野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(11) 腸骨操法

野口氏は前回の高等講座の後半部分で、なぜ<腸骨>の変動に興味を持って観察してきたのかという理由を、次のような興味深い言い方で語っています。以下に引用しますが、こういう氏の語り口に、野口整体法の本質が垣間見られるような気がしますし、こういう講座だからこそ初めてこういう言葉に出会えるのではないかと、ぞくぞくしてくるのを感じます。

 

「更年期はいろんな悪い病気が沢山出る。そういう場合に(腸骨を)上げていくと病気が育っていく。下げるとなくなってくる。癌なんていうのは化月操法(腸骨を下げる)をするとなくなってくる。そして治りきるまで(腸骨を下げたままで)上げなければ治ってしまう。途中で上げるとまた異常が拡がってくる。だからそういう病気を調節する場合には上げることを急いではいけないということですが、化月操法をすると(病気の)回復が早くなってくる。そういうわけで回春も化月もともに操法としては必要な方法ですが、ただそういう特殊な場合を除けば、(腸骨が)下がっていれば老人になり、逆に上がっていくのは若くなっていくことですから、どっちかというと体を若くするように腸骨を上げるように操法の目標を定めるということは必要だと思います。」

「腸骨の動きはみな生殖器の問題に関連して参ります。分娩出産の問題に我々が口を出すのも、生殖器と骨盤(腸骨)との関連を知ろうとする興味の一つの現れであって、楽にお産をさせてあげようとか、良い子どもをつくるようにしてあげようとかいう親切の為ではないのであります、私は。ただ面白いんです。

分娩後の骨盤の変化、分娩前の骨盤の変化が、妊娠を通していろいろ変わっていく。変わりながら分娩の後それがずっと元に復っていく。そういうもどる過程で、妊娠から分娩するまでの経過、変動と同じことを、一気に(腸骨が)おこなうのです。分娩後二、三週間のうちに。

骨盤が分娩前に戻るのには、大体六週間かかりますが、そういう骨盤の収縮の変化速度の度合いによって、その変化がどのあたりのものかを判断できる。

だから、妊娠初期の頃から見ている人は、そういう変化をみることが興味深いのです。途中からの人はそういう一連の変化が比較して見えないので一向に面白くないのです。

私は、回復してい過程というもの、<回復の経路>というものが非常に面白くて、しかもその人の<体のリズム>や<体癖>を知るうえで非常に参考になる事が多いので、まあ親切な顔はしておりますけれども、実はそういう興味なんです。

 <回復の経過>という人間の体の動き、<体の波>、特に腸骨の回復の動き、腸骨のいろいろの動きというものが、妊娠・分娩時が一番よくわかる。結婚した場合からの(腸骨の)変化をみていると、もっと細かな動きがわかる。」

「L3、L4、L5、とくにL4と腸骨は私の興味の一番深い処で、それらを通すと、体全体の回復や、その体の滅びる時や、その体の動きが読めるのです。」

 

これら野口氏の一連のことばには、身体の変化を<愉しむ>ということの深い実感が込められています。人間の意識による注意・集注によってもたらされる素晴らしい贈り物がどのようなものであるのかを、われわれは野口氏のこれらのことばから知ることが出来る。

興味に導かれ、好奇心の赴くまゝに<意識>を対象に注ぎ込むと、<対象>はそれまで秘匿したままであった自らの肌理や表情を次第に露わにして立ち顕れてくる。これは人間が持つ極めて恵まれた特質といえるものであって、そうした資質を発揮した時、われわれは何ものにも変えがたい歓びを感じるものであるということが、とてもよく伝わってくる。

このことは、言いかえれば、人間というものは、<好奇心>に支えられてはじめて活き活きと生きられるということであり、<好奇心>こそは<生命>の躍動する状態であって、ひとたび<好奇心>というものを失ってしまえば、たちどころに<生命>を枯渇させてしまうということになるだろう。事実、野口氏は自らが好奇心を失うことを恐れるようなことばを、しばしば口にされます。今回の講義録から引用してみます。

 

「何十年もやってきて、相手の体の変化を読むことにかなり巧妙になってきたと自負しておりますが、人間が滅びる(死ぬ)時にはみな(腸骨が)下がってきます。(しかし観察によれば相手がまだ)滅びる時ではない、と見た時には、相手に多少の変動を覚悟してもらえるはずだというつもりになってきます。そこで(こちらも相手の)変動を覚悟して、大きいショックを与えます。ところが相手はその変動に耐えられないということが、時々生じます。相手の体にはそれに耐えられるだけの体力があるはずなのに、そのショックによる変動に精神的に耐えられなくなる人がいるのです。(それはこちらの誤算とも言える。)

ところが私は、体の変動をよく見ているという自負もあって、相手のそういう心理的な面を重視しないで、つい体の方ばかりに重きを置いて、一気に(操法に)乗り出してしまうということがあるのです。

私がやってしまう<失敗>というのは、そういうものです。相手の心の変動ということよりも、相手の体の方に力を、重点を置きすぎてしまう。私が<成功>するという場合も、同じ理由によっています。たとえ当人がヘナヘナの状態でも、その体にこういう力があると見れば、断固としてその体の力で引っ張っていく。そうすると相手は不安を持ちながらもついてきて、こちらが思ったとおりに良くなっていき、最後は相手もわかってきて安心する。相手の心よりも体を重視した結果の<成功>というわけです。

こういうように、時に<失敗>したり、時に<成功>したりしながらやっているから面白いといえるのですが、これがやがて百発百中で<成功>するようになって、それが当たり前になってしまったら、少しも面白くない。やがてそうなるだろうと思いますが、そうなってしまったら、それは私の整体指導をやめる時期だと思うのです。

最近は、これは成功したとか、これは失敗したとか思うことが少なくなりました。<それは当たり前だ>、<それはそういう経過だからこうなるのだ>というだけで、あまり激しく喜んだり、ひどくがっかりするということもなくなってしまった。ここ何十年間

は、興味一杯で追いかけて参りましたが、いまは大抵のことが<これはあの時のと同じだ>、<これはこうなったからこうなのだ>と自分の中でわかってしまっている。だからちっとも面白くない。時々<成功>や<失敗>があるので楽しめるが、もう少し経つとそれもなくなって、私が飽きる時が来るだろうと思う。まあ、人間の体というもの、人間の体が変わるということは、他のものに比べれば飽きることが少ないものなので助かっているということは言えます。・・・」(第十回講義録、17-19)

 

整体操法高等講座」を読む 11 (1967.7.15)

 

実習(前回の省略部分)

「仰向けになって、両脚を曲げてそれを肩に向けて押していきます。脚が胸につかない場合、脚の膝蓋骨を押しておろします。膝蓋骨をおろすのは、L3を刺戟する方法です。腰が強張っていたり、立った状態から腰を曲げていって手が床につかない時は、腰を押さないで悪い方の膝蓋骨を押さえて下げます。悪い方の膝蓋骨が下がっていますので、それを上げるのではなくて、もう一つ下に下げるのです。何度もそれをやると、下がっている膝蓋骨が上がってくる。左右揃ったらやめる。

それをやると、曲げた脚が胸にくっつくようになる。これが第一の準備です。

それから<恥骨の角>の処を上に持ち上げるようにちょっと押さえます。それから膝を下げて愉気します。

そして膝が上がったら、相手の脚の両側にこちらの膝を入れます。そしてこちらの膝を開くようにして相手の脚を開きながら、同時に相手の両膝を胸の方に押していきます。

そしてぎゅうっと開いていって、放す。そしてもう一度開いて、放す。

ぎゅうっと押さえると、相手は息を止めます。その止めている時には、いくら放しても駄目で、息を止めきれなくなって、吐く、吐いてしまってから放しても駄目なんです。ちょっと吐きに移ろうとしたと時にポッと放すと決まります。それをやるには、相手の体の動きをサッと感じるようにならなければ出来ません。また、いっぱいにやらなければ効果がない。

次に、相手の両足を少し伸ばした状態で、足首を持って捻りながら引っ張って伸ばします。その後、相手の呼吸が元に戻るまで待ちます。

脚を捻って引っ張るというのも多少のコツがあります。息を吐かせてしまうと重いんです。吸ってしまってもいけない。吸って後の吐いてくる六分目か七分目のところだと軽く動くのです。それが出来ないと効果が出ない。

以上が骨盤を締める方法です。その逆に、骨盤を開く場合は、これより簡単で、相手をうつ伏せの状態にしてやります。」

 

「腸骨操法

「前回、腸骨の開閉の方法を説明しました。それは極めて弱い、できるかぎり自然に沿って骨盤を締める方法でした。技術的な面から言うと、スパッと効く操法を選ぶのはあまり上手でない場合です。上手な場合には、いつ治ったか判らないような技術を使うことが大事であります。出来れば何もしないに等しい技術で変わっていかなければならない。今の世の中は効く技術、効く薬、効く何々ということだけを主張して、効果のないことは見捨てますけれども、効果のないものを使ってこなす効果というものは、効果のあるものを使う以上に、体の実質的な力を高めるものです。ですから理想は何もしないにちかいことである。効果の余りないことである。そこで前回の操法も、月経の終わった後、始まる前、自然に開閉する時期に開閉の操法をする、体のそうなる時期に乗せて行なう。分娩の後に、腸骨の縮んでくるそれに乗せて行なう。そういうように自然の波に逆らわない、という行きかたの方法として、前回の二つの操法があったのです。

しかし、今日説明しようと思いますのは、相手の条件の如何にかかわらず、腸骨が締まってくる、少し強引な乱暴な方法であります。・・・

技術にも、一方で相手の体の自然に添ってそれを使うという、効果の緩慢な、高等の技術があり、これは体の修繕整理するための技術ですが、他方で、相手の条件にかかわらずコツさえ得れば、指で押したり放したりしてできる技術というものもあります。

体を実際に治す場合には、相手の体の自然にどこまでも沿っていくことが必要ですが、後者の場合の技術というのは、そういう意味ではまともなものとは言えない。熱が出るには出るだけの理由があるのであって、ただ下げればいいと言う訳にはいかない。

ただ、整体操法の技術として、強く効くという技術をあることは知っておいていい。知っていて使うことを避けるということはいいが、知らないで使えない、というのでは都合が悪いだろうというふうに思いますので、その説明をいたします。

具体的には、<急速に腸骨を開く方法>を説明します。

L4が毀れてヘルニアを起こす人の場合、それは腸骨の位置異常によるものと言える。その場合、L4を対象に腸骨を調整するということは可能です。」

 

(ちょっとここで、引用者からひとこと。私の引用は、どうしても長くなってしまいます。その弁解をしたいのです。もし私が、上記フレーズを簡潔に要約してしまうと、< L4が毀れてヘルニアを起こすのは腸骨の位置異常によることが多いのでL4を対象に腸骨を調整する>というふうになると思います。しかし、これだと野口氏が重層的に説明したことの一面しか要約していないことになります。その操法が、どのような場合に必要であり、どんな場面では好ましくないかという説明が抜けてしまう。技術にも二種類あって、いま説明しているのはこういう特殊な場合の事である、ということも抜け落ちてしまう。そして何よりも、今何のためにその操法をするのかという肝心の事も抜け落ちてしまう。だからそうならないようにしようとすると、かえって口述どおりに記録することよりも、要約しようとして余分な説明を加えざるを得なくなった分、冗長にならざるを得ず、結果として原文よりも長い説明文になってしまうということも生じてしまう。それでは何のための要約引用かが分からなくなってしまう。こうしたことを恐れる為に、あるいは理解の行き届かないところをどう処理すればいいのか、そしてもちろん著作権侵害のことなども含めて、いろいろ葛藤しながら、この作業を進めているのが現状です。野口氏の息遣いや、その言葉に含まれた言外の意味を取りこぼさないようにと考え込んだりで、ブログ作成の時間がかかった割には、原文のまま引用した方が良かった、と反省することも多いのです。高所に立って分析しつつ紹介する、という引用の仕方ができない非力ゆえの私の悩みでした。そしてこの悩みはどこまでも続きそうなのです。まいったな。)

 

「腰が抜けて動けないというような場合の処理や、太った体を痩せさせるという場合に、こういう技術が使える。相手の自然の動きに沿ってやっていくとなると、相手の人の力がなかなか出てこない。自然に沿って普通にやれば二年間はかかる。しかし、今回の技術だと、急激に痩せる。一週間で4キロから6キロ痩せる人も少なくない。一回やるごとに2キロぐらい減ってくる。そのかわり、何回もやると痩せすぎてしまい、痩せるのに皮膚が追いつかなくて皺だらけになる。・・・

骨盤異常で腹水がかなり溜まった人がいて、骨盤を締めましたら13キロ減りました。骨盤が狂うと、脂を捨てたり水を捨てたりが不十分になって、太ってしまうのです。それを締めると痩せてくる。そういう場合には相当慎重な注意が要ります。その人の場合も、一気にどっと痩せたら死んでしまうと思います。やはり、残る処がなくてはならない。残ると今度はまた太ってきます。それから徐々に痩せていく。美容の為に痩せさせる場合でも、4きろから6キロ減ったら、ひとまず休んで、それからまた太ってきて、6キロ痩せた人だったら4キロ、4キロ痩せた人だったら2.5キロ、つまり三分の二戻ってきたところでまた引き締めの操法を行なう。また痩せて、三分の二戻ってきたところで、今度は前回紹介したtような緩やかな操法を行なう。そうすると、増えないがあまり減らない。だけども何か月かすると段々減ってくる。そうしてすっかり減る、というようなコースへ導いて参ります。そういうようにしないと、一気に痩せたままだと、反動的に太る時期がある。あるいはもっと上手に効きすぎると、どんどん痩せてとめどが無くなる。そしてその為にいろんな病気になるという人も時にはあります。だから技術の使い加減というのは難しいので、一般には説明したり、紹介したりすることが出来ないのです。しかし、一応知らないということでは慎むということができませんので、<知って、やることを慎む>ということをお考え頂きたいと思います。」

 

練習ー腸骨を開く操法

うつ伏せで、腸骨を拡げる。これは太らせる方法です。捻り具合にコツがある。脚はただ膝の上に乗せて、動きの合ったところを使えばいい。転がってフッと開いた時に叩く。自分の脚を開いてそれにくっついた時では駄目なんです。転がるようにしてフッと開いた時を使う。本式にやる場合は、予め腸骨周辺の調整をやっておきますと早く変わってきます。

今は夏ですから、ほとんど今の腸骨周辺のそれをやらなくても動きます。夏は簡単な刺戟で拡がる。ですから冬はやらなくてはいけないが、夏はやらなくて結構です。余り気負ってやると本当に太ってしまいます。そうすると今度は締めるのにとても骨を折るんです。素直に締まらないんです。呼吸器の風邪を引くとか、喘息の発作を起こすとか、下痢が続くとかして縮んでいくのです。拡がる時は黙って拡がるんです。ですから注意しておやり下さい。恰好だけ真似るように。これは化月操法の一種ですから、できるだけゆっくりして下さい。

L4の二側が弛緩している側を、今の操法を致します。多くこれが弛緩している時には

 下垂しております。だからこの坐骨の下縁が下がっております。下がっているのが極端な人は、小便系統に異常があります。両方下がると、老人になっております。

だから上がっている方を、今の拡げる操法をすれば、確実に老人にする操法として使えます。

ここでの練習は、腸骨を開くだけで、老人にする目的はございませんので、弛緩のある、下がっている側をやります。下がっているもの多くは、開かないで縮んでいるようにみえて下がっている場合です。だから腸骨の外縁でみないで、下縁でみます。

 

今説明した開く操法は、実は肝腎な処をわざと除いて説明してありますから、皆さんが相当強引にこれをやっても心配しないで大丈夫です。太りません。だから私は悠々として見ていたわけです。そうでなければハラハラして、もっと歩き回るのですが、どうせ効きっこないと思っていたから悠々としていられた。

 

実は、こういう操法を効かせるための急所があるんです。それはこの操法を行なう前に、うつ伏せにしたままで、足の<小指を引っ張る>のです。それと<膝の真後ろを押さえる>のです。

膝の真後ろはL4と関連のある場所で、睾丸炎や卵巣炎の激しい痛みは、ここを押さえると止まります。性欲がストップするとここが硬くなっている。だから膝の折り曲がりが悪くなって、それが腰に影響して曲がってくる。つまり膝から老衰すると言うことも出来る。老衰というのは膝の弾力が無くなってくるんです。

膝のバネがなくなってくるのは内側が硬くなり、ひどい場合は腫れてくるが自分では気づかない。その簡単な調整法は、膝蓋骨を下へ下へと降ろすようにするとなくなってくる。

膝の真後ろの押さえ方ですが、膝を曲げた時に一番曲がった処に手を当てます。降ろしますが落ちない。相手が落とそうとすると痛い、その場所が正確な場所です。今度弛めて降ろして、足をちょっと押さえておく、そして押さえる。触るのはちょっと触るだけで、触れている程度です。これをやっておきますと、今の操法が開くのに効果を発揮するんです。これを先にやる。

この今の拡大操法のあべこべは、逆側を今のようにちょっと押さえておくと、あまり効果を発揮しなくなります。膝を先にやっておかないとそういう効果はないということです。

小指を引っ張ると、膝を押さえた時に、もっと痛く感じる。それを平気でこらえている人がいますが、小指をちょっと押さえておくと、頑張っててもすぐに痛くなるんです。

力をギュウギュウ入れれば痛いに決まっていますが、ちょっと触る。急所を触って痛んでなくてはいけない。触れただけで痛く感じる。ギュウギュウ押して痛いのでは意味がない。力を入れないで触るだけで痛いという処を見つけることが大事です。

 

今の場所は生殖器の急所でして、そこに脂がたまって厚くなっている人は、自覚するしないにかかわらず、生殖器の異常がございまして、それが或る年代から急に出たという場合は泌尿器の故障や、従って脳の血管の異常と考えなければならない。

急にではなくてずっとそこに脂があって厚くなっているのが続いている人は、特別そういう必要はございません、脳溢血の心配をする必要はございませんが、それでも生殖器の異常のあるものと考えていい。不妊症や出産がスムーズにいかないような人は、みなそこに特殊な脂がたまっています。

突然起こるのは、そのあたりから老衰したということであり、その場合には頭の警戒を要する。

私が出産指導を致します場合に、膝の後ろを押さえて、その反射状態をみまして、普通に反射している場合には、これは無事に産みうるもの、そうでない場合には鈍いものと分けて、それを標準にして区別しております。大体今迄のところ間違いはありませんでした。相当いろいろ悪い条件があって産めそうもないという状態でありましても、膝の

後ろがきちんとしている人は、結局は大丈夫でありまして、だからその辺に標準をつけたらよろしいのです。

卵巣炎や睾丸炎の場合に、それをピタッと押さえると痛みが止まります。そういうように痛みを止めてみると、急所はここだというのがお判りになるのです。すぐ判る。一分半か二分ぐらいまでの間に痛みは止まります。急所を外していますと、いつになっても痛みが止まってこないのです。

ただこれは睾丸炎などの痛みを止める急所ではなくて、<腸骨を動かす急所>なんです。ご承知の通り、我々の操法には、睾丸炎を治すとか、風邪や肺炎を治すとかいう方法はございません。同じ肺炎でも、肋骨が下がってなるのもあれば、D3、D4が悪くて、あるいは鎖骨が移動してなるのもありまして、そういうのを一様に肺炎として考えるのは不適当でして、やはり体の能力を発揮するのには、ここが邪魔をしている、こっちが邪魔をしていると考えるべきで、究極は<相手の体力の発揮>ということであります。だから睾丸炎の場合だと、腸骨の変動を起こす場所をはっきり知るために、その痛みを止めてみるということが意味があるわけです。

小指を引っ張るのは、ちょっと痛い時に、足を上げて耐えるようにするために小指を押さえる。だから手や何かで逃げてしまって、膝を持ち上げて逃げないという場合には、強すぎる場合か、そうでなければ相手の反射運動が他に起こり易い場合なのです。

それによって体癖を知ることも一つの方法ですけれども、一応小指を引っ張っておきますと、膝で逃げるようになる。上げて逃げたものを押さえる、ちょっと戻すと強く感じる。上げていたのでは痛くない。それをちょっと押さえると痛みが出てくる場所をつかまえればいいのです。

その場合にはL3、L4に緊張が激しく参ります。L3、L4を押すよりはその方が効果があります。そういう機能が鈍い場合にはL3、L4が狂います。膝がガクガクするという感じになります。膝がガクガクしたり、膝の力が抜けて来たりというのは、皆L3、L4の力が無くなり出してきた、つまり一種の老化現象であります。老いると下がってくる、それをちょっと刺戟を加えると上がってくる。そういう上がる力を呼び起こしておいて、腸骨操法を行ないますと、きちんと腸骨が開いてくるのです。やってすぐ開くのではなくて、翌日そうなれば一番確かです。その確かめを行なってください。

あとで確かめてみて、腸骨が上がるのではなく、下がっていれば失敗です。失敗した場合は、やったことを帳消しにする為に<足首の回転>を致します。

やり損ないは、腸骨操法したあと二、三分経っても腸骨が上がらないでいたら行います。

 

実演 足首の回転

手で強く押さえた場合は別ですが、いろいろな失敗を元に戻す、元の戻すと同時に、頭の働きをキチンといたします。そういう為に、操法に時々使います。やり過ぎた時、失敗だと思った時にはやる。そして成功したと思った時には、頭部第四をジーっと愉気をする。これが着手と終わりと結びの問題です。

回転は足首を固定して動かさないで、というのは一つの技術です。上体が動くように回す。どうぞおやりになって頂きます。

これは高等講習ですから、しかし皆さんの力を率直に言いますと、腕力は確かにあるんです。だけど腕力では、最小の力を使うというそれがない。それで、わたしのやったのを皆真似ると、腕力だけを強くしてしまう。やはり最小の力でやっていくということを前提に考えなければならない。

どうも皆さん共通して、腕力の使い方が強くて、技術的な力がないのではないかと思う位です。五、六人の人が上手に行っていますが、あとの方は足首を回すのでも、私からみればおざなりという言葉が使える。私のところにいる研究生なら怒鳴りつけられるところですが、下手だから講習に来ているのだと思うから辛抱して見ておりますけれども、なかなか辛いものです。中等や初等の場合には、そういうものと思って覚悟は定まっていますが、せめて高等の人は、多少は素人と違う、腕力でない技術的な力の使い方を覚えて頂きたいと思う。みんな自信があるんです。そしてみんな<痛い>というところまでやろうと思うから、つい腕力が出るんです。相手が痛いからいい、痛いからいいのではなくて、痛くなくて治ればなおいいのです。ただ異常があります場合には、それは痛みに感じる。相手の体が過敏な為に痛みに感じる。だけども特別異常がない相手を練習の対象にしておこなう場合に、そう痛むわけがないのです。

そこで練習の相手にする人達を強く押さえて痛く感じさせて、それを標準にして、本当の、ただ触っただけでも痛い人に対して、ギュウギュウ押さえてしまえば、毀す率が高いように思うので、痛いとかなんとかいうことよりは、技術的な力を発揮しようとすることをお考え頂きたいと思います。

そのためには、第一に<構え>の問題があります。足首を回すのに、どこの位置に坐っているか、技術というのは、最初に<構え>に現れます。<技術的な力>というのは、押さえた時に相手の逃げていく力を、いつでも先回りして押さえていく。それが<技術的な力>を発揮させる理由なのです。

<構え>に無関心の人は、両方で押さえてしまう。片方で押さえれば、大抵は逆の側に逃げるのですが、両方で押さえるから上に逃げるしかなくなる。そうすると要領を得ないのです。

逃げというのを防ぐのが技術の要素だということは中等の終わりで何回も練習したと思いますが、それを忘れてしまっている。

 

ここでしばし再ポーズ。更新回数がすごいことに。今回は遅々として進まない。書き始めから一週間を超えてしまった。読者の方にはご迷惑をおかけしたことをお詫びします。でも、嬉しいことに一昨日、ひょんな場所からから「整体操法高等講座」の分厚いファイルが二冊、ひょっこり見つかって、俄然やる気が出てきました。この講座は第十一回までしか手持ちにないと思い込んでしまっていたので、見つけた時は飛び上がって喜びました。余りに前に読んだことだったためなのか、はたまた記憶力の劣化のためなのか、この十一回を最終回として書き始めてしまったのでした。でも、まだまだ当分の間は、このシリーズを<愉しめる>そ、と思うとすぐさま「最終回」という文字を削除し、更新したのです。

そんなこんなで、やっとのこと<足首の回転>のくだりを読みだしてみると、そこには受講生を前にした野口氏のやさしく哀し気な言葉に出合い、いきなり脳天をぶっ叩かれたような衝撃を受けたのでした。

「高等講習なのに、なんでそんなことも出来ないのか」「もうやってられないよ、見てられない」という叱責の言葉でした。まるでわたしもその場に参加していて、そこに流れるピーンと張りつめた緊張感で縮みあがったように 感じられたのでした。

続けます。

 

中等講座でやったことを忘れたというのは、普段の練習にそれが行動として入っていないのだということである。こうやればここへ逃げる、そこへ力を逃がさないような角度をとってやります。だから伸ばした角度によって開き加減を加減しているという人は、これは技術で逃げを防いでいるのです。開きを広くして、逃げを防ぐ、そうでしたね。相手の逃げの状態で角度をとっていく。それが出来なければ、それがすぐ触ったときに感じで判らなければ、まだ高等技術を会得しているとは言えないんです。もっともこれは卒業してからそういうことを会得すればよろしい問題で、まだ途中ですから多少そういうミスがあってもしょうがないとして、卒業しないうちに多少その<におい>だけでも嗅がしてくれれば大変安心なのですが、その<におい>もないでしょ。本当に心細いです。

五、六人の人はそういう<におい>はございましたけれども、それでも逃げを防ぐという、それが意識しないで無意識に、こういう角度で一番抵抗があるというのがとれればいい。力でやる訳ではない。角度で開くか締めるか、その角度ぐらいはやはりご自分で見つけて頂かないと、技術を生み出す力をつけようとする講習では、全部教えてしまったのでは作り出せないのです。道筋は教えましたから、あとはそれを黙っておりますが、自然にそれが出てくるようでなくては本当でない。

まあうまくいったのは普段数多くやっている人達で、それは自然に出ております。ところが数をやっている筈の人が、それが出ていないのを見ると、熱心に勉強しているのか、一人ひとりやるのに、これを勉強のつもりで、練習のつもりでやっているのだろうかと、ちょっと疑念にかられます。

余りに忙しいと、それに追われて上手にならないのです。私も百五十一人やってきてもまだまだ余力はある。翌日はかえって調子がよくて、百五十人でなくて二百人まで出来るな、とそう思ってやるつもりでおりました。だけども将棋をやると負ける。判り切ったところにミスがある。レコードを聴いてもイライラしてしまう。百五十人やろうとすると、要点は喋らないことなのです。自分で喋らないというのではなくて、相手に喋らせないことなのです。相手が一言喋ったら、もう時間切れです。三分間というのは実質の三分間なら安易ですけれども、挨拶、坐ってから歩いてきて、お辞儀をする、これで下手をすると一分を越す人があるのです。・・・

<構え>をやると自然に決まるのです。肘を体から出来るだけ離さないようにやるというのが整体操法の<構え>の第一です。

腕力的な力は体の表面にしか伝わらないんです。技術的な力は、ポッと当たると、強くなくてもそれが強く感じ、中へぐんとしみ込むのです。弱い力でも、気が集まっていると、ずっと奥の方まで力が沁みとおって、それなりの快感があるのです。・・・

操法する場合に、練習でも実際にやる場合でも、<構え>をきちんとして、そうしてスタートする。ただ、そういう体の<構え>以外にも、<心の構え>ももちろんまとめておく必要がございます。

(終)