野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶⅢ(75)操法における「触れる」ということ

野口晴哉氏の思想と技術は、未来を先どりしている。> 私がそう考える理由は、氏が自己の身体と意識のみ用いて、「整体」という理念に向けて、人間の身体や心に働きかけるという方法を見出だしたと見えることによっている。

自分というもの以外の何物も用いない、つまり一切の物や道具を用いないで、獲得した認識と、練り上げてきた手技を始めとした諸技法のみを使って、人間の「いわゆる病的とされる状態」から、あるべきとされる「整体」の状態へと変容させていく方法を見出だしていった。そのことが、極めて未来的だと感じられるのだ。

手に一切の道具や機材や薬などを用いないで、人間の病的現象に対峙しようとすることは、一般には信じられない暴挙だと見られるに違いない事だろうけれど、その方法が野口氏と関りをもった多くの人の「治癒」や「整体」へと導き得たことは、ほぼ間違いのないことだろうと、私には思われる。

ではなぜその方法が<未来的>と言えるのか。それは、自分のからだ、自分の認識という領域は、人間であれば誰にでも開かれたものであるからだ。もちろんそれは可能性としてではあるが、われわれが身体と心をもった一人の人間、ひとつのかけがえのない生命として存在している限り、誰にとってもそれは可能性としては常に開かれているものである、ということを意味しているからだ。

医薬品やCTスキャンがあることは、人間にとって素晴らしい事であることは間違いない。しかし、だからといって、近代医術や医療や高度に精密化した現代医術が無ければ人間は病気といわれるものから立ち直れないと言い切ることも出来ないはずである。

もちろん、高度で手厚い医療が、全ての人に開かれているならば、それは素晴らしい事であるだろう。しかし現実には、そうしたものから縁遠くなってしまう人達もまた存在している。多くの人達がその恩恵に浴してきた国民健康保険制度が、財政的な理由からさまざまな困難をかかえていることも、今後そうした人達の増加に拍車をかけることになることが懸念されている。高度な医療には高額な治療費が必要となるからだ。

では、健康不安や生活不安の高まりの中で、われわれ庶民はどう対処していけばよいのか。おそらく多くの人達は、その不安の中で慎ましい日々の生活を何とか送っているというのも事実ではないか。

もし、「健康と言われるもの、病気からの治癒というもの」が、誰にでも獲得できる方法というものが存在するとしたら、それは素晴らしいことではないか。別にそうした存在を現代医学・医療に対峙させる必要などないはずであるし、代替医療と呼ぶことさえ必要がないはずである。そういうことではなくて、誰にでもそういうものは皆自分の身体や心にあらかじめ備わっているものなんですよ、と呼び掛けてくる声に、ちょっと耳を傾ければいいだけのことではないのか。

そもそも、野口整体法は医療とも健康法とも関係のない領域の世界である。「生命の働きを、気を通して理解し、気を用いて活き活き溌剌たる生き方をしてみよう」ということを標榜しているに過ぎない。唯一確かな事は、<生命に対する絶対的信頼>ということである。

野口氏の言説に接していると、ついこんなふうに、たまには大上段から構えてみたくなるのも、私の相変わらずの無責任な態度によるのだろう。ごめんなさい。

 

I先生。「整体操法講座第十回目の今日も、前回同様操法の基礎の復習です。操法で相手に触れるということの問題、これは基礎中の基礎と言っていいのですが、そのあたりから始めてみようと思います。」

 

相手には本能的に、その人なりの「押されてもらいたい」時の感じとか、「触られたい」時の感じというものをあらかじめ持っているので、そういう感じにそったものでないと違和感だけを感じてしまう。

そういう感じと言うものは、非常に明瞭なもので、下手な人がどんなに気取って押さえたとしても、下手であることはすぐに見抜いてしまう。

嗜みをもって相手に触れるという場合には、相手の吐く息に沿って押さえる。身体を調整するために押さえる場合には、いつも相手が息を吸いこんでいる時におこなう。骨を治す時は、息を吐き切った瞬間を選ぶ。

骨折したときでも、相手の息の吐いている速度で触ると、どんなに乱暴に触ったように見えても痛くない。

呼吸を考えないで触ると、物を扱っているという感じで、そうなるといくらおっかなびっくりソーっと触わっても痛い。最初に触れられた瞬間に、相手には上手か下手かすぐに区別ができる。

 

呼吸しているということの中には、相手の心の動きも伴っている。相手が急いているときに、ゆっくり押したのでは相手は不満足である。急いている時には、速い方が快感がある。簡単なのは、お腹が痛いという時に、おっかなびっくりソーっと押さえると、いよいよ痛い。思い切ってギュッと押さえると楽になる。中から出てくる力がある。痛いというのは縮むことだから、その縮む力以上の力と量でもって、それより<遅い>速度でジーっと押さえると、痛くなく、快感がある。ソーっと押さえても、縮む力より<速い>速度で押さえると痛くなる。

速度が適わないと、ソーっと触っても、強く触っても痛い。ところが、相手の中の縮む力、縮む速度を知って、その速度より一つ強く、その縮む力より一つ強い力でジーっと押さえてしまうと、押さえているうちに、その痛みは除かれてしまう。

自分のお腹が痛い時に、触ってみるとよくわかるが、ジーっと押さえて辛抱している。それで強く押さえると痛くないのではと思ってギュウギュウ押すと、痛くなったり悪くなったりする。ソーっと押さえれば痛くないのかといえば、却って痛みが強くなる。

打ち身の処を押さえる場合でも同じことで、靭帯の縮む速度、痛みを感じている場合の量と、押さえている強さとがピッタリ合っていれば、強くても弱くても痛くないし、そのまま動かしても痛くない。

同じように押さえても、相手の身体の運動状態や心の状態によって違ったものになる。

イライラしている人にゆっくり触ったら、よけいイライラしてしまう。

何でもない人にそーっと愉気をしたら、かえってイライラする。何でもない人に触る場合は、ある程度の力を加えて触る、つまり相手のとっているバランスを少し破るぐらいの力で押さえると、そこに快感が起きる。多くの人は何らかで鬱滞しているので、その発散による快感が生じるためである。

 

最初の触れるという場面で、上手下手が分かれてしまう。

たとえ「型」を一生懸命きちんとできても、そういう恰好の問題ではないので、相手の感受性や心の状態が、押さえていることに相応しいものでないと、相手は快感を感じることが出来ない。

問題はいつも、相手がその刺激をどのように受けとめ感じるかということにある。

一通り「型」を身につけることが出来たのだから、相手の感受性を読んで、感受性の状態に適うように導いていくということを身につけていかなければならない。

それが出来て初めて実用になる。

これまで何度もやってきた棘突起の揺さぶりの練習も、相手の感受性を知る一つの手段です。相手が息を吸っている時に揺すぶれば、それを弾力があるように観察してしまうのではいけない。逆の事もいえる。相手が息を吐いている時に揺すぶれば、弾力がないように感じてしまう。

だからそういうことが生じないようにする為に、吐いている時とか、吸っている時とかどちらかに決めて、一定の状態でその状態を観察できなくてはいけない。

同じ刺激が、相手の感じ方によって異なると同時に、呼吸の状態によってもそれを強く感じたり弱く感じたりする。

 

棘突起の揺すぶりの練習

棘突起を押さえる場合に、「息を吸うごとに押さえる」ことと、「息を吐くごとに押さえる」ことの二通りでやってみて下さい。

次は、「息を吐き切った瞬間」と「息を吸い切った瞬間」の二通りで押さえてみて下さい。

違いが分かりますか。

息を吸いこんでいるのに、押さえるとズブッと入るところは異常のある骨です。息を吸いこんでいて柔らかいところがあれば異常。息を吐いているのに、引っ込まないで飛び出している、同時に硬い、それも異常。吐いて柔らかくならない、吸って硬くならないというのが異常。

これを何度も練習していくと、異常な骨がどういう状態のものか分かってきます。それとともに、相手の心の状態、それが緊張状態なのか、弛緩状態なのかも分かってきます。また、相手の身体の状態、その異常が緊張しようとする傾向の異常なのか、弛緩しようとする傾向の異常なのかもわかってきます。

そういうことが自然にわかってくるまで繰り返し練習して下さい。

初めのうちは難しいと思います。だから今はそのことを頭のどこかに入れておいて、実際に異常な骨を見つけた時に、それを思い出して、押さえなおしてみることを続けると分かってきます。

棘突起の異常を調べる時、まず胸椎五番を押さえます。そこは胸椎の中では比較的可動性が悪い。実際悪い場合は、みな硬く飛び出している。まずそういうところで練習します。

まず胸椎五番を揺すぶってみて、その弾力状況をよく覚えておいて、つぎに他の棘突起を揺すぶって比較してみる。胸椎部に五番より硬いものがあったらそこは異常です。

次に、胸椎二番を押さえます。ここは一般に胸椎五番についで硬い骨です。その次に硬いのが胸椎の一番です。五番、二番、一番の順に硬いのが普通です。

胸椎三番になると割と少しの力で動きます。

胸椎四番もそれと同じぐらいの可動性です。

胸椎八番は少し硬いが、五番に比べればずっと柔らかい。

胸椎十番は、三番と同様に胸椎五番につぐ硬さがある。

胸椎十一番は、それらよりズーっと柔らかい。もし胸椎十一番、十二番が硬い場合は、腰椎の異常を確かめる必要がある。腰髄に力がなくなると、これらが硬くなる。それは歳をとったということである。

月経がなくなったというと、そこが突然強張ってくる。月経が無くなっても、またあるような人と、完全になくなってしまう人とがあるが、それは胸椎十一番の硬さで分かる。

練習としてまず五番を押さえ、次に二番を押さえる。二番が五番のような硬さがある場合は、腕に故障があるのではないかと見る。ただし、腕とかは、その使い方によって非常に差が出るものであるから、単純に二番の硬さだけで決めつけてはいけない。

 

今日の練習の目的は、棘突起の可動性の状態、過敏や鈍りを見るだけではなくて、この骨が異常かどうかを判断できるようにすることにあるので、腕とか脚とかまでは確かめなくていい。

押さえてみて、すーッと戻ってくれば異常ではない。

その骨に可動性があっても、なくても、押さえた時に余分に凹んでしまって戻ってこないというものが異常の椎骨です。それから、押さえても全く動かないというのは異常です。異常の骨というのは、そんなに沢山あるわけではない。

 

さて、異常の骨が見つかりましたか。

それが分かったら、今度は眼をつむって、指で背骨をスーッと触っていく。揺すぶってその異常の骨の感じを確かめます。

何度か、それをやってみて下さい。だんだん異常な骨というものの感じが分かってきます。

家に帰ってから、身近な人の背骨を借りて、何度も異常のある骨の感覚を覚えて下さい。ただし、十五分以上やると疲れてしまって集注できなくなってしまって、分からなくなるので、また間隔をおいてからやるように。

 

では、今日はこれで終わります。