野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

弟子(?)入り

私にとって、整体指導者から直接、個別に整体操法を教えていただけた経験は、極めて幸運なことであった。友人と二人で、一週間に一度、毎回4時間近く、I先生のご自宅で、整体操法の実習を講座形式で学ばせていただいた。

指導者一人、弟子二人のこの濃密で贅沢な時空を、2年間あまりにわたり続けてくださったI先生に心から感謝申し上げます。

先生にとって負担以外ではなかったはずのこの講座開講のために、その都度丁寧なテキストを作成してくださったことにも感謝、感謝の思いでいっぱいです。

また、いま、その時の講座資料を机上にしながら、毎回講習が終わった夜遅くに、道場下のリヴィングでとびきり上等のイングリッシュティーとお菓子を用意してくださっていた奥様の姿を想像して、懐かしさとありがたさががこみ上げてきます。実においしい紅茶だった。

先生が最初の講義でまず話されたのは、ここでの資料は整体操法のマニュアルではなく、整体操法の基礎を実習を通して学ぶ人のために編集したものであること、その内容は、処を通して、訓練された指で体を読めるようにするためのもので、実技に重点がおかれている、というものであった。

そして繰り返し話してくださったのは、整体に対する心構えを確立することの重要性についてだった。

整体操法の体系は、頭で学ぶものではなく、あくまで実技を通して指で学ぶものであり、そのための手掛かりとしてのテキストであることを忘れないように、というものであった。

実は、I先生は私の弟子入りの申し出(先生は今でも弟子とはかんがえていらっしゃらないと思うが)をすんなりと承諾してくださったわけでは決してなかった。それは、申し出の過程で、当初の私の言説に、整体を学ぶ覚悟といったものが感じられなかったためであったと思う。

この講座は「整体操法初等講座」(全12回)「整体操法基礎講座」(全11回)、「続整体操法基礎講座」(全13回)、「整体操法中等講座」(全12回)、そして「整体操法講座」(全8回)として行われた。

 

整体操法中等講座」のテキスト序文には次のような記述があります。

「本講座は整体操法初等講座、基礎講座に続くものです。前講座では整体法の歴史、趣旨目的といったようなことから、処、型というものを通して指を敏感にする、体が読めるようになる、指導者としての構えというようなことが問題でした。これからは具体的に体を治す、変えるという技術へすすんでいきます。

内容は機、度という中等の問題に入っていきますが、前講座のように処とか型といった目に見える技術ではありません。正確に処を型通り押さえればそれで目的が達成されるかというと、機とか度とかいった技術がそこに入ってこないと、効果をあげることは難しい、ということは周知のとおりである。

押さえた場合にそれをどの程度耐えるのか、どれくらいの圧で保つのかというのが度の問題であり、押さえる時機、放す時機を得るということが機の問題である。

併せて整体操法とは何をすることなのか、整体指導の指導をするということはどういうことなのか、という技術以前のことにもふれていきたいと思います。小手先の技術だけで、こういうことが判っていないと、洗練された整体の操法、指導ということができません。また、いままでのように少々やりすぎても、効果がなくても害がないというわけにはいかず、正確にやらないと相手の体をこわすことになります。十分注意して慎重に勉強してください。

内容の程度は、整体指導者、整体コンサルタント、三段以上の実力を持つ人を対象としました。・・・」

 

機会をみて、上記諸講座について触れてみたいと思っています。今回は、いささか私的なものになってしまいました。