野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(16)子供の操法(4) 

整体操法高等講座」(16)子供の操法 (1967.10.5)

 

前回<頭の形>について説明しましたが、<ぜっぺき>とか<半絶>とか、いつの間にか操法を受けに来る人達に、うちの子は<半絶>でしょうかとか、気にする人が多くなって、少し余分な説明をしちゃったなと後悔しておりますが、<半絶>を治すのに四年かかるんです。

子どもの<頭の形>で見逃すことが出来ないのは、<頭部第三の膨隆>です。第三が持ち上がってくる。第三の冠状縫合部がキューピーの頭のように盛り上がってくる。

臨時にそうなったばあいは、感情を抑えた時や、やりたいことを抑えた時、急激な抑制が行われた時、激しい下痢の時などで、こどもの場合は大抵ほおっておけば治ってきます。ところが、第三が飛び出している時の下痢は、急性で、かなり悪くなりやすい。

逆に凹んで萎縮している時の下痢は長くかかるということを考慮に入れて処置します。

 

第三の飛び出しは、肛門の括約筋の緊張の場合、あるいは脱腸の場合、寝小便の場合で、どれもみな抑制する場合。あるいは、精神的にも肉体的にも、抑制する機能が弛んでくると第三が飛び出してくる。

 

具体的なことを話していると、なかなか終わらなくて、一年でも二年でもかかるものなのです。だからごく大雑把に片づけておきたいと思います。

子どもの操法をする場合は、子どもが成長のコースを歩んでいるのだということ、その成長を妨げることは、どういう事があってもやらないように心がけること。また、その成長するコースを活用する気構えがいつも必要であること。そういうことがないと、子どもがせっかく病気になったのに伸びてこないこと。

成長というのは、部分部分で行われる。全体が一緒に成長するのではない。部分部分で行われるから、たえず変動があるのです。丁寧に見ると、右の脚が伸びて来たり、体だけ伸びて来たり、胴だけが伸びて来たり、頭の中のある部分だけが働いて来たりといった具合です。

部分部分が発達してくるという事は、バランスという面から言うとアンバランスがその都度新しく起きてくるということです。そういう時に病気を起し易いのですが、そういうアンバランスによる状態が、果たして本当に病気といえるのかどうか。

それは成長のつかえがあって、それを取り戻そうとしている状態なのかも知れない。あるいはそのつかえを破ろうとして生じている状態なのかも知れない。あるいは、成長に伴う変動そのものの状態であるかも知れない。

そういうことの見分けが必要となります。子どもの変状を見て、すぐに是が非でもそれを治さなければならないように思い込むのは、子どもの操法としては慎むべきことであって、一旦退いて、まずそれらの見分けを行なたうえで手を出すことを考えなければいけない。

子どもは、大人と違って、内部変動を循環的に起こしているのです。だから、一般論としてではなく、子ども一人ひとりが対象となってくるので、大雑把な指示をすることが難しいのです。

耳が敏感に働いてくる時期というものもありますが、それを見て天才だと決めつけてしまうと、三歳で天才といわれたものが、十歳を越したら普通になったということがよくあります。そうなってしまったら、その子どもに与える心理的ショックたるや、見誤ったというだけでは済ませられないほど深刻なものがある。

鼻などが発達する時期には、子どもは鼻水がいっぱい出てくる。鼻が出るから風邪かと考えるのは間違いで、かえって鼻水をどんどん出した方が、ある時期を越すとピタッとそれが出なくなるのです。

だから子どもの体の変動を、すぐに病気だと決めつけることは出来ない。当然大人にするようなレディメイドの体の修繕で操法をやってはいけない。

こういうことは、心の成長の面についても言えるのであって、子どもが悪いことをしたからといって、それだけで悪いとは決めつけられない。子どもの嘘を見て、親はそれを嘘つきと決めてかかるが、親が嘘をつかせないようにと勢いで叱って責めれば、子どもはつい嘘をつくんです。それは嘘つきとは違う。親が食ってかかるので避難しただけのことで、そういう嘘をつくのは、ある意味で子ども自身を守る為に言っているにすぎません。

寝小便したという場合うでも、親に対する無意識の反抗で起こることもある。それに親は気づかないで、叱ったり、病気にしてしまったりすることがあるが、それは間違いである。

小さな子どもの時は、痙攣を起こす場合があるが、それが生涯続くということは無い。六歳になって体が変わってくると、ぴったりと痙攣しなくなる。そういう子どもは沢山います。そういう<変わる時期>というものがある。

それを癲癇だ、と決めつけていろんな処置をしてしまうことは、かなり危険なことであると言わなければならない。

前回お話しした耳下腺炎なども、生殖器の発達過程として出てくる。

 

最近、産まれた時に痢症活点に愉気すると、宿便がすっかり出て、皮膚病が出る期間が短くなることが判りました。自然のままでは出ないような宿便が出てくるんです。まだ何も口にしていない赤ん坊のそれに愉気をする。その効果は非常に大きいものがある。

愉気は誰にもできますから、家庭でも、やれば多少は効果がある。ただ、専門家がやる愉気は家庭における看病法としての愉気とは異なってくる。

専門家の愉気は、自分の全身全霊を込めたものでなくてはならない。それが<声のない気合>としての私の愉気です。だから私は長時間やらない。そのかわり短い瞬間に全部を集中する。だから私は愉気をすると、愉気したことの変化がはっきり判る。

やはり、専門家には専門家的な愉気が要るのです。

今指導者になっている人達は技術的にいえば下手です。だからといって力が無いかといえばそうではない。彼らのそばに寄ってみればわかる。気の出方が違うのです。気を出したら強烈なものです。愉気の事をよく知らない人がそばに寄ってみても、気が猛烈に出ていることを感じられる。そういう気を出せている人だけが、操法の効果を上げることが出来る。手からのそういう気が出ない人は、自然に脱落していきますが、私はそういう脱落を妨げません。出来ない人が気張ってやることは世の中に迷惑ですから、効果が出せて、皆に引っ張られて、自然に伸びていける人だけになったほうが良いのではと思います。そういう人が指導者になっていますので、ひとたび愉気をすると、そういう気合がおのずと出ているのです。だから技術は下手なのにそれが出来る。そういう力をみな持っているんです。だから、練習の場で技術がうまく出来ないからといって自信を無くす必要はない。だんだんそういう方向に力が満ちていくようになるのです。

 

そういう専門家が、全力で、全身全霊を込めてぱっと打ち込んで愉気するということは、小さな子どもにとっては大変動を意味するのです。

産まれたばかりの赤ん坊の痢症活点に愉気をするということは、考えも及ばぬ変化を引き起こすのです。それと、後頭部への愉気。あるいはL3への愉気が大切です。D7も併せて愉気する。その場合にただ手を当てるだけではいけない。それらの椎骨に明瞭に指が当てられて、そして愉気をしなければならない。そこに力を集中すると変化がおこってくるのです。家庭での愉気のように漠然とというのではなく、どんな場合でも悪い一点を必ず掴まえたうえで愉気しなければいけない。

 

<病気治療としての硬結の処理>

漫然と愉気するだけでは変化が起こりにくいが、<硬結>を見つけて、それに愉気するとどんどん変化してくる。瘍とか疔とかも治ってきます。体の中の筋腫や癌のようなものも、<硬結>をみつけて愉気すると変化してきます。どんな病気にも、みなその周囲を探っていくと<硬結>があって、それを押さえると変わってきます。

私が病気治療をしていた時期に狙っていたのはそういう<硬結>だけなんです。お腹でも、ぐるっと触ってここだ、とその悪い処の周りを探して<硬結>をみつけてぱっと押さえる、それだけでよかったんです。それでみんな治ってしまいます。

<硬結>を処理すると<反応>がいきなり強く現れてきます。予期しないような変化を起こします。その変化に対応すし、処置をするためにいろんなことをやってきただけで、そういう変化対応がなければ、<硬結>の処理だけでいい。私は、病気治療の急所はここだ、ということを永い経験でつかまえて参りました。

産まれたての子どもへの操法として、この<痢症活点への愉気>というのは、ちょうど<人間全体のなかにおける硬結>といっていいようなものと考えています。ですからずぼらをしないでやって頂きたい。それまではお腹の子供への愉気が大事だとばかり考えていましたが、そうではなくこの時期の痢症活点への愉気が一番大事だということがだんだんはっきりして参りました。これをやるとやらないとでは随分違うのです。

 

<痢症活点への愉気

痢症活点の場所はわかりますね。触手療法の場合、上行結腸と横行結腸の曲がるところだと言っていますが、厳密に言うと、その肋骨の下に指を突っ込んで、こうやったところこうやったところです。必ず手を上に向けて、肋骨のここへかかるように手を当てなければならない。できれば痢症活点部位に中指が当たって、それからこちらの方に直接愉気をする。掌ではなくて、指から痢症活点のところに愉気ができるようになれば、効果がはっきりすると思います。一番はっきり判るのは、<黄疸>にならないか、なっても希薄で判らないくらいのものです。そのことを基準にしてご自分の愉気の効果を見直されるとよろしい。

注意してみると、その部分だけが縮んだ感じがするんです。そして愉気をしていきます。<掌心感応>を求めていってぴったりとその部分を指で掴まえるられれば申し分ない。たったこれだけのことですが、この<掌心感応>が出来ない。感応のある処を押さえるということが出来るのに、三年から五年はかかるのです。手が敏感になってこないと判らないのです。操法で押す場合でも、同じ場所を押してもその角度がちょっと違うだけで全然違ってしまうでしょ。それと同じで愉気でも角度がぴたっと合っていないと効かないのです。

 

それから、熱が出たから後頭部を押さえるとか、下痢をしたからお腹を押さえるとか、耳が悪くなったから足を押さえるとかいうのは、本当は遠回りなのであって、子どもの体の中のどこに変動があるか、代謝系統の変動なら当然痢症活点ですし、神経系統の変動なら当然前頭部です。排泄系統や腰の力の問題だったら後頭部です。栄養の吸収の問題だったら臍の上という処をよく愉気したらいい。

三、、四歳になると腰部活点が愉気する急所になります。そういうところに<硬結>があります。大人の場合ならその<硬結>を押さえればパタッと変わってくるが、子どもの場合は、体の変わり目にこないうちはそこにいくら一生懸命愉気しても変わってこないのです。ところが発熱のような変わり目の時機にやるとぱっと変化する。

だから、子どもの場合には変動があった時は、それがどこの系統の変動であるかを見ていかなくてはならない。その変動は、発達のコースに関連するものだからです。

その時期の変動する場所に関連のある変動を起こしているのです。

下痢がなかなか止まらないといった場合、それが左足が長くなっていたなら、その変動は成長の一つのコースであると考えていい。咳がなかなか止まらないという場合、腕が片方著しく伸びている、それも成長コースである。風邪をひいて小便が変動を起こして、経過が鈍いという場合に、後頭部をみると、その関節が段々に盛り上がってきている。そうしたらそれは、頭の成長のコースである。

そういったように、体全体の中の何処が変動しているか、そしてその場合の急所は何処なのか、ということを見つけ出していくことが、子どもの操法の根本的なやりかたなんです。

 

<指で気を感じ、硬結に愉気する>

皆さんにお教え出来るのは、こういう変動にはこうする、といった一般的なことしかお教え出来ませんから、皆さんでまず<気を指で感じる>、<硬結>そのものを直接つかまえる、というように技術を錬磨して、私が言ったことを一つの暗示として、指で見つけていっていただきたい。

そうやって見つけた時の、相手の経過の早さは、本当に<技術を訓練する>という事が持つ意味を感じさせてくれるものです。全然違ってくるのです。

 

大人には大人の問題があり、子どもには子どもの問題があって、特に子どもの場合、成長時期ですから、自然にかなり厳重に保護され守られている面があるのですが、その逆に大人と違って極めて弱い面もあるのです。

 

<子どもに特有の弱さ>

そこで今日知っておいて頂きたいのは、その自然の保護が行われている面ではなくて、子どもの<弱み>ということについてです。

子どもの持っている<弱み>は、発達以前の頭にあります。特に子どものリンパの発達は六歳ごろから本格的になる。それ迄弱かった体がいきなり変わるというのは、淋巴が発達し始めるからだろうと思うのです。それ以前のリンパの腫れは、すこぶる経過が悪いのです。リンパというのは、何処かに悪い処があると、その周囲にそれを食い止める場所ができる。それが腫れるんです。だから病気になりかけているのだということですが、それを大人なら愉気していると治ってしまう、簡単に治る。ところが子どもの場合は、特に赤ん坊の場合はリンパを愉気しても治らない。遅くとも四歳くらいまでは待たなくてはならない。リンパの親分は扁桃腺です。だから扁桃腺が腫れたり引っ込んだりすること自体に成長の意味がある。六歳くらいまでは繰り返します。六歳を越すとけろっと変わってやらなくなってしまう。リンパが本格的に働き出すからです。それまでは愉気をしても無駄である。

だから子どものリンパの腫れはなかなか引っ込まない。そういう状態なので、結核には弱いのです。十一カ月までの子供は特に結核に侵されやすい。一年半を越せば、あまり大したことはなく、二年になれば大丈夫です。六年越せば全く安全に近い。

六歳から十二歳の間は、リンパは普通よりも非常によく働く。・・・

 

子どもの操法において最も子どもの弱みをさらけ出す時期は十一カ月から十五カ月、特に十三カ月の前後の一、二カ月は一番注意が必要な時期なんです。・・・

 

今日はこれだけにします。

(終)