものであると思う。しかし、この野口氏固有の心情は、誰もが等しく共有できるものではない。

およそ個人の問題と、家族の問題と、社会での問題とは、それぞれに次元の異なるものであり、ごっちゃにして考えることはできない。だから、たとえ全ての人が野口氏の理想とする全生思想を共有できたとしても、そのことですべてが丸く収まり、問題がなくなるなどということはあり得ないだろう。

野口整体の思想は、あくまで個人あるいは個人と個人が関係しあう領域に限定されたものと思うし、社会や組織のなかという多数の人々で構成された共同性の中で生きている限り、個人は必ずこの共同性の持つ論理からは自由になれないし、そこから違和感を感受せざるを得ない存在であると思えるからだ。

だから整体法を学ぶごく普通のわれわれに可能となるのは、この体系が目指す最終地点ともいえる、個人が「生き生き溌剌」に生きるための身体的基礎といったものを、私たちなりに身につけ、理解することでしかないだろう。つまりそこから先のことは、個々人の生き方に委ねられている、としか言いようがないと思われる。体癖を学ぶことも、自分に固有の感受性のありかたを知る一つの手掛かりとして、自分に固有の心的世界を築いていくためにこそ必要となるもののはずである。

野口氏が到達点としたと思われる、自然的身体(生命)というもの、それが本来持っているはずの豊かさや力強さを、徹底的に見据え掘り下げて、言葉にしていった。これこそ極めて人間的な、人間にのみ為しうる、途方もなく冒険的な心的世界の構築だと言えよう。他の生物にそんなことは決してできない。それと同様に、組織の一員として働く労働者として、あるいは音楽や文学などの芸術の世界に身をささげる人間として、あるいは様々な形態の職業人として、また一人の家庭人として、それぞれが自立した豊かな人間的彩りをこの世界にもたらすこと、そのことが次の課題として残るされていると言えるのだろう。ちょうど野口氏がそうしたようにである。

また寄り道をしてしまいました。さっそく今日の記録を始めてみます。

 

指を敏感にする方法

指が敏感でないと、技術がなかなか前に進まない。そこでまず指を敏感にする方法を少しやっておきたい。触手療法では合掌行気を行なうことが指を敏感にする方法だということは前に見てきたが、それは素人の敏感なのであって、操法するにはそれよりもう一つ敏感にならないとうまくいかない。指の感覚は頭で感じるのであるが、それは指の先にある神経の状況の変化によっている。そこで指一本一本の血液配分を多少手助けしてやると、ただ注意を集めて気が集まってくるということ以外に、より敏感になる素質ができるのです。

指の付け根、指骨第三節を両側から挟むように、親指は第二節をつまむ。一本一本つまんでいくと、鈍っている指は何か異常感があって、痛みを感じる。その骨の痛む指をつまんで愉気していると、他の全部の指が敏感になってくる。これは自分でやるより他人にやってもらったほうが感覚の回復が早い。何本か異常のある指を見つけたら、まず一番痛い指の骨を押さえる。痛くない人は、ただ合掌行気をやっていればいい。

強く押さず、ジーっとそのまま押さえて愉気をしていると、強く押さないのに痛みが強く感じるようになってくる。そうなったらもう回復がはじまっている。そしてその押さえているうちに、ツルっと中で小さな塊りが指の下で通るようになったらやめていい。全部の指をやらず、一番痛みのある指をツルっとなるまで押さえていると、二日も経つと全部の指が敏感になってくる。

人によって鈍い指というのはいろいろあるが、開閉傾向の人はみな、薬指が過敏になっている。頭の過敏な人は中指、捻れる傾向の人はみな小指。左右型の人は当然人差指です。親指はまだわかりませんが、そういう傾向がある。逆に今度、喉の悪い人の人差指を押さえると回復する、頭が疲れたために吐き気がしたり、車に酔うという人は、中指の薬指側をジーっと押さえていると回復してくる。これらのことは、掌心発現のときのピクピクと動く指と大体共通している。これは急性症状の場合に一番有効である。

どこかの指が痛いというのは、決して偶然ではなく、必ず体のどこかに関連がある。痛むと言っても、強く押して痛むというのではなく、ソーっと指を挟んで愉気をしていると、だんだんいたくなってきて、その痛みが体のどこかに響く。間をおいてから押さえるともっと痛くなる。押さえて痛いというのでなくて、ソーっと押さえて行って気を感じて痛む。愉気をするとますます痛くなってくるという処を見つける。

やっていると、その痛みを感じることと、そこにある塊とか強張りというものとのつながりが判ってくる。そのうちにツルっと何か指の下をすべって通るような感じがある。そうするとだんだん痛みがやわらいでくる。やわらぐまでには幾日もかかる。一、二週間ぐらいかかる。そうしたことが感じとれるようになると、体を細かく読めるようになってくる。触れることが面白くなってくる。鈍いままだと興味が続かない。

指が敏感になってくると、処に当てた指の角度や、度合いというものが判ってくる。

 

触覚というのは、ものの本質をつかまえる働きを持っている。見ているだけでは、もののそのものを自分の中に吸収することが出来ない。

操法の場では、触れられた瞬間に、相手が上手か下手か判ってしまう自信を持って押さえているか、おっかなびっくりでかすぐに判ってしまう。触覚というのは、人間の本質に一番早くぶつかる。

お腹を触るまでは元気があるように見えるが、触ってみるとまるで元気がない、逆に弱弱しくて身動きすらできないように見えても、背中を触ったらピンと力がある、というように触る前と後では全然違う事も多い。

 

自分が病気になった時

異常を感じるようになったら、もうその時点で回復に至っている。自分自身が病気になったら、体じゅうの力を抜いて弛める。弛まない処は力を入れて抜く。あるいは活元運動をやって抜く。そしてポカンとしている。そして全部が弛み切った時に、下腹に気を集める。お腹にすーっと力を入れていくと体じゅうに力が満ちてくる。そういうことを二、三回やると大抵それだけで、ほかに何もしなくても回復してしまう。体の力を抜くと、それまで感じなかった処に異常を感じる。そこは無意識に力を入れてしまっていた処である。悪い処は、そこだけが感じないようになってしまっている。そういう異常箇所を全部判るところまでジーっと弛めていく。全部判ったら、異常箇所を治そうとしないで、息を腰から下腹に吸いこんでいく。そうして後は、これならばこれこれこういう経過を通って回復していくということを観察していればいい。自分の体ほど調べやすいものはないのです。他人のだと自分のを感じるようにはなかなかいかない。

もちろん、自分の異常感であっても、すぐに信じてはいけない。自分はまともでいるつもりでも、他人に押してもらってはじめて痛かったりすることがある。

だから体の力を抜いていく。力を抜いていくたびに異常感がはっきりしてくる。そうなってから、下腹に息を吸いこんでいく。後は、目標を立てて経過を待っている。自分の立てた目標と違う経過をとるようであれば、もう一回調べる。抜いたつもりなのにまだ残っていないか、それでも判らない時は、他人に操法してもらう。いつでも、左右均等に押さえてもらう。押さえてもらって何でもない処もあれば、痛い処もある。感じない処もある。そうやってまだ弛んでない処を見つけて、そこに息を吸いこむ。

体の真中にある力が、体全体に行き渡って健康といえる。この真ん中の力がピタッとこない、何か抜けてしまっているという状態の時、異常を起こすのです。

 

他人に押さえられている時に、指を感じるのではなく、気を感じなければいけない。自分が病気をしたときに、そうやって感じ、観察していると、今度他人を操法するときに、気の感じで相手を押すことが出来るようになる。意識を気に集注すれば気が感じられ、衣服に向ければ衣服を、皮膚に向ければ皮膚を感じるのだから、注意を気に向けることが必要となる。これは、触覚とは異なる。触覚の鋭敏化といったが、むしろ触覚以前のものだと言った方がいいかもしれない。

先に見た、指と体の関連は、掌心発現で判りますが、これは整体操法制定委員会のメンバーだった宮廻清二氏の末梢刺戟療法によっています。彼の専門は指と尾骨で、全ての異常をそこだけで処理している。

掌心発現を観察していて、相手の息や気がすーっと合ってくると、相手の異常が自分の掌心発現に現われてくることがある。熱心に相手のお腹を押さえていたら、自分のお腹が痛くなったという人がよくあるが、そんなことも一生懸命やっているとある。まあ人間にはそんな妙なことがあるのだということも知ったうえでやってみてください。

掌心発現は、人差指が消化器関係、中指が頸から上、薬指が呼吸器と循環器、小指が臍から下、親指が随意筋系統と、大雑把に言うとそういう処に変動が起こる。