野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(8)妊娠ー整体指導

今回の講座内容(「整体操法高等講座」(8)1967.6.15)を一読して、はたと困ってしまった。タイトルにもあるように、ここに記録されているのは<妊娠>と<出産>に関するものだが、私には、そこに記された内容が、あまりにも縁遠く、途方もなく難解で、要約することすら無謀な行為に思えてならないのだ。

私の<妊娠>や<出産>に関する整体的な知識は、『誕生前後の生活』(全生社)や、「月刊全生」から得たものでしかない。しかも二子を授かったわたしたち夫婦の経験は、それが整体指導者に個人指導を受けたうえでのものであり、また<出産>も、近くの産院が、たまたま整体協会の会員の産科医であったことなども手伝って、いわばお任せの、受け身的な経験でしかない。

整体的な<出産>や<子育て>の考え方に深く共感していたとはいっても、それはあくまで操法を受ける側の問題としてしか意識してこなかったのである。

だから、野口氏がその弟子に、しかも相当な高段者に対して行ったこの「高等講座」の難解な内容を、しかも<妊娠><出産>という問題に、素人の私が何らかの記述をすること自体が無謀なことであるのは間違いないことだ。要約すること自体が、ほとんど不可能なことに思えてしまうのだ。

では、これまでの「高等講座」七回についてはどうなのだ、と問われればやはり答えに窮してしまう。無謀なことをやっていることに少しも違いなどないはずだからだ。

 

だから、読者の皆様には、私のこの要約の限界をお伝えし、お許しをいただければと願います。その意味で、今回の引用は、操法技術についてではなく、<妊娠>の問題の周辺領域に限定しておこなっていこうと思います。

 

「産むのに時間が長くかかるのはどういう体型かというと捻れている場合である。特に股関節の緊張度合い、可動性が片側が悪い場合である。あるいはその変動が、腰椎の三番または胸椎十番が捻れていることである。腸骨の左右が極端に大きい小さいがあり、開閉度合いが強い場合である。これらはみな捻れだから時間が長くかかる。」

「出産が自然のものだからといっても、病気などと違って、もっと全身のエネルギーを集中しなければならない状態のものです。

病気というのは特殊なもので、治さなければ治らないものだと思って、いろんな治療をやりすぎるので、今のような恐い存在になってしまったので、そうでなければ余り変わらないものである。病気が重いといったって、分娩よりは小型の冒険のようなもので通る筈なのです。

だから出産は自然のものだから無事だというのは、妊娠説得用の言葉であって、われわれが一旦引き受ける場合は、恐いところは全部きちっと見て、恐いところの恐い理由をすっかりつかまえて、恐いことを知り尽くした上に立って、安心して動作すべきだと思うのです。(中略)

私は人を引き受ける時には、必ずあっちこち検査して、それからでなければ引き受けません。こういう系統の人の悪い処は何処か、ここに危険がある、そういう処を先ず見つけておく。最低でも相手を悪くしないことだけは考えなければならない。」

「実際に操法を引き受ける場合には、<生活指導>する場合に必要な心構え、見方、急所などを知っておく必要がある。だから、前回の<頸の操法>はそれだけにして、少しそういう面の操法をお話しようと思う。

昔は整体操法の効果を上げる為に<整体生活>の実践を人に要求したのです。今は人の<整体生活>あるいは<全生生活>をさせる補助として、整体操法を使うようになったのですから、当然<整体指導>、<全生生活指導>の様式を覚えていなければならない。」

「妊娠中は運動が大事であります。働いているほどお産は軽いのです。体を多く動かすほどいいのです。体を使わないで沢山食べていると重くなるのです。こういうことは、単なる普段の心構えを説くことです。

整体指導という場合には、こう付け加えます。<一定時間に一定距離を歩くこと。三十分でも一時間でもいい。歩くときに亭主を連れても、子どもを連れても、犬を連れてもいけない。自分の歩幅で歩く。だから一人で歩くこと。>と。

用事を果たしながら買い物に行ってきたから運動になった、と言う人がいますが、ある目的を持って歩くことは運動にならないのです。早く買い物を済まそうと思えば動きも早くなってしまう。自分の正常な歩幅で歩けなくなるんです。純粋に散歩する。頭の中に何も持たないで、これは病気の場合も同じですが、一定時間・一定距離を散歩していれば、大抵の病気は治ってしまうのです。

お産の場合の散歩は、お腹のなかの胎児のために時間をとる、という意味があるのですから、お腹の胎児の存在を意識する、散歩のときに赤ちゃんに話しかけをする、そういう時間であることを伝えるのです。」

「一定時間、一定距離、目的を持たないで、自分の歩幅で、全く気楽に散歩をする。昔は土の上を歩くということを付け加えたのですが、いまは土がなくなってしまった。土の上を歩くと、無意識に違う変化を土から刺激として受け取れる、急な刺戟や強い刺戟でなくて、わずかな刺戟をうけとれるのが理想です。

いずれにしても、こういう散歩をすることが丈夫な子供をつくる第一歩となります。」

 

実習は「逆児の治し方」

冒頭に書きましたように、この技術については、省略させていただきます。

 

(終)