野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(14)子供の操法(2)

野口氏はこの高等講座の第13回で、整体操法の原理>について次のように語っています。なぜ野口氏が、生理解剖学の知識や、東洋医学の<経絡>の知識を徹底的に学んだうえで、それらに自らの思想・技術の根拠を置くことなくそれらを<捨てた>のかについてです。この<捨てる>という思想的態度、それは解剖学や経絡の知識を徹底的に解体して新しい<原理>を打ち立てるということです。そこにこそ野口氏の整体操法の<原理>というべきものがあると言えると思います。

野口氏がそれらを捨てて人間の<運動系>というものに焦点を当てるようになったのは、<運動系>こそが、<いま、目の前にいる具体的な個人のからだ>を見る場合の、最も依拠すべき根拠を与えてくれるものだという確信を得られたためだと思うのです。

人間の裡に息づく<原始の力>、あるいは<生命>というものは、もちろん直接見ることも触れることもできない。しかしこの<原始の力>、<生命>というものは、生きているもの、成長するもの、繁殖するものすべてに存在しているものであって、そういう<原始の力>以外のものではどうすることもできない世界がある。間接的にとはいえ、端的にそれを表現しているものこそが<運動系>なのだ、という確信を得たからだと野口氏は言っているのです。

この<原始の力>の焦点を合わせ、その表現である<運動系>をじっと観察する。そのうえで<要求と運動>や<運動と潜在意識>の関係を考え、<体運動の構造>とその<変化>を微細に見ていくことによって構築されたのが整体操法である、と。

 そして<見える処の動きだけを見る>ということおこない、その<見える処の悪い処だけを調節する>、ということだけをやってきたのが整体操法である、とも。

 

ここに、他の手技療術などとは異なる、整体操法の独自性やその<原理>があるといっていいと思います。

それは野口氏自身が述べているように、<見ようによっては、非常に非進化的なやりかた>であり、<突飛な発想>と映るものであったはずです。そう映るのは、「これは解剖学的構造によってそうなっている」とか、「<経絡>によればそうなっている」とか、いろいろな説明を勿体をつけながらすることのほうが明らかに説得的に見えるからです。

しかし野口氏にとっては実際に技術を運用してみると、そうした説明や、それらの知識が先入観となってしまい、<てんでおかしな結果を引き寄せてしまいかねない>ものだったと実感したのです。

過去の知識のみにしばられると、先入観が働いて、<見えるはずのものも見えなくなる>といったことが起こる。それでは、過去に行われたこと以上のことは出来ないし、過去の専門家を超えることも出来ない。

そこで整体操法制定に際して、<運動の失調状態を正常に戻す>という、これまで誰もやってこなかったことをやり始めた、と言うのです。

そして実際にやってみると、今まで治らないとされていたものが治ったり、それまで出来なかったことが出来るようになった。だから解剖学や<経絡>理論というようなものに依拠することなど不要になった、と言うのです。

そして、「やる以上は、<新しい原理>をつかまえ出してやらなければならない。私は、そういう<新しい原理で見る>ということをやり出してからは、人間の体の動きや変化を見ることが楽しくなってきて、丁寧に、綿密に、細かく見ることが出来るようになってきました。」

 

この一連の野口氏の述懐に、私は芯から魅了されます。

親鸞が、その師法然の教えに震撼し、<この師なら、たとえ騙されたとしても、どこまでもついていきたい>と決意した。その心情が、とてもよくわかる気がしてきます。

 

さて、<神(真理)は細部に宿る>と言われますが、この<高等講座を読む>シリーズも、ますます細部に分け入った地平を展開してくれています。気おくれなどしないように、忠実に野口氏の<ことば>を<愉しむ>ことに徹しなければ・・・

今回の講義で、見落としてはならないことは、子どもの<耳下腺炎>の不十分な経過というものが、大人になって男性だとインポテンツに、女性だと不妊症につながるという野口氏の経験上の結論そのもののことであるよりも、野口氏がそのような結論に至った実験的観察の方法にこそあるといえる、という事だと思う。

われわれは、ともすれば野口氏の結論をそのまま一つの知識としてのみ受け入れるということで済ましがちだ。しかし、そんなもったいない受容態度は、講座を<読む>と言うときの正しい読み方とは言えないだろう。大事なことは、野口氏がどのようにしてその結論に至りえたかの解体の<方法>をこそ学んでいくべきだと思うからだ。野口氏の思想や技術を一片の知識としてのみ受け入れたあげくに、それらを薄っぺらな先入観にしてしまわないようにするためにも・・・

それは、I先生がいつも私たちに仰っていた、<野口整体法は病気治療の為のものではなく、何よりもまず生き方なんです>ということとも深く関係する問題であり、整体法を学ぶための<学び方の要諦>だと深く納得させられる課題でもあります。

前置きがまたまた長くなってしまいました・・・

 

整体操法高等講座」14 1967.9.15

「子供の操法(2)頭部の見方」(要約)

 

子どもは、大人に比べて環境の影響を受ける度合いが強い。だから暑さにも寒さにも弱い。余分に温めると、熱が出てくる。服を着せすぎたり、布団を掛け過ぎたりするだけで熱が出ることがある。大人より発散する度合いも強い。成長しつつあるそのコースを動いているから、そこで病気をすると、成長する方向が歪む。

だから子どもを操法する時は、<環境を調節>し、<成長する傾向>をみる。

 

耳下腺炎

耳下腺炎は生殖器の成長する時に起こってくる。その時期に耳下腺炎をやり損なうと、生殖器の発達が行われない。そういうインポテントや不妊症と耳下腺炎との関係がわかっていると対応は異なってくる。ただ腫れて引っ込むという軽い病気のつもりで経過させると、後になって冷えた処が硬くなって、腫れた痕が硬くなってくる、そうすると発育が行われない。二十年以上経ってから生殖器に異常が出る。大人の耳下腺が硬くなっている。それに愉気すると改めて発達してくる。

 

わたしはそれを見つけた当初は、生殖器の発育が悪いのを治す処と考えてやっていた。これは考えている以上に的確な変化をもたらしていました。

耳下腺の硬くなった処への愉気と、仙椎の四番の刺戟をした。女性の場合は、仙椎の二番も追加して刺戟をした。そうすると、後頭部の凹んで萎縮した処もだんだん丸みを帯びてくる。丸みを帯びてそこが柔らかくなりだせば大丈夫なのです。

そうしているうちに、耳下腺部の硬直の問題だけではなく、耳下腺そのものの問題でもあることに気づきました。そしていろいろ調べていくと、耳下腺炎の余病として、睾丸炎や卵巣炎、あるいは寝小便や脱腸、脱肛をおこしていることがわかってきた。特に十代に耳下腺炎をやる場合には睾丸炎というものが非常に多い。その場合の睾丸炎は淋病の時の睾丸炎より激しくて、睾丸そのものがなくなってしまうということも珍しくない。そうでなくても耳下腺炎の、左右不完全な行われ方をした場合には、片方が大きくて片方が小さいというそれが残って、私がそれを発見した当時、今から三十年位昔ですけれども、「君の睾丸は左が小さいぞ」と言うと、当人はそれを知らないんです。自分で触って確かめると「その通りです」と言う。

それが耳下腺部をちょっと触れば判るのです。その左右をみて硬い方の睾丸が小さい。頭部は体の左右と逆側ですから、硬い方が大きいかと思いきや、大きい。大きい方が働いていないのです。男性のそれが判れば、女性の卵巣の状態も判るわけです。

そこで耳下腺部を確認して睾丸や卵巣の機能、機構を知ることが出来るようになってくると、耳下腺炎のどういう経過が正しいのかということが、俄然難しい問題になってきた。それまでは、耳下腺を押さえれば治る、と思いやっていたのが、どうもそれだけではない。そこで、耳下腺炎の経過というものを、よくよく観察してみました。

そうすると、睾丸の大きい方の側の耳下腺部がまず腫れる。そして腫れ切ると今度は縮んでくる。すると今度は小さい方の側の耳下腺部が腫れる。そしてそれが弛んできて睾丸が大きくなるとその腫れがとれてくる。

そういうことが判ってきてからは、「今日で腫れが収縮して終わる」ということが言えるようになった。

そして、そういう経過を通らない、つまり腫れてこない場合があることがわかった。そういう人は、縮んだまま硬くなってしまう。

あるいは、経過がなかなか進まないで、途中で硬くなってしまう人がいる。経過はするが、そのあとで硬くなってしまう人がいる。この場合は、足にある喉の急所を刺戟すると、大分変化してくる、しかし全体の傾向は変化しない。そこでD11や、L3に異常があるのではないかと思いそれらを確かめ処置すると、割に楽に経過するということが判ってきた。

そんなようにして、順々に経過を調べていって、耳下腺炎の経過の道すじをまとめ上げっていったのです。

その結果、耳下腺炎をうまく経過していない場合は、みな耳下腺部が硬くなっている。硬くなっているのは、二十数年経って生殖器の異常を起こす可能性があるという認識に至ったという訳です。それが判るまでに二十年以上かかったのです。この認識が間違いないものであることを確信できるようになるのに二十年以上かかった。

それ以降は、みな観察したとおりの状態を経過している。だから耳下腺炎をただ治せばいいという考えではなくなって、それと関係する処の異常を調節することが重要だと考えるようになり、うまく経過出来るように仕向けていくことの重要性を認識するようになったのです。

<病気を早く治す>などという考え方は、単に<焦り>にすぎない。そういう考えに便乗してしまっては、整体指導するという意味がなくなってしまう。

やはり、病気は必要な<経過>を通って、はじめて<治る>という事がある。<経過>を全うできるように促すことが重要である、ということなのです。

 

お産が重い人、お産の経過が悪い人をみると、みな耳下腺部が硬くなっている。そこに愉気すると、大きく腫れてきます。そこによく愉気をしていくと、お産も正常になってきます。だから、耳下腺の問題は、耳下腺だけにとどまらない、生殖器の発達の問題やその発達の経過の問題を重要視するようになっていったわけです。

 

耳下腺炎に限らず、麻疹や水痘とかいった伝染病のなかには、そういう子どもの<発達過程の現象>という特殊性をもった面があるのではないだろうか。目下、そういうことを一生懸命確かめているところですが、そのことで判ってきたこともあり、またなお判らないこともあるのです。しかし、大雑把に言えば、子どもの<発育過程の現象>というべき病気というものが相当あるということは確からしく思われます。

そして、子どもの病気というものが、そういった特殊性を持つものであるという事を考えるならば、ただ<早く治そう>と考えることよりも、<発達の過程>に沿った方法を考えなければならない、ということになるはずである。大人の病気に処するように、大人の病気の小型と考えて対処してはいけない、ということなのです。<発育の完成を

期する>ために病気を<経過させる>、そういうように考えるべきではなかろうか。

 

水痘をやると、そのあとにL4とL5の反りが出てきます。そういうのも体の発育過程のひとつですが、反りのあるのとないのとを比較すると、自分の考えたことや言いたいことを素直に出来るのに、反りがない場合はそれが出来ない。決断が出来ないのです。決断までに非常に時間がかかる。そういう子どもたちのL4、L5を調整すると、皮膚に何らかの変化が繰り返し起こるようになって、そういうことが出来るようになっていく。調べてみると、水痘の経過と関係があることが判ってきた。

 

耳下腺炎を経過する際に、途中でひっかかる人たちに共通しているのは、<後頭部が凹んでいる>んです。後頭部は生殖器に非常に関係が深いことは随分前に知ったのです。老人のそこへ愉気すると若返ってくる。

 

実習

耳下腺炎の経過として、はじめに熱があって、二、三日風邪のような状態が続きます。潜伏期はかなり長いのです。五週間に及ぶ。しかし軽いので、実際に感じ出すのは三、四日前に風邪のようになる。兄弟でかかった場合、一人が経過して一週間経ったらもう一人に出てくる。二週間経って出てくるのが正式なのですが、経過が長くてゴタゴタしていると一週間。普通はじまると、三日ぐらい腫れて、五日目には普通になります。経過に一週間とみるのが常態です。一人が治って一週間経つとまた腫れてくる。しかし実際に感じるのは三日位前から風邪のような状態になって、何か体の中が熱くなり熱っぽくなった感じで、腰が妙にだるくなる。他の場合と違って腰がだるくなるのと、小便が非常に遠くなるか、逆に頻繁になるかして、どちらかに分かれるのがその特徴です。それから耳下腺部が腫れてくる。片方腫れて、それが終えてもう一方が腫れてくる。両方一緒に腫れるのもあります。腫れないで通ることもある。片側ずつ腫れる場合は、後頭部の片側がぜっぺきになっている。

症状はそれぐらいで、腫れて痛いとか、喉が痛いとかはない。耳が痛いというひとは二、三ありました。はじめは中耳炎に似た痛みが起きることもあります。歯が痛いといっているうちに耳下腺部が腫れてくることもあります。歯も耳も同じ神経系統なので、歯の痛みを耳で感じたり、耳の痛みを歯に感じたりすることは珍しくない。耳下腺炎で痛む場合も、そういうような面で歯や耳の痛みを感じる場合もあります。その逆に、喉が腫れてしまって、食べたものが通りにくくなってしまって、それから耳下腺が腫れてくる場合もあります。あるいは夜中に小便に行かなかった人が、小便の為起きたとかいうことがあると耳下腺が腫れだすことがあります。

大人の場合、排尿が頻繁になるのは、耳下腺部を愉気するとじきに静まってくる。

萎縮腎の場合だと、排尿数が急減します。

頻尿で三十回、五十回トイレに行っていというのを、鳩尾の上と、膀胱の上を愉気しますと、二、三回に減ってくる。それを五、六回愉気していると、頻尿がなくなる。

耳下腺をやっていると段々少なくなる。耳下腺と小便は関係がありますが、耳下腺が腫れだしている時に排尿が頻繁なのは、簡単に経過する。排尿が遠くなったのは警戒しないと余病を起こす。そうして普通の風邪と同じようにD5と、喉の風邪のように足の処を調節すればいいが、それ以外にS2とS4と<ぜっぺき>部分によく愉気をする。もちろん冷やさない。熱があって腫れている時は冷やしてもそれを押しのけて腫れていますから害はないが、腫れが頂点に達した後も冷やしていると害があるんです。経過が遅くなる。だから熱も冷やさないし、耳下腺部も冷やさない。耳下腺部は冷やしても、温めてもいけない。せいぜい愉気する程度にする。

耳下腺の異常は、C2と<上頸>部に硬直があります。<上頸>部には時に硬結がある場合もあります。それに愉気することは構わないし、愉気することで経過を早めます。

ただ、<ぜっぺき>の場合、その硬結を押さえたらあとで腫れてきたということも時にあります。すっかり治って熱もおさまったからと、その硬結を押さえたら、また腫れてきたということがよくあります。しかし、そうやって出てくれば、発育不全は治る。

このほかに重要なことは、L2とL3の間を押さえるという事です。私は全ぜっぺき、後頭部の左右ともに<ぜっぺき>の人には、必ずこのL2、L3の間を押さえます。それ以外の人にも時間に余裕があればそれを押さえるようにしております。

その押さえ方をやってみます。

 

実技

相手がうつ伏せになり、お臍の真後ろをこう押さえます。こう押さえて四十秒以上このまま保つ。これは寝小便する子どもにやると止まります。関節炎や痛風の場合も、あるいはインポテントの場合も、このL2、L3の間を押さえればいい。

そこを腕橈骨で押さえる。体を乗せる。戻す、戻す。ギュッと押さえる。耳下腺炎の最中に<ぜっぺき>を見つけたら、必ずそこを愉気する。愉気する場合、逆を上に持ち上げるように強く押しておいて、それから<ぜっぺき>の方に愉気をするようにすると、治って参ります。<ぜっぺき>部分をギュウギュウ押しても治ってこないで、逆をやってそこに愉気していると、耳下腺炎を経過した後、四十日か六十日ぐらい経ってから、いつのまにか変わってまいります。

変わったのが判るのは、その鼻筋が真っ直ぐになってくるのです。おかしいんですが、<ぜっぺき>の人の鼻筋は曲がっているのです。それがスッと真っ直ぐに通ってくる。

 

片側がペソっとなっている子ども達の耳下腺炎を経過する場合には、後頭部のペソっと凹んだ側の耳下腺の経過が非常に悪い。その側の耳下腺が腫れないまま通ってしまうことがままある。

そんなふうに、<頭の形と体の成長>というのはかなり関係がある。

 

今日の実習は、相手の後頭部を調べて、<ぜっぺき>なのかどうか。その<ぜっぺき>は片側だけか、左右両方の<全ぜっぺきか>を見ます。<ぜっぺき>かどうかは、外から見ていても判りません。触ってみないと判らないのです。

では調べてみて下さい。

 

<片ぜっぺき>は子どもの頃に小児喘息やアレルギー、あるいは寝小便だったことに関連がある。<全ぜっぺき>は、子どものうちからしょっちゅう生殖器をいじっている癖がある。それらの覚えのある人は調べてみて下さい。恥ずかしいというのを抜きにして、研究しませんと、中途半端になります。私は男であることも、女であることも考えないで、追い詰めていきます。自分もそうなら相手も同じようなつもりになって、相手と自分と同じように考えるところまで引っ張ってきては、細かな面まで聞いていきます。そうでないと変態のようでしょ。他人の変態を調べるのに、調べている当人が変態にみられたのではしようがない。・・・

頭の見方はもう少しやらないといけないと思いますので、次回にもう一度続けましょう。今日はこれだけに致します。

 (終)