野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

片山洋次郎氏の整体の本(1)

片山洋次郎氏の整体についての著作群は、私のお気に入りである。いつも片山氏の本をバッグに詰め込んで、喫茶店や地下鉄車中でぱらぱらと眺めたり、就寝前に寝転がったまま一言ひとことを味わうのがこの上なく愉しい。

それは、片山氏の語る<整体>が、野口晴哉氏の思想・技術をOSにして、どこにも気負いのない涼しげなことばで、片山氏自身の身体解読を披露してくれるからだ。何よりも、<現代>という固有の生活環境の中で、逞しく生きている人間の<身体>を実に緻密に解読してくれていることが、心地よいのだ。

そこには、片山氏独自の<整体>解読がなされていて、わたしのこわばりかけたからだやこころをやわらかな雰囲気で包んでくれる。

私が息子から「整体について誰のものを読めばいい」と訊かれた時、最初に薦めたのも片山氏の整体本であった。

インターネットと携帯端末が普及し、高度な情報社会が強いてくる身体の変容に、気づかぬうちにそれなりの適応能力を果たしつつある若者と、それに対応しかねている大人の身体との差異をこれほど明確にとらえた著書は少ないだろう。

著者のデジタル・ネイティブとしての若者の身体に寄り添った、非常に読みやすい文体は、整体という世界を息子に初めて推薦するにはとてもふさわしい著作だと私には思えたからだった。

 

『ユルかしこい身体になる』(集英社 2012.1)で片山氏は、次のように本書の目的を語る。 

近年は、人間が作り上げたはずのテクノロジー環境に身体の側が追いついていないために、「うつ」や不眠、アレルギーなど、情報ストレスに関するさまざまな障害が発生している。それどころか、身体のどこかに不調を感じていない人のほうが少ないといった状況である。(中略)小中学生の頃から携帯電話を当たり前のように所有してきたデジタル世代と、それ以上の年齢の人々とでは、整体的に見て、身体の反応に大きな違いがある(具体的には、骨盤や胸椎の反応の仕方が違う)。・・・本書では、デジタル世代といわれる20代の若者と、それ以上の世代の身体のメカニズムと行動を整体の手法を用いて観察・分析し、これからの身体(人間の暮らし)の可能性を探ってみたい。(2-4)

 

片山氏は、現代人の身体が近年の情報量の急速な増加の海のなかで、「その波に圧倒されながらも、何とか溺れないで浮かぶ術を身につけつつあるようにも見える」(12)として、そうした情報に反応するセンサーとしての「胸の中心と胸椎五番」に注目し、90年代以降から増加を続けるアレルギーやアトピー性皮膚炎も、その部位の過敏反応がもたらしたものだと分析する。

野口整体において胸椎五番は、免疫系の反応と関連し、風邪の引き始めの最初の変化の処とされ、五番の変動に伴って発熱や鼻水、炎症などの症状が現れるとされる。

アレルギーやアトピーは、環境物質や清潔すぎる環境の問題や食生活の変化、あるいはストレスなどの外的要因が指摘されているが、これらはともに身体の免疫系の反応が引き起こした現象である。

片山氏は、そうした現象を身体の側からみれば、胸部の情報センサーの過敏状態であり、その過敏状態が引き金となってそれらの症状が噴出しているのだと説明する。

つまり、外界の情報環境の肥大化とそれを受け止める身体との間に、胸部センサーという媒介項を差し入れることで、人間の身体の感受性の問題に向き合おうというわけである。

さらに片山氏は、<共同体>のあり方に言及し、現代の若者と、それ以降の大人たちにとっての<共同体>とには大きな変化が存在していると指摘する。この違いこそが、高度情報社会に生きる人々の情報の受け止め方の差異を決定づけていると分析する。

今では、会社でも学校でも、周りに気を遣わねばならない。人間関係がかつてよりも不安定なものになったからだ。情報環境の変化とともに、共同体的な安定的な関係というものがなくなり、人間関係の場がより流動的になったことが原因と思われる。

上の世代が(職場等で:註、引用者)議論や喧嘩をしていたのは、彼らが今の若い世代に比べて覇気があったからではない。かつての会社は、その構成員に喧嘩をしても大丈夫と思わせる、安定した場や秩序といった共同体的枠組みを提供できていたのだ。だから、安心して喧嘩をすることもできた。ところが今は視界不透明な時代で、会社も学歴も実はあまり頼りにならない。至るところで共同体的な枠組みが崩壊してしまった結果、人々は、かつてより不安定になった人間関係の維持に気を遣わなければならなくなった。(47)

 

そして片山氏は、「オタクこそが肥大化する情報環境に適応するための、言い換えれば、情報の洪水から自分の身を守るための身構えを実践した最初の人々なのである。」とする。しかし、さらに猛烈となっていく情報量の増加が、この<オタク的適応>さえも限界に曝していく。情報の増大と細分化が、一部の情報にだけ反応していればよかったはずの対処の仕方を打ち壊すまでになてしまったからだと分析する。そしてその過剰さを解消し、リセットするために身体がとるのが<骨盤運動の鋭敏化>という身構えだと説明する。その詳細は本書に当たっていただくこととして、片山氏の観察は、<胸部>とそれと連動する<骨盤>とに注目し、情報過多で過換気症候に似た状態に対処する方法をいくつも提示している。

片山氏の提示する方法は、<相手の体力を賦活させ、自身の力によって外界等からもたらされる障害の原因に対処出来るよう導いていく>という、野口整体操法本来の目的に沿ったかたちで行おうとするものであるのは勿論だが、それだけにとどまらず、個人が組織や共同性の中で生きるとは何を意味しているのかとか、自らの身体の感受性に添って生きることの大切さとか、日常的に出来る簡単なリセットの方法とかなどについて、豊富な事例によってわかりやすく解説してくれている。

まだ手にされていない方には、是非お読みいただくことをお薦めしたい。