野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

「整体操法高等講座」を読む(3)相手の力の使い方(1)

口述記録の冊子の作成というのは、担当された方が、野口氏の講座を、一回一回テープに録音し、それを再生して、テープに耳をそばだてながら、一言一言聞き洩らさないように丹念に文字に落としていく作業です。やったことのある人ならすぐに判る事と思いますが、一行書き起こすために、何度も何度も引き返し再生し直しながら書いていく為に、それこそ語られた時間の何倍もの時間を必要とする大変骨の折れる作業です。そして、一通り出来上がった草稿を見直し、それを野口氏に推敲してもらう。必要があれば新たに言葉を書き加え、聞き取れなかった部分を野口氏に尋ね、用語の漢字が分からない処を辞書で調べたりして、ようやく完成原稿が出来上がる。それを最終的に野口氏に確認したうえで、やっと必要部数の印刷に回します。今回のような比較的簡易な冊子の場合は、ホッチキスで止めて製本するところまでが、担当者の作業だったと思われますので、この作業に従事された方のご努力や大変さには、本当に頭の下がる思いがします。そうした有難い思いを抱きつつ、以下に要約を続けることにします。

 

整体操法高等講座3」(1967.4.25)

中等講座の終わりの時に、右の力と左の力を一つに使うことを練習しました。それは一方の手で押さえて、その力を相手に逃げさせる。そうしてその逃げ道を他の手で閉ざすというやり方でした。たとえば、腰を押さえる場合にも、右で腰を押さえてこれを向こうへ逃がす。逃がしたのを左で受け止め、押さえた力と受け止める力とが一つになる位置を作り出す。それが中等技術でした。ですから力を逃がすとか、逃げ道をふさぐとかいう意味はお分かりだと思いますが、それだけではまだ自分の力でやっているのです。

高等技術ではそれにもう一つ付け加えるものがある。それが付け加わらないと本当の力になっていかない。

それは何かと言うと<相手の力>なのです。

<相手の力>というのは、<相手の呼吸>なのです。それを使わないと、逃げ道をふさいで押さえても、本当の力にならない。

うつ伏せで相手の背骨を押すという場合でも、そこに弾力が出てきて、押せばいくらでも動く。下手なうちは、相手の呼吸を閊えていないので、反撥を引き出せないために板の上を押さえたようにコツコツになる。

相手が息を吸いこんでくるところ、吸いこんでくるところというふうに押さえると、弾力が出てくる。

吐いている時に押さえると、全然反撥してこない。押さえられて苦しくなって、息をつめてしまうが、それでは相手は苦しいだけでなく、萎縮してしまう。

だから、右と左の力を拮抗させて押さえるだけではだめで、その時に相手の息を吸いこませておいて、そこで押さえてしまう。そうすれば、押しても放しても、それが弾力となり、反撥する力となる。

息を吐いたときは、こちらの力が小さくても、相手は強く感じるのです。その逆に、息を吸っている時には、弱く感じるのです。

相手の力を使う為には、その前提として、こちらの<型>か決まっていないといけない。それと同時に相手の<呼吸>が分からないといけない。

<呼吸>を刺戟として使う場合には、「吸いこみ切って、吐こうとする頭」をフッと押さえる。そうすると、相手はそこで吐けなくなる。相手が吐こうとする寸前にピタッと押さえるのです。吸い切った瞬間に押さえると、相手は吐こうとしても吐けなくなる。押さえている間、相手はそれがたとえ短くても長く感じるのです。苦しいのを我慢させられるから長く感じる。長く感じるということは、押さえられている力を強く感じることと同じです。そうなったら、逃げる方向がハッキリしてきます。力の集まる方向がハッキリしてくる。

 

こちらの押さえる速度が、相手の吐く息の速度よりも速い場合には、相手は息を止めてしまう、そしてこらえる。初等技術の場合は、吐く息で押さえることを練習しました。これは触って相手の体を調べるには都合がいいのですが、操法の効果から言うと、息を吐いた留守にギュウギュウ押さえても、その反撥は望めない。反撥する力を使っていくためには、相手に息を吸いこませたところを押さえないと役に立たない。吸いこんだ時に息を止めさせないように押さえていきますと、割に強い力を使ってもそれがこたえない。

こちらの力と相手の吸う息の力が同じ時には、その力はゼロになる。ギュッと押さえても相手が息を吸いこんだら同じなのです。ところが高等技術としては、そういったような相手の呼吸をいろいろと使うことよりは、「相手が息を吸いこんで、吐こうとする頭に、比較的速い力を加える」のです。そうすると息を止めてしまうのです。吐く前で止めてしまうのです。相手の吸って吐こうとする息よりも速い速度で押さえてしまう。そうするとそこで止まる。止めて操法を進める。

ですから、お腹の操法でも、背中と同じように、割に速い力を使う。速い力で、吸う頭、吐こうとする間際を押さえてしまって、お腹の中に一杯空気を吸わせたままで止めさせてしまう。それが高等技術の第一歩であります。

中等技術では、お腹の力と押し合うとか、右手と左手の力を押し合うとかいう二つの事だけでしたが、高等技術ではそれに<呼吸>を加えて、三つの力を一緒にして使っていく。それが大事でありまして、その三つの力を使いこなさないと、操法というものがなかなかスムーズに行えないのであります。

相手の<呼吸>を使わないと、いくら上手になっても、その操法が相手の中に入っていかない。こちらから加える力だけでは、加えた力がみんな逃げられてしまって、加えた力はうまく進まない。

 

たとえば、坐って首を押さえるとします。こうやって相手の吐く息にそって押さえますと、相手が逃げてしまいます。そうなるといくら力を加えても駄目である。ところが、吸手の息をつめておくと逃げない。放すと返ってくる。ご覧になったらわかりますね。ちょうど体の前にベッドを立てかけてしまうようなものなのです。そのベッドを作るのは、相手が吸いこむごとにチョッ、テョッとかかるこの力なのです。吸いこむときにこうやると、息を止めて動かないのです。それから押せば、いくら押しても大丈夫なのです。決して逃げない。

ただ、これはやりいい、やりにくいという問題だけではなくて、そういうように使わないと相手の体の力が使えないのです。

 

そこで今日は、それを「腹部操法」でやろうと思います。

「腹部操法」での急所は腹部の「側縁」であります。そのなかでも「両肋骨の内側」が一番の急所でありまして、そこを押さえることが第一番。

第二番は、「臍の周囲」。腹部の「第一」調律点から「第四」調律点までは、初等、中等において問題にするもので、それらが出来るようになったら、一応頭の中から抜いておいて、「腹部の側縁」と「臍の周囲」に焦点を集めて操法するのです。

「禁点」は、実は操法の急所なのです。ここは水月といって、ここを突くと死ぬ場所なのです。柔道では水月の受け身の術というのがある。それは、突いてきた時に息を吸いこんで前に突き出せば、全然こたえないのです。相手が突いてきた時にハッと身を引くと、ガクンと入って気絶してしまう。実際問題になると、すごい顔をして突いてこられると、思わず身を引いてしまう。そこで入って、目を回してしまうのです。私も二、三回やられてからは、いくらやられても全然平気になりましたけれど、息を吸いこんで突き出せば入って来ない。つまり空気がショックを防ぐ働きをする。

そんなことで、息を吸いこむということは、いろんなことで予防的な働きになる。

操法の際も、相手に息を吸いこませて押さえていくということが出来るようになれば、この鳩尾をギュウギュウ押しても、余り害はなくて、押さえた効果だけが出てくる。

極端な言い方をすれば、お腹が悪いという場合に、どこが悪いか分からなくても、この鳩尾をジッと押さえていると良くなってくる。良くなってくるにしたがって、異常感がハッキリしてくる。お腹のどこが悪くても、その痛みが激しい時は鳩尾に痛みを感じる。盲腸炎の時もここに痛みを感じる。同時に臍の周りにも痛みを感じる。

そこでまず、鳩尾を押さえる、それから臍の周りを押さえる。そして異常感がハッキリしてきたらその悪い処を押さえるという順序になる。

私は、相手のお腹のどこが悪くても、まず鳩尾、禁点をジッと押さえる。禁点そのものを押さえておりますと、悪いうちは指が入らない。息を吸っているのに弾力がない。それが息を吸って一緒に弾力が出てくると、もう治り出してくる。弾力が出てきて、ズブッと指が入るようになったら、もう禁点は御用無し。

こんどは、臍の周りの問題になる。 

臍の周りは、息を吸いこませて押さえていると硬いが、息を吸いこませているのにズブッと指が入る処がその悪い処で、そこにジッと手を当てて押さえる。そうすると悪い処に<感じ>が起こってくる。そうなってから、その部分に愉気すればよい。

操法は、相手の<感じ>に従って進めていく。ただ相手についていく行くだけではなく、そうと決まったら、こちらで相手の感覚を引っ張っていく。そんなようなやりかたがありますが、まず鳩尾を押さえる。ズブッとへこんだら、それがもう次に移る時なのです。ですから、ズブッと指が入るのを待つように押さえる。力を入れすぎない。といって力が足りないのでは困る。相手に息を一杯に吸わせ、その吸った相手の力とここで押し合っている。

息を吸いこんだのにズブッと指が入った時がもう終えた時であり、次に移る時であり、その時と相手が楽になったという時とは、いつも一致するのです。

何処が悪くても構わない。みんな鳩尾でこらえているのです。

鳩尾に息をつめてこらえていると、一応<苦しい感じ>に鈍くなるのです。胃痙攣でも、心悸亢進でも、喘息でも、みんな鳩尾に力を入れてこらえているのです。

そこをやわらげるのですから、どんな苦しい場合でもそれがとれるわけですが、鳩尾に力をいくら入れても、自分だけでは入りきらないのです。そこにほかからの力が加わると、自分ももっと力を集めることが出来るようになって、それで一層早く楽になるのです。そうしているうちに、ズブッとへこむ。へこむというか、指がスッと入る。入ったら、入れない。そこでやめて、臍のまわりに移る。

これが操法の進め方なのですが、鳩尾が硬いままにそこだけいくら押さえてても、時間がかかって大変なので、そういう変化が早く起こるようにする為に、肋骨の縁をきちんと押さえるということが必要になる。

 

もう一つ重要なことは、お腹を押さえながら、首に当てた左の手で、その押さえる度合いを調べていくということです。中等でやりましたが、左手を頸椎の一番、二番、三番に当てて、腕橈骨を返しながら首を持ち上げる。持ち上げると、相手の息はここにこもってきます。ですからこもる前にちょっと押さえておいて持ち上げる。上げると一緒に押さえる。そうすると相手が息を吸いこんで吐く前に、相手の鳩尾を押さえられる。それで放せば、すぐに相手は吐くのです。

首を持ち上げると鳩尾の力が抜けます。抜けたらそのまま押さえてしまう。そうすると首を放したときに下りが遅くなる。そのさがりの遅いのを、途中で止めるのです。鳩尾に力の入る処で止める。放すと下がる。そうして上げた時に頸椎を調べます。

三番でこらえている場合は、左の肋骨の下に指を入れるのです。こう押さえていきます。相手は息を止めますから、止めないように首を持ちげて息を吐かせる。押さえる。首を弛めてそこから吐いていくようだったら、まだ余裕があったわけです。ちょっと深く押さえると息を止めてしまうのです。そうして首を弛めてもなかなか降りてこない。なかなか降りてこないところまで押さえて、放していく。そうしてもう一回頭がこう下がっている時に、ギュウッと指を押していって、次の持ち上げる時に、右手を放して次の場所へ移す。

次の場所へ行ったら、ギュウッと押さえて、こらえて、頭が下りないところまで来て、それから少し弛めて吐かせて、また次へ移るというようにして肋骨の下に指を入れていくのです。

これが最初の問題。

今から皆さんにやってもらいましょう。

難しいのは、「度合いを見る」ということなのですが、今日の練習ではそれは抜いて、そういうものだと憶えておいて頂くだけで結構です。

息を吐いたまま押さえて、吸いこんだ時にもう一回押さえて放す。右手の方は放さない。そうしたら相手の首の落ちるのが止まるだろうか、それを確かめて、止めたならば放して次に移す。止まるところで押さえるということをやりながら、少なくとも三か所か四か所押さえて肋骨の下に指を入れていくということを練習したいと思います。

 

今やったのは、「膏肓(こうこう)に作用する押さえ方」なのです。放すたびに呼吸が深くなっていくかどうかということが非常に大事なことで、操法が上手くいくと、一回ごとに息が深くなっていくのです。

一回ごとに息が深くなっていくのというのを見る、ということ大事で、弱い人は鳩尾まで、もっと弱っている人は胸までしか息が入らない。第二調律点まで入ればまだいい方で、臍までくればいい方。第三調律点まで来るのが正常です。そうやって確かめる。

指を放したときに、呼吸が押さえていた処より下まで来るような人でないと、それは弱っているのです。そうやって確認すれば、相手の異常がすらすら治っていくかどうかという、相手の体力の状態がわかる。では、二人組になって練習して下さい。

それから私、説明するのを忘れていましたが、肋骨の脇に指を当てまして、首の位置を動かしていきますと、力の行く角度が変わってきます。そうしながら、レーダーを出しまして<気>を通していくのです。そうしますと、悪い処へいくと<気>が通らない処がある。そうしたら直接そこを押さえます。そういうようにしていくと、集注するところが分かりやすい。

私は順々に、そうやって押さえているのですが、傍で見ている人には、私の指が動いていない様にしか見えない。しかし、受けている人には、私が押さえていくその都度に、みな違った処を押されているように感じているのです。もちろん、私にもみな違った感じがしています。

そうやって相手がこらえるごと、息が止まっている毎に押さえていく。そうして<気>の行きにくい処、一番抵抗のおこる処を、今度は直接押さえる。ですから、順々に押さえては放す、というのではなくて、押さえてグルっと<気>を通して、それから悪い処を直接押さえる。

私はそれを無意識にやっておりますが、その方が便利です。便利ですが難しいですから、<気>の通るのが判らない人は、順々に押さえていって調べた方がよい。けれども、念のためにグルっと<気>を通すこともやってみて下さい。意外にどこが閊えているかが判るかも知れません。判ったら、その方向に押さえると、必ず硬直している部分があります。

では、もう一度やってみて頂きます。

 

首の重い人は、息を吐いた時に持ち上げてしまっているのです。息を吸いこんだ時にちょっと持ち上げると軽く上がります。吸いこんだ処を、ちょっと速度を速めて押さえますと、首が上がるのです。それに乗じて持ちあげればちっとも重くない。

 

それから、「レーダーを出して」といきなり言ったので。少し難しかったようですが、やはり一つひとつ押していった方がいいようですね。そうやって押していく場合には、相手に息を吸いこませておいて押さえることで、強く押してもそれが害にならない為の要領になります。息を吸わせていない状態で押すと、あとでそこに痛みが残ることがありますので、吸わせて押さえ、また吸わせて押さえる、という要領を覚えて下さい。

ただ、吸わせるためには、その一瞬手前で手が当たっていないと出来ない。そうでないと、どこを触っても力が入らないですから、一瞬手前に押さえてから、すぐに吸わせて、それから押す。そういうつもりでやって下さい。

 

今やった事を、次は「お臍」の周りでやってもらいます。臍の周りだと、今やったよりももっとハッキリ判ると思います。

やり方は同じ要領ですが、押さえる幅は、もっと少ない。

そこで、確かめるのは頸椎ではなくて胸椎二番に当てて行ないます。胸椎の二番は胃袋の急所となっています。臍の真上と、臍の左右の三か所が胃袋の急所ですが、左手の指を胸椎二番に当てて、ちょっと動かしてみる。すると、いつでも臍のまわりの三か所に影響があります。

胸椎二番の<一側>か<二側>、時に<三側>に指を当てて調べます。今は<二側>に指を当てて、その指をちょっと立てるようにすると、その影響、変化がもっとはっきりしてきます。

では、二番に指を当てて、この三か所にどういう変化があるのかを調べ合って下さい。

 

終わったら、相手が、お腹のどこで呼吸をしているかを確かめておいて下さい。

「腹部操法」は、操法直後の呼吸が、どこでまとまるか、ということを見ることが重要で、むしろそれを見るためにお腹を操法すると言っていいぐらいです。

これはお臍の周囲のどこかでまとまれば、それが標準です。お臍のさらに下で呼吸しているなら、それは非常にコンディションがいい時です。腹部第二より上でなら、少し落ちている状態。みぞおちで呼吸している時は悪い状態の時です。

右肋骨下で閊えている人は、下手をするとみぞおとから上で呼吸するようになる人です。

みぞおちから腹部第二にかけて閊えている人は、みぞおちから上で呼吸することになるので、その場合はみぞおちを押さえますと、弛めば呼吸がスーッと下へ行きます。そして臍の上か下で呼吸するようになります。

 

はい、どうどおやめ願います。

いま、上手に押さえたのに、呼吸が下に来ないでみぞおちに行ってしまったとか、呼吸が斜めに行ってしまったという人がありましたが、それらで多い原因は、その人の腰椎二番と三番が捻れている人です。その場合は必ず相手の片方の脚が短くなっていますので、その脚を引っ張っておきます。アキレス腱側をグッと引っ張って、そのまま上をグーっと引っ張ると伸びてきます。伸びてくると一緒に、呼吸も下に下がって深くなってきます。そうなった時に放せば、伸びたのが保たれます。

それからもう一つの原因は、首が曲がっている場合とか、腕の使い方の異常によるものです。その場合には、首の位置を変えるとか、腕を上げるとか伸ばすとかしてみて、首や腕の位置を決めて、つまり呼吸の深く入る位置を見つかれば、どこが原因であったかが 判ります。

 

「腹部操法」をする大きな目的は、相手の体力状況を測定することにあって、だから私の操法では、それだけは略すことはありません。体力が消耗してくるにしたがって、下腹の呼吸がみぞおちに、さらにそれが胸に息、さらに肩に行き、鼻翼にまで行く。

鼻の先で呼吸を始めたら、物騒なのです。呼吸は下の方でしているのがいい。

 

体に異常があった時に、腹部第二調律点を境にして、それより下で呼吸していればそれは回復傾向にあります。第二より上の場合は、戸惑っている状態。

第二付近で呼吸が下に下がらない時は、先ほどのように、みぞおちに呼吸が閊えているのですから、そこを押さえるとスーッと下がってくる。

下腹で呼吸して、みぞおちが<虚>の状態になり、第三、丹田のところが<実>の状態であれば、それが我々の言う<整体>の状態です。

 

「腹部操法」は<体力測定>といいましたが、それだけではなく、<体力発揮>という面でも、相当な働きをするものでもあります。

ですから、極端に言えば、お腹だけ操法していれば、間違いなく良くなる、とまで言えるのです。

この異常はあと幾日で治るとかいうことも、そこで<度>を見ていくわけです。厳密に言えば、体周期の問題や、体癖の問題をしてからでないと、正確な<体力測定>といったものはできないわけですが 、三日や四日の誤差があっても構わないという大雑把な測定であれば、「腹部操法」の観察で可能です。

まあ、この次にそんなこともお話しましょう。(終)