野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(6)相手の力の使い方(4)

今日の講座記録は、これまでとは違った方法で記述してみます。私が講座の現場にワープしたと仮定し、野口氏の講義をノート片手にメモした場合どうなるか、そんな感じでフィクションを書いてみようと思います。つまり、講座記録を読むというのではなく、講座に参加した際の受講記録のつもりで・・・

 

整体操法高等講座」(6)1967.5.25

「相手の力の使い方」(4)

今日は高等講座の六回目。さっと風のように先生登場。簡易な黒板に「相手の力を使う」とチョークで走り書きをしてから、慈愛に満ちた眼差しで私たちを見まわし、さっそく講義が始まった。

「相手の力を使うというと妙な感じなのですが、操法というと全体はいつでも、相手の力を使ってやるだけで、相手の力を抜きにしてやることはありません。」

・生きている人間に操法する。その人が食べるから栄養になり、その人が気張るから大便になる。その人の細胞が分裂するから切ったり貼ったりしても自然に繋がる。

操法はそういう生きた人間という相手の力ならどんなものでも使っていく。そういうふうに操法はできている。

・先生が操法すると、受けた人は強く感じる。

・だから操法は強い力がいるんだと考えて、一生懸命力を入れる。そしてくたびれる。

・それは受けた人の自分の感じ。

・先生はせいぜい2キロから5キロぐらいの圧力。

・力にならないような力を力として働かせる、それが技術。

・力づくで効かそうというのは間違い。

・できるだけ力を少なく。もっぱら速度の加減を使う。

・練習、速さの加減で強くも弱くもしていく。

・痛い処を触るときも、速さの加減で痛くなく触れる。

・量の加減で触るから、そっと触ると弱いし、ギュッと触ると強い。速さの加減でやると、相手の注意の密度が高まらないから痛くない。

操法以前の問題

・期待、空想、を相手の力として使う。押すとただ痛いだけだが、「ここは胃袋のガを抜く処だ」「これは呼吸器の関係だ」と言って押さえると、その方向に変わってくる。

・触る前の準備が沢山あるかないかが、効果を大きく左右。

・脚がむくんでいるひと、腸骨の角、腸骨櫛を拡げる。体液を流通させる処。

・今日の参加者、初等の基本を忘れている。圧痛点は触るだけで可動性の鈍いところががあるはず。それを棘突起を一つ一つ全部揺すぶっている。触る前に圧痛のある場所が判らないと、高等技術とは言えない。

・触る前に勝負を決めるつもりでないと高等とは言えない。

・手をつけるまでの技術を大事にする。操法以前の問題。

・相手の、異常に対する注意。痛いところを庇おうとする注意、異常を治すのに自分で治っていこうとする意欲、欲求の程度。それを呼び起こす。

・こちらが気張ると相手の依存度だけが増す。自分で治そうとする欲求が薄れる。

・痒いところに手が届くというのは理想ではない。

・一点の不満があって、要求が亢まる。

操法以前のことを操法として使うのが高等の技術。

・初等は自分の型。中等は相手の感じ方。高等は操法以前の問題、相手の感受性を高度にいて操法していく問題。

・ひとつひとつほじくりまわしていたら、手がくたびれて、そんな指で見つけようとするのはおかしい。

・どのように呼吸しているか、どの程度警戒して自分を護ろうとしているか、どう触られるのを望んでいるか、体力はどうか。みな操法以前の問題。触る前の準備。

・じっと見る。素人には見えないものを見る。動かないように見えるものの中に、動きを見ていく。それは触れば判る。手はそれが出来る。相手の中にある活気、その動き。

・自分の感覚をフルに発揮して、活気や気配を見て感じていく。手はそれが出来る。

・気配を感じる。気配を見る。手の感じ。気の感じ。

・花が咲くときに、花の咲くのを手が感じるように訓練する。それがつかまえ出せるようでないと、高等技術の仕事にならない。

・同じ痛みでも、エネルギー過剰の痛み、不平の痛み、面子の痛みなどいろいろある。そういのをどっかで入れ替えておくことも操法の技術。

・感受性を高度に導くために、余分なものを一つ一つ剥がしていく。それらが無くなってくると相手に直接に触れられる。

・練習 相手の感受性を高める押さえ方

(終)