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「整体操法高等講座」を読む(13)子供の操法(1)

整体操法高等講座」(13)1967.9.5 

「子供の操法」(要約)

これまで、操法をやる迄の問題をずっと話してまいりましたが、これから実際に操法をどうやるのか、についてお話ししようと思います。

最初に、生まれてから四歳前後までの子供にはどう操法するかについてです。

子どもは大人の小さいものとしてではなく、大人の成長しない状態、大人よりももっともっと成長する力を体に持っている生き物として見るべきで、いろいろ特殊な条件を持っている。

生まれた当時は、体の自然の保護力が強い。大人なら毀れてしまうようなショックにも耐える力がある。考えているよりもずっと抵抗力が強い。しかしその逆に、非常に弱い面もある。

特に、<皮膚の問題>。皮膚は、免疫を作る特殊な働きがある。皮膚結核をやると臓器の結核が治ったり、皮膚がんをやると臓器のがんがすうっと減って来たりする。

また、皮膚は臓器の影響をすぐに知覚変化として報告する。

子どもの場合、皮膚は体温の鬱散を図るのに重要な役割をもっている。

整体操法において、子どもに対しての特殊性というと、その皮膚能力についてのものです。暑くなれば体に熱が集まるので、その鬱散の為に汗が出ます。大人は汗が出過ぎても、出せなくても大体平温を保てますが、子どもはうまく出せないと、体温が急にドカッと上がります。乳児の場合など39度、40度まで高くなることがあるが、それは必ずしも病気の場合とは言えないで、ただ体温の鬱散がうまくいかないということも多い。

子どもの高熱には、そういう見方も必要です。

汗をかいた赤ん坊を、汗をかいているからと風の通るところに寝かせていたら、急進性肺炎をおこして死んでしまったということもある。

赤ん坊の皮膚は、大人の皮膚のように汗を出したり引っ込めたりという融通がうまくいかないのです。体温を調節する機構が大人よりも少し鈍いのです。

だから発熱しても、いちおう生理的に正常なものと仮定して処置をかんがえてみて、そのあとで病気に対する発熱の問題を考えても遅くはない場合が多い。

 

子どもを見る場合には、皮膚が大人と違って特殊な働きをしているので、まずその皮膚を見る。

子どもの成長の、特に神経系統の成長のピークを見つけることが必要で、そのピークに乗って操法ということを考える必要がある。

成長の速度が非常に速くて、大きな波を持っている。たとえば、言葉を覚え始める十一カ月から一年三カ月の間が第一回のピークです。このころ脳膜炎に一番なりやすい。そのころの赤ん坊の頭は非常に発達していて、血のめぐりがいいから、結核菌でも何でも運んでしまう。そのピークがおさまって、次のピークが三歳から四歳にかけてきます。この時期には自家中毒や痙攣が非常に多くなって、簡単な食中毒でも痙攣を起こすとか自家中毒を起こすとかする。こういうのは子ども独特のもので、大人になればそういうのはなくなってしまう。しかし、同時にこの時期は、疫痢とか伝染病の罹患も多く、また毒の廻りも早いので注意が要る。その次のピークは八歳。

成長がある処に急激にいくので、その度合いが高まるときに、体は一番弱くなる。

そういうピークに子どもが伝染病にかかると、一番重い。同じ体でありながら、経過が悪い時期と、非常に簡単に経過してしまう場合とがある。

しかし、経過が悪くて重いから、体が重い病気をやっているとは限らない。軽いからといって、次も軽いとは限らない。だから、子どもを操法する時は、そういった発達のピークを見つけることが必要になるわけです。

視力は生まれると間もなく発達し始めるが、生殖器は発達の完成までには二十五年かかる。赤ん坊の体には成長の早い部分と遅い部分がある。丁寧にみていくと、足でも手でも右が伸びたり、左が伸びたり、手が伸びたり、足が伸びたり、みなそれぞれ別個の成長を遂げている。ふあっと公平に成長するわけではない。

だから子供の操法には、成長の傾向を見極め、それに適した操法を考えることが必要なのです。大人の体は、その点過去の残骸でただ生きているだけのものと言えます。だからみんなに同じような操法をしてもそうは違わない。

しかも二十二、三歳を越したら、もう死ぬ専門で、崩れる方向にだけ向かって、惰性で生きているだけですから、体を見るよりも病気のほうを見なければならない。

子どもの場合は、徹頭徹尾<成長しつつある体>、<成長しつつある命>として見る。それは外界に適応していくために鍛錬している体ということである。

子どもの病気は、治せばいいというだけのものではない。それは成長の過渡期の状態、発達していく過程で生じる正常な経過であり、それを見ていく。

発達の過程としてそういう異常状態が生じる面がある。大人の異常と違って、そういう発達過程の異常というものがあり、それを発達のコースとして処理すべき面が多くあるのです。

たとえば子供の時の耳下腺炎は、その経過が十分でないと、大人になってからインポテントや不妊症になることが多い。大人の睾丸炎や卵巣炎が、耳下腺炎の余病によるということは判っていることですが、大人のそういう病気に対して、耳下腺への愉気が非常に大きな意味を示すのです。だから子供の時の耳下腺炎に愉気してちゃんと経過しておけば、大人になって問題がない。

だから、子どもを操法する時は、いつでもその成長を促進させるため、あるいは停頓しているものをスムーズに成長を続けられるようにする為に行うという事が大事です。その場合、特に子供の<皮膚>と<神経系統>が問題の中心になります。

神経系統の働きが皮膚に微妙に反映してくる。皮膚の変化が、子どもは大人と違って非常に敏感である。

大人なら厚着をしていても汗が出るのに、子どもは暑さに耐える力がある為に、かえってその耐える力によって、自分の体を毀すという事が生じてしまう。つまり発熱してしまう。その発熱を下げようとして冷やすと、こんどは異常を起こしてくる。発熱したらその厚着を弛めれば済むのに、汗が出ないままの状態で冷やそうとすると、毀れてしまう。

こういうことは、説明し始めると一日中かかってしまうので、とりあえず<子供は大人の小さいものではない>ということ、そして体の異常は、病気というより<成長のつかえ>であることが多いという事、だから用心したからその異常にならないというものではないこと。ともかく<大人と違った経過がある>ということを念頭に操法することが必要です。

子どもの操法は、故障した処を対象とするのではなく、<成長の閊えている処>に向かって、成長を促すように操法する。<故障した処>と、<閊えた処>があったら、まず<閊えた処>から治し、<故障した処>が自動的に治るように仕向けていくようにする。

 

成長が閊えていると、子どもはイライラしたり、気が散ったり、八つ当たりしたり、体がだるくなったり、陰気になったりといろんな変化を起こします。だからそういう変化を<成長のつかえ>と結びつけて考えてみることも必要になります。

言いたいことも言えないという場合に、皮膚のどこかに伸び縮みの悪い部分があったりします。それが伸びるようにしたら、気性迄変わったという事もあります。

内向的になって行動がももたもたしているという場合、お腹が小さくなっている事があります。それは神経系統の発達が早いということですが、大人がつべこべといろんなことを教えすぎてしまった結果、不決断になって、腰の伸びが悪くなり、気性が内向したという場合もあります。腰の伸びを良くすると、陽気になり、決断できるようになる。そうするとお腹も大きくなってくる。そして以前の幼児的な傾向が出てくる、そしてお腹が縮んでくる。

胸椎十二番の骨が腰椎一番のほうにくっついていると、法螺ばかり吹くようになる。それを調節するとノーマルになってくる。ワイワイはしゃぎすぎるという場合は、小便が閊えているとみて、D10の曲がりをに愉気するとおさまってくる。

子どもの性質をよく見ていると、どこが悪いかも判る。そうなればどこを治せばどういう性質が変わるかも判る。

つまり病気を治そうとする考え方よりも、そういう未成長のところの閊えているものの動きを誘導する、そうすれば病気があっても自然に治ってしまい、子どもの性質が歪んだとしても、そういう誘導で治っていく。大人と違って、<毀れている処を治す>と考える前に、<成長のつかえ>を調整する。

成長には、ピークがある。神経系統の成長でも、胃袋の成長でも、眼の成長でも、みんなそれぞれのピークがある。だから無理に子どもを大人と同じようにさせようとしない。

子ども大人並みに扱ったってだめなんです。子どもは全部成長の過程で不完全な状態なんです。それなのに大人が聞いても判らない様な理屈をくどくど言って、大人並みに扱おうとするのは間違っていますね。大人の嘘をたしなめるようなつもりで、子どもの法螺を治そうとしたら、それは治らない。かえって法螺を嘘に変えていくことを覚えさせるだけである。そういう場合は、D4の硬直部分を治すようにすると、そういう嘘はつかなくなる。そのかわりに憶病になってきます。<臆病>と<正直>、あるいは<臆病>と<真面目さ>とは同じものなんです。<真面目さ>も度を越すと<臆病>に近づくことになる。<死に物狂い>というのは<臆病>の代表的なものと言える。

 

大人でも成長の不完全が残っている人がありますが、子どもはすべて不完全で成長過程ですから、その成長のピークの頭の時機を使って、それぞれの成長の系統を調節する。そうやって、子どもの性質を治す、気性を治す、体を治すよいうように操法を行ないます。

異常を対象にしない。仮に異常があっても異常箇所を押さえるのではなく、<停頓箇所>、<発達の閊えた箇所>を押さえる。

閊えが最初に現れるのは、<頭部>です。<頭部>の動きと子供の成長とは関係が深いので、まず頭から見なければならない。

頭の形は、大人でも自発的な意思を全く持たないような状態の時は、その片側がべそッと削げたようになっています。子どもでも同じで、自発的な意志を起こして、自分で何かし出すと、そういうのが丸くなってきます。他人に寄りかかってばかりいる人の片側はぺしゃんこになっています。逆に、絶え間なく自発的な意志で細かく動きすぎるような人は、<頭部第二>が弛んでいます。そしてそういう人の自発的な意志が抜けてしまうと、そこが強張ってきます。<頭部第二>は、感情抑制に関係している。

後頭部が萎縮しているのは、感情が豊かに育っていない状態。後頭部が絶壁になっている人は、感情が突然変化する。感情と意志が頭を経由しないで、直接出てくる。動物に似た感情の動きで、パッといきなり変わる。突然人を傷つけたという人に、後頭部が絶壁になっていることが多い。それは<頭部第三>部分の萎縮とつながっている。

 

大人でも頭は変化しますが、子どもはさらに大きく変化します。

だから子どもの頭の変化にまず注意する。形でも何でも、判るようになってからでは遅いんです。愉気を致しますと、頭の一部分だけが弛んでいる、脂がくっついている、あるいは乾いている。そういう部分があります。頭のそういう部分にまず愉気をするということが大事です。そういう処は、お腹の硬い部分と関係がありまして、お腹にそういう硬い部分がありますと、頭には弛んだ処があるのです。お腹が弛んでしまっている時には、頭に萎縮して硬い部分がある。

子どもの場合の操法は、どういう病気であっても、まず<頭>と<お腹>に愉気をする。愉気をしながら、頭やお腹の観察をするのです。

 

実習(頭部調律点の観察)

今日は子どもがいませんので、組んだ一人を子供に見立ててやって頂く。頭の骨はしょっちゅう動いています。その上の筋肉はさらによく動きます。筋肉の動きにごまかされないように、骨の動きを見ます。顔の表情を見れば、相手の状態はすぐに判りますが、頭の骨も、慣れてくると同じように判ってきます。

骨の動きと筋肉の動きを見て、あいての現在の状態が観察できますが、今日は骨の発達状態だけを見ます。そうすれば、その人の子供のころの状態も想像がついてきます。

腹を立てると、頭部の第二が硬くなる。強情になっている時は、第四だけが張ってくる。何かに頑張っているなということが判る。

赤ん坊は、掴まえたものを放すことが出来ないような場合は、第三が硬くなってきます。第三は、感情を抑圧した場合飛び出してくる。第四は、行動が衝動的になる場合。

そういうことを確かめ合って下さい。

そして、家で子どもの頭を三日なり、四日なり続けて観察してみて下さい。子どもの場合は、筋肉も一緒に見るように。毎日変化していることを、よく確かめて頂きたいと思います。今日はこれだけに致します。

(終)