野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(23)婦人操法(3)

私たちの生活の中で生起する様々な身体の不調や、他者との人間関係で生起する葛藤などを、どのように理解すればよいのか。或る事象や現象は、それを<どのような文脈において理解するか>によって、まるで正反対の意味付けを与えることが出来てしまう為に、非常に難しい問題であると言える。

だから、<ものは考えよう>という言葉も、一定の真理を示唆しているわけだ。

たとえば、<風邪は万病のもと>という表現と、<風邪の効用>(風邪には効用がある)という表現とは、<風邪>という現象を、異なった<文脈>で、異なった意味として表現したものだが、そのどちらにも一定の真理が込められていて、必ずしも矛盾したものとは言えない。だから私たちは、或る現象を前にして、その現象にどのような意味を見出だし、どのように対処しようとするのかは、それぞれの人や、それぞれの状況に応じて異なったものになる事は、いつだって起こりうる。つまりそれは、解釈の問題であり、文脈の問題であり、視点の違いであって、決して優劣の問題ではない。

 

いま私たちは、「野口整体法」というそれ自体それほど一般化されてはいない世界の、ものの見方や考え方、あるいはそれによる対処の仕方などを学んでいるわけだが、そこに示されている人間の<身体>や、いわゆる<病気>というもの、あるいは<痛み>や<苦しみ>などといったものの理解について、野口晴哉氏という人間の固有の資質や経験や視点から導き出されたものであることを、いつも忘れるべきではないだろう。

「絶対的な真理」などというものは、存在しない。少なくとも、それが人間による、言語によって表現されたものである限り、どのような言説も、それは常に相対的なものでしかない以上、それは当然のことであると言わざるを得ない。

私たちが何かを学ぼうとする時、そこに示された言葉をただ単に受容し、生き方の指針にすることは、<真似び>であって、真の意味での<学び>とは言えないだろう。大切なことは、真似をすることではなく、その言説が<相対的なもの>であることを常に意識の中で忘れないようにしながらその本質を学び続けることだと、私には思われる。

意識にとって、全ての事象はどこまでも<未知>のままで生起し続けている。追えば追うほどに遠ざかるようにみえるのが対象の在り方である。しかし、どこまでも対象を追いかけ意味を見出だそうとするのも人間の意識であり、そこにこそ人間の人間たる所以もあるのであって、けっしてそれは無意味なことではないと思える。

まあ、こんな私的な思いを長々と書いていては、読者の方たちに呆れられると思うのでこれくらいにして、そろそろ講座に入ろうと思います。

 

整体操法高等講座」(23)婦人操法(1967.12.15)

前回は婦人の操法として骨盤の操法について説明しましたが、男と女を区分するのはそこだけしかないんです。あとは殆ど差はございません。差があるように見えますものはみな骨盤や腸骨の相違による影響でして、そういう影響を差し引けば、区分はありません。・・・

骨盤運動は、骨盤内の臓器の機能との関係が深く、月経があった場合には拡がる、終わる時には縮まる。分娩の時には拡がる、終わると縮まる、というように中の臓器の状況によって収縮・拡張の変化をしている。それ以外でも、生殖器を用いた時や、激しくヒステリックな動作をした時、激しい下痢をした時にも、骨盤に大きな動きがある。

・・・

更年期は一生のうちで一番弱くなる時期です。筋腫とか癌、あるいは更年期独特の生殖器の変動が起こる。たえずおりものがあったり、出血したり、頭痛やめまい、神経痛を起こしたりする。

そういう更年期の病気を丈夫にするためには、更年期を素早く越えてしまうと、ガーッと変わって丈夫になる。だから、そのための整体操法をすることは、自然であって、適切なことだと思うのです。

・・・

骨盤の開いているのを縮める操法を<回春>操法、縮んでいるのを拡げる操法を<化月>操法と呼んでいますが、男も女も<回春>操法で若返りたい、と皆言います。しかし、<回春>操法で若返ると思っていたのですが、更年期の変動、病気の場合に、この<回春>処置をすると、出血がもっと増える。足掻いてばかりいる期間が長く続く。

逆に<化月>操法すると、出来かけた筋腫も癌もフーっとなくなってしまうことがわかってきた。

だから、更年期の病気のひとには、それを早く治そうとして<化月>操法、昔はこれを<老衰操法>と呼んでいましたが、それを<異常を早く抜くためだ>というように自分で自分に言って聞かせるようにしてやってきました。

 

昔は、<回春>するということが、健康を保つうえで必要なことだと思って、男だけでなく女の体にもやっていました。少なくとも若さを保つという方法は、健康法として当然だと錯覚しておったのであります。

ところが、長い経験を経てわかったのは、更年期を素早く越えて安定したほうが、体も丈夫になり、気持ちも穏やかになる。そうして肌も一時ザラザラしていたのが、そこから急に立ち直って、急に奇麗になる。

いまでは、<化月>処置を施した方が、若さをいつまでも保てるようになるんだと考えています。

だから、男と女の操法の第一番目の区別はそこにあると思いまして、ここ十年ほどはやっていて、やっと<回春>という妄想から解き放たれて、<化月>処理が、自分への言い聞かせなしに行えるようになりました。良心が咎めることもなくなってきた。

女は、力のあるうちに、そういう<化月>をしたほうが良い。男は七十でも八十でも<回春>処置はすべきだと思いますが、女は若さが残っているうち、まあ五十になったらそういう事(化月)をとったほうが、その後ずーっと長生きする、丈夫になる。

そうは言っても、それを理解するのは大変なんですよ。みんな若いほうがいいと思っている。だけどもその時の姿をそのまま後に残すということになると、それはその方がいい。月経が早く終わったという人ほど、若いです。五十、六十になっても若い人に、月経がいつ終わったかと聞くと、みな意外に早いのです。

回春操法は男の操法であり、化月操法は女の操法だ、というふうに分けるべきだと今は思っています。同じように操法していたのは、私が余分なことを考えていた時代の妄想に過ぎません。その妄想の時代の考え方を取り消して、化月を<女の操法>としてやっていくことをお勧めします。そうすると、古びないうちにやる程、新しい状態を保って、それを後々までもっていける。

こういうことに気づくまでに、三十数年もかかりました。それまでは、女の人に若返りの操法をやって、かえって筋腫が大きくなったり、変動が大きくなったりしてどうしようかと考え、その対応を操法でしていた。そして一方では若返らそうともしていた。両立するつもりでやっていたんです。今となれば、そういうやり方が非常におかしいと思う。

そんなわけで、女の操法として、骨盤を拡げることのほうが、縮める操法よりも多くなりました。

ただ、あきらかに余分にあぶらがくっついて太っている場合には縮めることもします。それは骨盤の動きをスムーズにする為に行うのですが、そういう状態の時は、骨盤が拡がり切る七割か八割の段階でストップしてしまって動かない状態なんです。そうなっている時に太る。それ以上開くことも締まることも出来ない状態。そして自分の体が重く感じられ、身動きが苦しくなる。

この開くのも締まるのも出来なくなった状態で拡げようとしても難しいのですが、その逆に、<一旦締める>ということをすると、動き出すんです。そうすると骨盤がスムーズに動き出してくる。

 

人間の体は、流動してずっと動き続けるのが本来ですが、その動きが閊えると<異常>が生じてくる。これは心の動きが閊えた場合でも同じで、異常の元になるんです。動いてやまないのが人間の生きている特色でありますから、そうした<動きの閊え>を除いたり防いだりすることが唯一無二の整体操法なんですが、骨盤の拡がりが閊えてストップした場合には、<一旦締める>ということを何度か行なっていくと閊えがなくなって、自然に拡がるようになるのです。そういう技術が必要なんです。・・・

 

女の体の独特の故障は、骨盤を拡げると良くなってくる。逆に、縮めると故障の兆候が濃くなってくる。

拡げると、反発力が鈍くなってそういう徴候が薄くなるのかというと、そうではなくて、何か栄養が足りなくなった樹木が枯れていくような、そんな具合で良くなってくる。そして故障が治ってしまう。

 

閊えているものに対して、もう一回骨盤を締めて、自然に開くようにしていく。閊えたらまた締めて開くようにしていく。そういう技術によって、一連の経過のなかで、体が痩せてくる時期が生じるのです。そのことを、みんなは<痩せる方法だ>と思って、その方法を求めてくる人が多くなってしまったのですが、私としては、活きのいいうちに止める、その活きのいい体の状態を温存するために、自然に開くようにするために縮めるということをしているのです。

これをやった人は、月経が早く切りあがる。スパッと止まる。いつまでもダラダラやっていない。だから締まった状態が保てる。いつまでもやっている人は、太っている状態が続いて、月経が終わっても太ったままでいる。

月経を終えちゃって太っている人の中に、骨盤を締める操法をすると、また月経が回復することがあるのですが、それが半年、あるいは一年半にわたることがある。それは締めた効果であって、閊えていたものが出る為に月経が回復するのですが、そうでない月経があるうちの場合は、月経のあがりが早くなる。

だから、月経のあるうちに締める操法をすべきだと思うのです。月経がなくなってからやると、一応もう一回月経がある段階がある。そうして痩せ始める。そんなときは皆若返ったことを実感し、顔色まで元気になってくる。

ところが、その後、体が締まり、月経もなくなった頃、一旦女らしさを失ったような殺風景な状態になります。その時に、再度<骨盤引締めの操法>をいたしますと、以前のような若々しい感じが出て参りまして、体の故障も無くなっていく。

 

だから、健康を維持するという面からいえば、早く<化石操法>を行なうべきだ、ということが判ったわけです。<化石>というような名称がついてしまったために、随分躊躇してしまっていた。私はこの操法が、男の喜ぶ<回春>操法と同様のものだとずっと混同していたために、三十年も気づけなかったのです。

<化月操法>を女の操法、<回春操法>を男の操法と区別した理由の焦点は、以上のことにあるのです。

 

だから骨盤を拡げる操法を行ないますと、激しい月経痛であるとか、不感症であるとか、癌であるとか、筋腫であるとかいうのは無くなってしまうのです。不感症はまあ別の問題ですが、そういう女の体の独特の故障は、骨盤を拡げればなくなってくる。

 

(栄養の問題)

私は昔から、健康を保つためには栄養のいい状態を続けることだ、と確信を持っていました。ところが、必ずしも栄養が充実しておればいいのではなく、栄養を摂らないでいることが必要な時期というものがあることが判ってきました。栄養を余りとりすぎると、かえって体の素直な適応が行われない時がある。

体の要求で食べている人は、そういう時期には食べることに淡白になるが、何でもかんでも食べて栄養を摂らなければと、頭で食べている人は、たえず病気をつくっている。

更年期の、子宮がんとか子宮筋腫とか卵巣嚢腫とかいった婦人の病気を見ていますと、どうも頭で食事をしているような人が多いように思われる。

私自身、栄養の維持が必要と、ずっと考えてきて、どうもそうではない場合があるということは、多くの経験から最近になってやっと判ってきたに過ぎないのですから、あまり他人にそういうことを強要するのはおかしいことなのですが、どうもそういうことがある。

今の生理的な身体だけを主にした医学の段階では、<栄養が必要でない時期がある>というような考えかたは受け入れられないかも知れないが、やがて<生活している人間>という視点から医学が新しく組み立てられるようになれば、そういう事も問題にされるようになってくるはずで、五十年も経てば、そのことが判るようになると思います。

 

私は、三十年ほど前は、<肝臓操法>が私の治療法の中心でしたが、当時は肝臓の異常というものは殆ど問題にされていなかった、それがやがて多くの医者がその重要性について言うようになってきました。戦後は、副腎が問題になると言って、やっていましたが、最近は大分それがにぎやかになって来ている。

同じように、栄養の問題も、それが必要とされる時期とそうでない時期があるということは、だんだん判ってくると思います。

 

栄養が必要でない時期というのは、子どもにも大人にもあります。一生の間でいうと、一番栄養が必要な時期は生後十三か月。一番要らないのは、更年期の前後。それ以外だと、栄養が余分に必要な時期と、要らない時期とは交互にやってきます。そういう<波>がある。

そういう<波>に乗っていれば無理なく病気は経過出来るのですが、そういう<波>を無視して、自然の食欲というものを見失って、観念で食欲を引きずって、何でもかんでも栄養を充たそうとすると、健康になれない。

<空腹の快感>を知ると、自然の食欲というものが判ってくるのですが、始終満腹にしようと頭で食べているのは、食欲ではなくて惰性でそうしているのです。

食事の量を減らすという事への恐怖をなくすためには、<空腹の快感>を知る訓練も必要だと思うのです。本当の食欲というものを知る為に、特に更年期の前後の人には、そういう訓練が必要です。栄養が落ちることを不安に思わないようにする。余分に栄養があるために筋腫や肉腫ができるということがあるということを、知っておく必要があるのではないか。

そういことがうまくできるようになれば、更年期のいろいろな難しい病気は、大抵自然に根が切れるようになっていきます。ただし、減食というものは、病気を治す方法ではなくて、余分な栄養によって余分な病気を作らないようにするための方法です。

 

整体操法の立処)

昨日、糖尿病の人に減食を奨めた、と言っている指導者がいましたが、私は彼に「糖尿病を治す為に減食を奨めるとは奇怪だ」と言いました。というのは、我々の立場は、インシュリンを分泌せざるを得ない様な状況にその体を追いつめることで、その体自身のインシュリンの分泌を促すことである。減食したり、食養生したりして糖尿病を治すというような立場にはないはずです。これは栄養がある、これには何々がたくさん含まれていて体にいい、とかいうのは薬を飲んでいるのと同じ考え方なんです。食べ物を選りどるということの究極は薬の服用です。欲するから食べる、旨いから食べるのが本来で、糖尿病のような場合には、インシュリンを分泌するように、悪いと言われたものをせっせと食べればいいんです。そうして体がインシュリンを分泌するような状態に向けていく。そして整体操法をした結果、少しの食事で栄養が充ちるようになり、沢山睡眠をとっていたものが少しの眠りで疲れが抜けるようになる、というようにしていくことが我々のなすべきことなんです。

しかし、更年期の場合には、<栄養の充実が健康にとって必要だ>、という考えでは駄目なんです。その場合は<栄養を減らす>という考えが必要なんですこの時期は、体の中に、少しでも多くものを貯えたいといった要求が激しくて、食事でもせっせと食べるようになるのです。これは普通の食欲ではなくほとんど本能に近い。執念に似ている。それをあえてやめさせることが大事になるのです。

これは、左の腸骨をちょっと拡げるようにすると食欲がなくなってくる。

更年期に肝臓の悪い人がいまして、子宮出血している。肝臓の異常で子宮出血する人は少なくないんですが、これは過剰栄養によって出血をつくっている。さっき、余分な栄養の為に癌や子宮筋腫をつくると言いましたが、肝臓異常による子宮出血もそういうもので、それでいてせっせと食べることをやめないんです。そこで左の腸骨をちょっと拡げましたら、治ってしまった。

もちろん、腸骨をやらなくて、正規の食欲が動き出すのが本来で、そのほうが治りがいいのですが、それが判らないために臨時のブレーキが必要な場合もある。簡単にできるからといって濫用はなさらないでください。

右の足首も食欲に関係しています。・・・

今日はこれで終わります。