野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(21)婦人操法(1)

個人は、他のどの人とも異なっている。その差異を正確につかむことに、これほど厳密な方法を徹底した人間はそう多くはいないだろう。整体操法講座を読み進めていくと、そのことが朧気ながらも理解できるような気がしてきて愉しくなる。野口氏が語ろうとしていることは、一人ひとりを真に<個>として理解するにはどういう方法が可能なのかという、観察実験の記録のように思えてくる。

<ここを押せば、こうなる>というような直線的な因果関係の一般的理論から、どんどん遠く深くへ突き進んでいくその後ろ姿を、われわれは必死になって追いかけなければならない。それが整体操法を学ぶということだと思うからだ。

ただ、このブログで、<読む>シリーズを続けていて思うことは、私の行為が、極めてヴァーチャルな世界に入り込んでいくものだということだ。野口氏の口述記録を<読む>際に、私は記録された文字の向こう側に、野口氏が今、ここで呼吸し、聴講する人たちにちらっと鋭い眼光をむけたり、ため息をついたり、言外に滲ませる熱い思いに触発されたりといった、リアルな体験として、何とか味わいたいものだと感じている自分がいる一方で、しかしこの体験は所詮仮想の空間にすぎないのではないか、という不安をも同時に感じたりしているわけだ。

私のリアルな、現実の時空間と、野口氏の語っていたあの過去の時空間を辛うじてつないでくれるのは、私のこの<生身のからだ>でしかない。このからだが、十数億年を経てきた人間の身体や遺伝子の共通性があって初めて成立する、共通の時空間や認識空間を恃んでの<読む>行為となる。つまり、野口氏の厳密で徹底した生き様から導き出されたことばの一つひとつを<わたしのなかでリアルに再現する>ことが、野口氏の後ろ姿を追いかけるという事であってみれば、容易ではないながら、不可能ではないはずである。ただし、<わたしのなかでリアルに再現する>という事の意味は、もう一方で、私自身のそれまでの知の枠組みを解体し、組み替えていくという作業をも伴うことは忘れないでいたい。

そのことの備忘として、次の内田氏の文章をコピペさせていただきます。

内田樹氏がそのブログ「言葉の生成について」(2018.3.28)で、次のように書いています。

・・・読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないかと僕には思えるからです。 難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。
読解力が高まるとはそういうことです。大人の叡智に満ちた言葉は、子どもには理解できません。経験も知恵も足りないから、理解できるはずがないんです。ということは、子どもが読解力を高めるには「成熟する」ということ以外にない。ショートカットはない。・・・ 以前、ある精神科医の先生から「治療家として一番必要なことは、軽々しく診断を下さないことだ」という話を伺ったことがあります。それを、その先生は「中腰を保つ」と表現していました。この「中腰」です。立たず、座らず、「中腰」のままでいる。急いでシンプルな解を求めない。これはもちろんきついです。でも、それにある程度の時間耐えないと、適切な診断は下せない。適切な診断力を持った医療人になれない。 今の日本社会は、自分自身の知的な枠組みをどうやって乗り越えていくのか、という実践的課題の重要性に対する意識があまりに低い。低いどころか、そういう言葉づかいで教育を論ずる人そのものがほとんどいない。むしろ、どうやって子どもたちを閉じ込めている知的な枠組みを強化するか、どうやって子どもたちを入れている「檻」を強化するかということばかり論じている。しかし、考えればわかるはずですが、子どもたちを閉じ込めている枠組みを強化して行けば、子どもたちは幼児段階から脱却することができない。成長できなくなる。でも、現代日本人はまさにそのようなものになりつつある。けっこうな年になっても、幼児的な段階に居着いたままで、子どもの頃と知的なフレームワークが変わらない。もちろん、知識は増えます。でも、それは水平方向に広がるように、量的に増大しているだけで、深く掘り下げていくという垂直方向のベクトルがない。 読解力というのは量的なものではありません。僕が考える読解力というのは、自分の知的な枠組みを、自分自身で壊して乗り越えていくという、ごくごく個人的で孤独な営みであって、他人と比較したり、物差しをあてがって数値的に査定するようなものではない。読解力とは、いわば生きる力そのもののことですから。
現実で直面するさまざまな事象について、それがどういうコンテクストの中で生起しているのか、どういうパターンを描いているのか、どういう法則性に則っているのか、それを見出す力は、生きる知恵そのものです。何か悲しくて、生きる知恵を数値的に査定したり、他人と比較しなくてはならないのか。そういう比較できないし、比較すべきではないものを数値的に査定するためには、「読解力とはこういうテストで数値的に考量できる」というシンプルな定義を無理やり押し付けるしかない。けれども、ある種のドリルやテストを課せば読解力が向上するという発想そのものが子どもたちの「世界を読み解く力」を損なっている。・・・

 

今日も、あれこれグダグダと考えながら、野口氏の言葉を私なりに解釈し、要約しながら進めてみたい。

 

整体操法高等講座」(21)婦人操法(1967.11.25)

 *原文には今回の講座のサブタイトルの記載はないが、次回以降には「婦人操法」となっているので、成人した女性という一般的意味での<婦人>をここでも付記しました。

 

今日からは、女の体の操法についてです。女は男とは違った構造をしている。男に比べて自己保存の本能の働きも、種族保存の本能の働きも強く現れている。

この講座で<女>というのは、生理が始まってから終わる迄、つまり妊娠する機構のある期間と、ひとまず定義しておきます。これは、操法する上での便宜的な定義です。

その機構のどこかに変調があると、それが心の面やその生活面で強く影響し、反映される。言い換えると、生理的な<波>に強く影響される。心理的な面までも、この生理的な<波>に動かされる機会が非常に多い。それが<女>の特色の一つです。

だから、優しいはずの人が急に強欲になったり、慎ましやかな人が、急にがめつい動作をし始めたとしても、それはその人の思想信条が変化したというのではなくて、体の<波>が変化しただけなのです。

 

女が<女>である時期は、生殖器の構造の違いによるだけで、それ以外には独特のものはない。だから<女>の体を操法するという問題は、生殖器の機構、機能を中心に考えていく必要がある。いろんな異常も、生殖器を調整すると治ってしまうことが多い。

それは男の生殖器の異常を調整した場合より顕著に現れる。それぐらい生殖器の影響が直接関連している。

だから、男の胃潰瘍と、女の胃潰瘍を一緒だと考えて治療したり、外科的処理をすることは違っている。胆石でも、子宮の血行を調節するとなくなってくる。

 

<女>の生殖器の構造は学校で習ったっ通りですから省くとして、その神経系統について説明しますと、D11が卵巣関係。L1、L3が子宮関係。子宮や生殖器の機能面に直接働きかけるものの殆どは<仙椎部>のものです。特に足から仙椎部にかけての下半身の殆どは、生殖器と見做してもいいぐらい関連が深い。

男と女は、操法の上では分けて考える必要がある。そして女も、<女>である時期の以前と以後では、異なった対応が必要になる。もちろん、<女>の以前と、以後が女でないかといえば、そんなことはない。当然女と男の区分は必要です。

だから、乳児期、小児期から四歳ぐらいまでと、生理が終わってからも、女であることに違いはない。ただ、<女>に時期に絶え間なく生じてくる問題と、それ以外の期間での問題とは、操法のうえでは異なる対応が必要だということです。

 

同じ下痢をしたとか胃腸を毀したとかいっても、二十代、三十代の女の方が、同年代の男よりも治りが早い。しかし、四十代、五十代の更年期の女となると、治りが遅いし、時に死ぬこともある。腸チフスで警戒を要するのはそういう時期です。

七十代になると、下痢で弱るのは男です。子どもの大腸カタルと同じぐらい体の消耗が激しい。青年期の大腸カタルは男も女も少しも心配がないのです、その時の体力状況を示すといった程度のものです。ところが、七十代の下痢は、警戒が要る。その場合、男の方がそれによる死亡が圧倒的に多い。

脱腸などが治っている人でも、七十になると再発する人がよくある。

そんなように、年齢によっても、大丈夫な変調と、警戒を要する変調とがある。

結核は十七歳ぐらいに始まった場合が、一番脆い。それ以外は何でもない。七十くらいに結核になると今度は脆くなる。そういういろいろな<時期>がある。

 

<女>という時期は、子どもの時期とか、老人の時期とか、男の時期というものとは異なった<特殊な対応>を必要とする、ということを申し上げたいのです。従って、その時期の操法は、男の場合とはみな違ってくるのです。

老人や子どもや男には、共通するものがあるのに、それが<女>にも共通するかといえばそうではないんです。同じ症状をおこしても、操法は全然違ってくるのです。

私が男だからこういう説明になるのですが、女の立場から言えば、男の生理的な面の説明の方が必要なのかも知れませんが、ただ男の場合は、子どもや老人の場合とあまり違いはないのですが、<女>の場合には非常な違いがあるんです。だから男や子どもや老人に対するようにはいかないんです。毀れ方が異なっている。

 

胃袋の異常の場合でも、女の場合はC1・2・3・6・7、D5・6の右、D7・8・9・10の左を操法する。そしてその中に、L1・2を入れる場合もある。

男の場合の胃袋の故障はD5だけでよくて、D6・7の右、特にD6の右は要らないんです。要る場合でもD6は左が問題なんです。女はD6の右を入れる。

頸椎部も、男はC6・7でいいんですが、女の体の場合は、D6・7に影響があった場合に対応する調整方法としてC1・2・3を入れるのです。

つまり、これらは胃袋の故障を対象にしているのではなくて、胃袋の故障に影響を及ぼしそうな生殖器の異常を想定して考えているということです。

だから、女の体の治療というのは、男の体の治療の常識をもってしては難しく、また実際にそれは出来ないのです。

 

実技練習

女の操法で第一番に注意する処は、<骨盤>です。月経の際も、妊娠・出産の際も、骨盤が拡がったり、縮まったりしていますが、骨盤の状況は、女のいろんな病気と関係している。

骨盤を見る時、まず<恥骨結合部>と<腸骨部>の二つに分けて考えます。

骨盤の開き具合が左右同じかどうかをまず見ます。左右が同じであることが必ずしもいいというのではなくて、左右の骨盤の<可動性>が同じでなければならない。左右位置がずれていても、<可動性>が左右同じであれば、簡単なショックを与えてておけば自動的に戻ってきます。<可動性>が左右で異なっていると、ずれや曲がりが固定されてしまう。

そこで先ず最初に、腸骨の可動性の測定と言いますか、それをみておこうと思います。それの簡単な方法は、上から下に下げるんです。それが第一。後ろから前にやるのは仙椎の二番で、これを刺戟して測定します。仙椎の二番と尾骨のつながり目を揺すぶってその可動性をみます。横のそれは腸骨櫛の状態によってみます。あるいはこれを上から下に揺すぶってそれをみます。骨盤のお腹の方の側で、どっちがこう寄っているか開いているか、これをみます。恥骨が曲がっているかどうか、飛び出しているかどうか、それをみます。形よりは可動性を主体にしてみます。もちろん、お尻の形や、貯えているエネルギーの問題も、観察は必要ですけれども、骨盤の状況が悪いと、貯め込んだはいいが動かないんです。それで貯め込んだそれが自家中毒を起こして老衰を早くしていくという場合も少なくありません。骨盤がきちんとすれば、いざという時にサッと余剰エネルギーが発動してくる。骨盤の位置が狂っていたりすると、そういう治る力をかかえていながら発動しないんです。

 

うつ伏せになって、先ず臀部を調べます。これは主にその弾力によって調べる。

次に、骨盤をいろいろな角度に動かしてみて、どういう角度の動きが悪いかをみます。異質なものは、揺すぶれる度合いが少ない。動かない感じがする。こうやって、動く感じがすればいいんです。その動かない感じの処を先ず見つけて処理するんです。

ちょっとお互いにやり合ってみて下さい。

足に裏を一回ご覧になって、骨盤を調べたら、その足の裏の硬さと合わせてみると、特に足の周囲の硬さと、足裏の真中の硬さを調べてみると、かなり一致しているものです。骨盤の上下の動きが悪い場合は、踵が腫れ硬くなっています。親指のここの硬いのはその側のお尻が下がっています。腸骨の開きの悪いのは踝が下がっています。骨盤全体が硬くて可動性が少ないのは足首が強ばっています。

まず足首から調べて、それから足の裏を見ていくといいと思います。

 

おやめ願います。

足首から足の形、足の使い方の癖といったものは骨盤状況にそのまま反映しています。

踵の悪いのは、骨盤の前後運動が悪いということです。つまり骨盤が余分に開いている。それは生殖器の収縮する力が弱いということでもあります。だから<老衰>すると踵から変化してくる。その次に悪いのは、踝が落ちてきます。踝が落ちてくると、その能力がずうっと減ってくる。分泌が足りなくなってくる。

骨盤を治すと、踵も奇麗になるが、顔の艶が良くなり奇麗になる。ただ、足を治す方が骨盤よりも治しやすい、それで足を治して骨盤を治すようになりました。そうしているうちに、足の小指の外側が拡がっていると痔になっているということを見つけて、小指の外側を押さえると痔が治る。つまり、骨盤の上下の可動性が回復する。

踵や足の小指の外側や、踝の下がったのを治すと骨盤の上下の可動性が回復する。それで痔が治ってしまう。

女はそれで的確に治る。ところが男は治らない。男は女ほど骨盤の動きが足の形に反映していない。男の場合は、足自体の故障である。それで、男の場合は腰椎二番の左側で痔を治すようにしました。女の場合は、腰椎二番を押さえてもなかなか治らないが、骨盤を治すと治る。・・・

どうぞ皆さんも足の形と骨盤の状況との関係をたくさん見て、ご研究ください。

(終)