野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(9)出産に関連してー整体指導

野口氏は整体操法はほぼ完成されたものと言っていい、と語っています。それは、人間の<身体><心身><心>の全ての領域に対する整体操法による働きかけが、一定の原理としてほぼ十全に提起できたということの表明であると私には読み取れます。そしてそれがその通りのものだとすれば、私たちはこれまで見たこともない<人為による働きかけ>の究極の姿、あるべき<身体>認識に関する一つの有効な方法の表現を目の当たりにしていると言えるはずだ思えるのです。

もちろんわれわれは、近代医学、医療の恩恵の上に日々を送っていることは確かです。しかしそのことと、われわれがわれわれの<身体>や<心身>や<心>の在りようをトータルに理解し、それらの人間現象に正当な意味付けをするための真の基準や認識レベルといったものを持っていということを意味するものではありません。

ただ科学的・生化学的な客観性を持った、エビダンス豊富な、<正統>と称される現代医療の認識・言説を<信じて>行動しているにすぎないという面もあるはずです。

従って、そうした近代以降の<医>の論理や、<医療>がまだ未知のものとしている領域については、医科学(医療)の今後の発展を待つことしか出来ないというのも、また確かなことでしょう。

人間現象については、まだまだ未知の領域が広大に拡がっているわけですし、身体の働き一つをとってみても、謎や不思議に満ち満ちています。

近代医科学・医療の行為も、整体操法という人為的な行為も、ともに最終的には人間の<身体>が悠久の昔から蓄積してきた、環境の中で生き延びていくための<智慧>といったものを当てにしてなされていることに変わりありません。

<身体>が自身の中に秘めている、無限とさえ見える<知恵>やその働きを当てにしないかぎり、あらゆる<医>の行為は出発することさえ出来ないのです。

この<生命>あるいは<身体>が内蔵する、<智慧>を前にして、人類は謙虚に、かつ好奇心をもって<意識>でずっと対峙してきたわけです。

これまでのところ、どのように優れた認識や方法といえども、どこまでも未知でありつづけるこの<宝>の質量に匹敵する知恵をまだ人間は獲得出来ていない。

この当たり前のことを前提にしないと、多様に存在する身体についての<知>や<医>についての方法が、互いに「目糞鼻糞を嗤う」ような愚かな足の引っ張り合いならないとも限らない。時には正統が異端を排除するような狭い料簡に陥らないとは限らないと思えてならないのです。

<生命>や<身体>に対しての科学的な認識や方法が極めて有効なものであることを否定することは誰にもできないでしょう。しかし、そこから得られた知見のみが唯一絶対のものだと考えてしまうと、それは一つの<信仰>に堕することもあるわけです。本当は、どこまでも多様な好奇心に促されて歩を先に進めることでしか、対象である<身体>や<生命>は自らを開示してくれないものなのだから、もっと自由に、もっと柔軟に、もっと多様な視点、開かれた心的態度によって人間現象を探求することが求められるはずです。

それを可能にしているのは、私たちがすでに一つの<自然>、一つの<生命>、一つの<身体>として、裡に<叡智>を持ちつつ生きているからです。人事を尽くすというのは<意識>によってその隠された<叡智>の不思議を解き明かしていく作業のことに違いないし、その上で静かに<天命を俟つ>、つまり<生命にたいする礼>をもって生き切るということのように思われます。

まわりくどい言い方をしましたが、野口氏の思想や技術が、どこまでその<叡智>に肉薄しようとしているかを、私なりに見極めたいと思って始めたこのブログですから、本来なら口述記録も、正確に解読し、余すところなく記述していくことが必要なのですが、やはり今回も私の未熟さゆえの限界を曝け出すことしか出来ないのです。

ご容赦下さい。

 

整体操法高等講座」(9)出産に関連してー整体指導(1967.6.25)

 「出産に関する指導は、われわれのなかでも重要なものであり、結局健康な人間を増やしていくという場合に、お腹の中にいるうちに世話したものが際立って改革されている。相当弱い親からでも、丈夫な子供が生まれるようになる。そういう点で、<出産指導>ということもやはり大事な問題である。

特に妊娠中の愉気ということは、いろいろな愉気のなかで一番効果が的確で、妊娠中に愉気をした場合に生まれた子供は全然違う。」(1)

 「お乳が出ないという中には三つの問題があります。一つは腸骨の収縮が行われていない。一つはD4、D5に硬直がある、乳腺の働きが悪い。もう一つはC2、親の頭の過敏、親が頭を余りに忙しく使うと、お乳が出なくなってくる、少なくなってくる。いろんな理屈を知って考え込んでいる人はお乳が出なくなります。或いはお姑さんが見舞いに来たら、それ迄一杯出ていたお乳が出なくなったという人もいます。」(9)

 

上記の口述に続く文章は、女性と男性の性差による差異についてのものですが、そこには男性の体に比べ、女性の体の方が構造的に、あるいは感受性において優位にあるという野口氏の認識から、それゆえ男社会というような明治期的男性優位社会を恣意的に作り上げてきたのだといったような、そのことへの肯定的な表現を野口氏は語っています。もちろんそういう言い方はしていませんが、性差による身体的差異や優劣について氏は直截に語っているのです(10)、そこには今日の<性>についての考え方とは相容れない記述がみられるように思われます。

それを女性優位と理解するのか、男性優位容認と理解するのかは微妙ですが、多様な性のあり方を認めている現代の時代状況の中では、問題性を孕むと言わざるを得ないのではないかとも思います。

野口整体の思想は、人間の<心身>領域の問題がその主戦場だと言えると思えるし、<自己><対(つい)><共同>という観念(意識)の三つの領域に分けて考えれば。<対>、つまり一対一の人間関係における<心身>領域を主たるものとしていると言えると思えますので、社会性とか共同社会の問題、あるいは制度の問題といった<共同性>の領域の問題は、直接には対象にならないはずだと思えるのです。

<性>の問題は、<対>の領域の問題であって、そこから<共同>性の問題に一気に論理的を飛躍させ展開してしまうと、あやしいものにならざるをえないのではないか。つまり、その飛躍が、度を越して誤った認識を引き寄せてしまう場合があるのではないかと思えるのです。

<個>の問題と、<対>の問題と、<共同>の問題とは、それぞれに固有の論理として分けて考えるべきものですし、そのなかで原理的考えられるべきものであって、それらを一緒くたに混同してはいけないのではないかと思うのです。

野口整体の思想は、<個>の身体や心の問題、個と個が一対一で関係する<対>の領域の身体や心の問題を主たる対象としているのであって、法や制度や組織や国家などの<共同性>の領域を扱っているものではないと考えるべきだと思います。(こうした私の考え方は、吉本隆明氏が練り上げた思想的成果を、私なりに勝手に切り取って援用しているにすぎませんが、この分け方は、人間の心的領域を考えていくうえで、極めて有効なものだと私は考えています。詳しくはこのブログで改めて触れてみたいと思っています。)

 

脇道に逸れましたので、講座記録に戻ります。

 

「子供がお乳を呑むということは、子宮の収縮を良くするのです。・・・だから子宮の収縮の悪い親に、子供の後頭部に愉気を致しますとお乳を呑む力が増えてくるので、産後の経過が急に良くなる。・・・太り過ぎを調整する。膣周辺の緊張力を恢復するという意味がある。だから呑ませなければならないのです。」(11)

「母乳の最初の初乳という脂肪の濃いお乳は、体の宿便の掃除と同じように、通じる役をするのです。」(11)

「お乳を呑ませるのに初めから時間を定めている親がいますが、それはいけない。要求通り要求一杯に与える。初めはしょっちゅう呑んでいるが、段々飲む力が出来てくると、三時間目、四時間目と間隔があいてくる。時間も定まってくる。定まらないのは、親のお乳の量が足りないか、子供の吸う力が弱いからなので、親のは胸椎四番に愉気する必要がある、子供のは頭に愉気をする。お乳の量は呑む量によってだんだん増えてくる。」(17)

 

腸骨の締め方(実演)

腸骨の拡がっている方、どうぞここへ仰向けになって下さい。

Mさんの腸骨は右側が拡がっています。それを治すのには、右の手をこう持ってきます。真っ直ぐ左右でこれだけ差をつくる。これを腸骨の外へ出す。こう腸骨の前へ出す。同じ幅に開く。それで、こう曲げる。つまり右のほうが余分に開くわけです。開いて外へやると、腸骨が狭くなってきて、左右が揃う処があります。揃うところまでずーっと拡げます。この位置、持っている「パタ」。うまくいけば縮んできます。一呼吸待つ。ハイ、結構でございます。」(19)

「今の方法をポンと放すのに息を吐き切った時にストンと落ちるようにすればそれでよろしいのです。・・・これの前提は、L4、L1、D11,C7を前提として操法致します。C7,D11、L1,L4,C7、D4、D10,C7,D11,L1、L4。それが腸骨引き締めの前提としての操法の要る場所で、そういう処に硬結のあるうちは、今の操法をやっても引き締まりません。そういう処の操法をして、それらを除いて今の操法をやることが大事である。前提としての部分を整理して、整理がついたと思われる日にやる。しかし、いつでも必ずそうでなければならないかというとそうではなくて、月経の直後、排卵の日にそれをやると、腸骨の締めをやると、そういう処がなくなってしまいます。だからC7、D11、L1、L4という処に故障のある人は排卵日に腸骨開閉の操法を致しますと、そういう処が逆に治ってしまうということがよくあります。」(21)

 

上記に続き、乳腺の刺戟の仕方、赤ちゃんの便秘への対処の仕方、頭の形と性格、子供の斜視の問題と多岐にわたる話題がなされますが、これらは他の著作にも詳しく記述されていることですので、今回は省略させていただきます。

(終)