野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(15)子供の操法(3)

今私が引用させていただいている資料は、原本ではなくてそのコピーです。この講座に参加していた方の持っていた口述記録の原本のコピーです。そして、このコピーの最終ページにはその方自身による、講座内容を要約した手書きのメモが、毎回走り書きで残されています。たとえば、「子供の操法 敏感・・・成長過程、変化しやすい 発熱しやすい 体の欠点の修理は閊えを招く 臍の緒は早く切らない 痢症括点に愉気 ・・・」といった具合です。

わたしの受講経験でも、ノートにメモった講義記録は大体似たようなものになっています。後から見るとよく判らなくなっている。

レコーダーを使用することは大抵の場合禁止されているので、きっちりメモをとろうとすると、そのことばかりに注意が行ってしまって、速記記者のようになってしまう。

そういうことからも、講座の<簡易製本された講義録>というものが非常に役に立つことになるのですが、今度はそれを<要約>するという行為も、そうした参加者メモといったものに近くなることがネックになると思えます。

前回の講座を一言で<要約>すれば、「子どもの操法は、大人の操法と違って、成長過程を考慮し、それを促すよう行うことが重要である、と野口氏は語った。」とか「病気と言われるものは、治すべき対象ではなく、経過するものであり、整体操法はその自然の経過を促すためのものである」といった具合になるのでしょうけれど、それでは味もそっけもなく、その結論に至るための大事な文脈からも、個別の具体性からも逸脱してしまい、野口氏が真に伝えようとしたことからは随分隔たった、薄っぺらな知識の断片に変容してしまうというのが実態ではないか。当然、野口氏が意図して繰り返し語った<ことば>は、惜しげもなく省略されてしまい、簡素化された分、からだにしみ込まなくなってしまう。

話し言葉>を<書き言葉>に変換したときに生じるある種の欠落と、その逆に生まれる抽象化されたが故の説得力(たとえば、われわれは一つの病気を捉える場合に、その病気を<大人の病気>と<子どもの病気>というふうに複線化して考えることはあまりないのではないか。その病気を単線的に、ただ病気として理解しがちである。しかし、野口氏が抽出した<子どもの病気は、成長の過程として生じていることがある>という認識は、病気というものの意味を重層化して、<子どもに固有の病気>として成長・発達の正常な過程のものとしてもあるのだ、ということを抽象化して捉えていることは、驚くべき認識であると言わなければならないのではないか。さらりと語られた野口氏の<話しことば>の中に潜む、高度に抽象化された認識は、非常に説得力に満ちているが、つい見落とされがちな認識であるように私には感じられる。)のどちらも捨てがたいものがあるとはいえ、いつもこの微妙な揺らぎの中でしかブログを進められないことへの戸惑いからは自由になれません。

今日も、そんな揺らぎの中で、ブログを書き進めることにします・・・。

 

 整体操法高等講座」(15)子供の操法 (1967.9.25)

 

前回<頭の形>について説明しましたが、<ぜっぺき>とか<半絶>とか、いつの間にか操法を受けに来る人達に、うちの子は<半絶>でしょうかとか、気にする人が多くなって、少し余分な説明をしちゃったなと後悔しておりますが、<半絶>を治すのに四年かかるんです。

子どもの<頭の形>で見逃すことが出来ないのは、<頭部第三の膨隆>です。第三が持ち上がってくる。第三の冠状縫合部がキューピーの頭のように盛り上がってくる。

臨時にそうなったばあいは、感情を抑えた時や、やりたいことを抑えた時、急激な抑制が行われた時、激しい下痢の時などで、こどもの場合は大抵ほおっておけば治ってきます。ところが、第三が飛び出している時の下痢は、急性で、かなり悪くなりやすい。

逆に凹んで萎縮している時の下痢は長くかかるということを考慮に入れて処置します。

 

第三の飛び出しは、肛門の括約筋の緊張の場合、あるいは脱腸の場合、寝小便の場合で、どれもみな抑制する場合。あるいは、精神的にも肉体的にも、抑制する機能が弛んでくると第三が飛び出してくる。それを弛むまで押さえておりますとそれらは治ってきます。大人も同様ですが、子どもは非常に早く治る。

 

 子どもは<腸>が悪くなると、体全体が不活発になって、だるくなり、少しの憂鬱と苛立ちがとが混ざった状態になる。陰気とイライラ、焦り、何となく腹が立つ状態。かといって腹を立てて起こるほどの元気もない。そういった独特の状態になります。

だから子どもの下痢などは、<腸>だけでなく、体じゅういろんなところに影響してくる。体の調子も低くなってくる。大人の場合は消化不良で死ぬということは殆どないが、子どもは消化不良で死ぬことがある。<腸>の健康に占める割合は、大人と比べると子どもの方がずっと大きく、広範なのです。

だから子どもの下痢を大人のそれと同じように見てはいけない。警戒を要します。

まずお腹に力がなくなってくる。お腹の筋肉がいきなり引っ込んで、弾力がなくなってきます。そうなったら、特に警戒が必要です。

頭を打撲するとお腹の筋肉が力を失って来ますが、消化不良になっても同じようにお腹の筋肉が弛緩してしまう。そうなってくると、腸だけの問題ではなくなって、頭との関連が生じてきている。その場合、第三は必ず膨隆している。

 

子どもの成長は部分部分なのだという事は説明しましたが、そういう成長の段階で、頭を打撲しますと、その部分の成長だけが一時ストップするんです。その部分だけ成長が遅くなる。 これは大人にはない、子どもだけの顕著な特徴です。

だから、成長の遅れた部分を見れば、いつ頭を打撲したか推測することも可能です。

 

<心の打ち身>なども、頭部第三の膨隆となって現れます。そしてその影響は体全体に及びます。

大人の下痢はたかをくくれるが、子どもの場合の下痢が続くものの中には、警戒を要することが頻繁にある。もっとも、<老人>になると、腸の異常が健康に占める割合はかなり高くなってきます。でも、子どもの、特に乳幼児期の下痢のような激しさというものはない。

 

赤ん坊や乳幼児の<頭部第三>は、特に注意して見る必要がある。

腸が無力状態になっていなくても、<頭部第三>が膨隆している時は、まもなく無力状態になっていく。

ただ、臨時に<頭部第三>が飛び出しているだけなら、それはその子どもの体の傾向を現しているものと見ることが出来る。そういう体の傾向というのは、腸の一部分が非常に弱くなっている、腰が弱い、足が鈍い、足が強くない、足の調節が悪いんです。脚が弱くて飛べない、駆け出せない、転び易い、股関節に異常がある。あるいは股関節に異常がない場合でも、腰自体の調節が鈍く、大人でいえば腰が強張っている状態。あるいは足の成長が遅れている。

 

何かを我慢する、食べたいものを我慢する、それが<生理的な許容度>を越えると、<頭部第三>は盛り上がってきます。そういう<我慢>というのは、病気に至らなくても、子どもの成長を遅くさせる可能性があります。

<頭部第三>の膨隆というのは、なかなか油断が出来ないものなんです。

<腸>が弱いと、風邪を引いてもその経過が遅い。けがをしても治りが遅い。そういう場合に<頭部第三>を見ると、盛り上がっている。その原因は、頭部の打撲かもしれないし、<心の打ち身>によるのかも知れないが、盛り上がっている。だから、その原因を探っていくことが必要になります。

 

<肋骨の挙上> 

<頭部第三>の盛り上がりは、そこだけを押さえても回復しない。そこで<肋骨の挙上>を行ないますと、治って参ります。

上に、上に上げていく、というのでもいい。

大人の場合は、肋骨の第五調律点をジーっと上に上げるように押さえることが操法の急所になりますが、子どもの場合でもこれはよく効きます。ただし、この方法は、子どもの場合や老人の場合には、非常に狂いやすい、老人の場合には骨折しやすい、ので注意が要る。

 この<肋骨の挙上>を行うと、第三の冠状縫合部の膨隆が引っ込んできます。

陰気な子どもに、この肋骨挙上を行ないますと、肋骨が下がって、いつもイライラしていたのが、急に<頭部第三>の盛り上がりが引っ込んで、硬くなっていた鳩尾が弛んできて、お腹の弾力も出てきます。いくらお腹に愉気しても弛まなかったのに、肋骨挙上すると弛んでくる。下痢も自動的に止まってくる。

まあ、頭の格好についての説明はこのぐらいにしておきますが、<頭部第三>の膨隆のことだけは覚えておいていただかないと、子どもの治療の際に不便が多いと思います。

 

<頭部の弛緩と調整>

なお、大人の場合、頭のところどころに<脂のかたまったような弛緩部分>がありますが、そこを押さえますと非常に過敏で痛い。痛いのは、その過敏部分を保護するために脂状の塊が溜まっているのだと思いますが、こういう処は、<臓器>自体や、<神経系統>と深い関係がありまして、その調整ということは、とりわけ<血管系統の異常>を調節する場合には、最も重要な処となっています。

子どもにも大人と同じような脂の溜まった弛緩部分が生じている場合がありますが、その場合の殆どは消化器や呼吸器系統の異常がうまく経過していなかった、経過がどこかで閊えていたという場合で、そこを調節すると、その変動がもう一回生じてきます。下痢のし損ないは下痢をし、熱がでなかったものが肺炎に似た状態になったりして繰り返し、そして何となしにそれが抜けていきます。悪かった顔色が、さっと良くなってくる。つまり、子どもの病気は、異常の調整として起こる場合が多いのです。

頭皮の弛緩部を愉気すると、そういう変化を起こすことがあります。それを起こすと、健全になってくる。

 

頭皮の弛んだところを、こうやって押さえて愉気します。弛んでいる処がこうあります。この周りを触っていくと、どこかに<硬結>があります。中にも<硬結>はありますが、それは触らないで<周辺にある硬結>を触ります。愉気するとその<硬結>がなくなってきます。・・・

ただ、頭を打撲しても、扁桃腺を毀してもリンパは腫れてきますので、それと混同しないことが必要です。<頭皮の弛緩>と<脂のついた弛緩>と<リンパの腫れ>とを区別してかかる必要がある。そこがこの場合、なかなか難しいところです。

リンパの場合は、後頭部や頸にかけてそれが多い。頭頂から前にかけてというのは殆どない。リンパの腫れは、四歳から六歳になれば放っておいても治ってしまう。・・・

 

私が子どもの異常を殆ど頭の愉気で処理しているのは御存じだと思うのですが、それの経過も頭で見ているのです。どうぞ皆さんも、子どもの頭の変化を観察なさることを御奨めいたします。・・・

次回、も子どもの問題をもうちょっと続けます。

(終)