野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(35)股関節の異常と足の操法

野口氏は、治療を捨てて体そだて(体育)に邁進すると宣言した。つまり手技療術による治療法としての整体操法を、治療法としては今後は使わない、と方向転換した。ところで、そのことの趣旨を、うまくとらえきれなかった指導者もいたのではなかったか。

治療法として整体操法を使わないという表現を、整体操法そのものの否定として捉えてしまった指導者もいたのではないか。事実その宣言ののちに、整体協会を去った指導者も少なからずいたとも言われている。あるいは、もっと違った理由から去っていったのかもしれない。しかし、その宣言が極めて革新的なものであり、多くの整体指導者にとって衝撃的なことであったことは確かだろう。

医は医なきをもって最上の医となる、とする皇帝内経の理想に類する記述もあるように、人が人を治療するという行為は、一時的便宜的な方便でしかなく、その究極の理想は医そのものが存在しなくなることだとされる。

整体操法本来の面目は、治療を他者から受け身的に受容しようとする態度の人たちが、そうではなく自らの力で一人立たしむるための手段としてある。つまり最後には整体指導者からの自立を究極の姿と考える。そのかぎりでは、整体操法による治療という行為そのものが過渡的、便宜的なものに過ぎないという野口氏の言い方は、ある意味で自然なものであったろう。

この考え方に従えば、この便宜的な治療技術は、一人一人の人間が、自分自身に予め埋め込まれている生命の力を信じ、その力を最大限に発揮し、その持てる野性をみずから喚起し、誤った身体を巡る観念を打破し、一人立たしむるための補助手段としてこそ意味を持つものなのだ、ということになる。

しかし、首都圏から遠く離れた地方の整体指導者達にとって、この考え方を共有することがとてつもなく高い理想であり、越えがたい溝を鮮明にしたこともまた事実であろう。このことは十分に考えてみる必要がありそうに思われる。

一般の生活者が整体指導者や整体操法に期待するものは、その並外れた治療的効果あってこそのことであり、当時も今も、そのことは余り大きくは変わっていないのではないか。

今日の整体指導者、整体コンサルタントのもとを訪れる多くの会員が、整体協会が理念として掲げる「整体」(健康と近似の概念)という規範を理解し、その理念実現の為の補助手段として整体操法(指導)を受け、みずから身体的自立を獲得しようとしている人たちの集まりであるとされる。その過程として活元運動や潜在意識教育法、整体体操、あるいは整体操法を熱心に学ぶ人たちである。会員一人一人は、それらを指導者から学び、身体的に自立し、溌剌と生きていけるための手段としてそれらを受け取る。そのとおりであれば、それは素晴らしいことである。しかし現在の日本における野口整体法の受容の仕方として、それがごく一般的な理解であるとは言えないのも、また事実ではないだろうか。

わたしたちは妊娠、出産、育児からはじまり、学校、職場、あらゆる生活環境のなかで、近代医学・医療が網の目のように張り巡らされてたなかで生きている。そこでは整体法の考え方や方法は、必ずしも正当なものとみなされてはいないし、ときに異端として取り扱われることもまた事実である。

しかし野口氏が目指していたのは、こうした近代医学・医療に真正面からに対峙し、今日の医学・医療を変革しようとしたのではない、と私には思える。そうではなく、今日の医学に特徴的な、身体を物理化学的、生理解剖学的にのみとらえる方法とは全く異なる、ある種、触覚的な身体理解、身体解釈というものが可能となるのではないか、という新しい身体像の構築をこそ目指したのではないかと思えるのだ。

その意味では、身体についての思考のパラダイムチェンジを目指したとは言えても、近代医学・医療を否定する対象としていたとは言えそうにないものなのである。しかも、治療という概念にとらわれると、どうしても整体操法の方法が、それらの対立的な概念として措定されてしまう、そういう轍から逃れる意味で、いささか古めかしい「体育」という概念を用いていたのだと私には思われる。

もちろん新しい視点から、これまでとは異なる医術が生み出され得ることがあるのは当然だが、野口氏にとってはそのことよりも、新しい身体についての知、豊かさに満ち溢れている身体や生命がもっている働きに視点を集め、そこから個々具体的な身体を持って生きる人間を、感受性という領域にまで拡張して対象化し、描き切りたい、そういう想いで紡ぎ出されたものこそが野口整体法だと言えるのではないか。そして、からだの発する聲を聴くとか、からだの表情を読み解くといったことは、整体操法が到達した厳密で詳細な意識的方法があって初めてそれを可能にしたのではなかったか、と思えるのである。

ここでもう一度、野口氏の宣言を見ておくことにしたい。

「・・私にとっては戦前の落合道場の時期が最全盛の時で、治療技術者としてはベストだったのです。しかし今は治療をもう一歩進めた体づくりに集注しておりますが、このほうがやり甲斐があるような気がしております。

なぜその立場を捨てて、体づくりを心がけるようになったのかということは、そうした立場にたたないと、本当のからだの使い方の指示ができず、不摂生の後始末ばかりすることになるからであります。これでは百年清河をまつことと変わりはありません。

不摂生を活かす心がけ、不摂生を養生にする体の使い方、からだに適うからだの使い方、からだの特性を活かす使い方、それを知ってはじめて皆さんの健康生活を保つ道が拓かれるのではないでしょうか。

立場がかわったとはいえ、自然健康保持会出発の心が変わったのではありません。かえってこの目的を達成するには修理専門ではいつも後手にまわると考えたから、体づくりを心がけるようになったのであります。

40年の治療技術追求の結果、得た知識が、体づくりということであります。

いのちの姿勢を正すということが修理より、明るくかつ確かなことなのであります。

しかし、治療技術者としての40年の生活も無駄ではありませんでした。これがなかったら、体づくりも空念仏か、観念上の産物にすぎなかったかもしれません。

体づくりの技術は、いままでお教えした整体操法本来の面目で、治療技術は整体操法を治療技術として使う方法としてお教えしたはずです。その方便的な使い方を、本来の使い方としてほしいとねがうのです。修理ではなく丈夫にして保つよう技術を使うことであります。どうぞ私の今ある立場に同調していただきたい。整体操法を治療技術として使うことはもう古い。」(「月刊全生」6月号、野口晴哉「整体本来の道を」再掲)

 

また、横道に逸れてしまいました。ではI先生の講義記録を続けさせていただきます。

 

股関節の異常

脊椎が転位する理由はいろいろありますが、その大きな問題として股関節の異常があります。股関節には笠(寛骨臼)があって、その中に大腿骨頭が入っている。ところがこの笠のないのや、笠の成長していないのがある。そのために股関節に異常をおこしているものが非常に多い。それ以外にも、膝が悪かったり、足首の動きが悪かったりが原因で、背骨にその影響が及んでいることが可成りある。そのため、一つ一つの椎骨の異常を矯正する前に、それらの異常があるかどうかを確かめておくことが必要となる。

たとえば、足の長さに違いがあって、左右いずれかに重心が偏るようなときは、腰椎二番の、太く短くなった足の逆側が硬くなっている。二番がそちらに曲がっている。その方向に曲げまいとして、筋肉が硬くなって曲がらないようにおさえている。この部分に硬直があるからと指で押さえて弛めてしまうと、余計にガタっと曲がるようになる。せっかく体が曲げないように防いできたものを壊してしまうわけである。こういう場合には、逆の側が弛緩しているから、その虚を埋めるように、腰椎二番の弛んだ側に愉気をすると、硬直がなくなってくる。骨がだんだん元に戻ってくる。

だから、股関節や足首の異常などで左右に重心が偏っている場合には、腰椎二番の逆側、つまり重心の逆側の硬結は、これは操法しないというのが原則である。

やるとすれば、同側の弛緩部位を操法することによって、間接的に操法を進めていく。しかし、これすらも本当はやるのは余分なことです。それ以前に、股関節や膝や足首の調節をする方が重要なのです。足の異常で背骨が曲がっている時は、操法してはいけないのです。

 

しかし、便秘したり下痢したりしている時、同じように腰椎二番が曲がって硬くなってきますが、それを正すと症状がなくなります。盲腸炎の時に、腰椎二番の右を押さえると回復してくる。腸閉塞とか腸捻転の場合は、腰椎二番の左をおさえると回復する。しかし、腰椎二番に硬結がある場合は、注意して対処する必要がある。そこに硬結があるからとすぐにやってはいけない。上下なら一番にくる。捻じれなら三番。開閉は四番。前後は五番に出る。その偏る角度によっていろいろ出るが、足の異常があって、その為に腰椎に異常があるものは、これは直接腰をやらない。

椎骨の異常が体の中の病気の異常なのか、頭の中の神経の異常なのか、足の異常なのかの区別ができないと、調節していい腰なのか、してはいけない腰なのか判らない。ところが整体操法では比較的簡単に判る。神経系統の異常は一側に現われる。臓器的な異常は三側、足の姿勢のもたらすものは二側に現われる。ただ左右異常と二番、前後異常と五番、捻れ異常と三番、開閉異常と四番、上下異常と一番、と子の異常の場合だけの二側異常を直接腰椎を処理しないのであって、二側の変化すべて調節してはいけないのではない。ただ、足に異常のあるものは足を調節したほうが早い、あるいは骨盤なら骨盤を調節するほうが早い。特に捻れ異常と骨盤異常、三番、四番の異常は、腸骨そのものを調節しなくてはいけない。ところが左右異常の場合は足の筋肉系統にほとんど変化が現れる。だから関節部分の調節以外に足の筋肉を調節すると、大抵の場合、腰椎二番の異常は治っていく。逆に言うと、足の筋肉を操法して治るような腰椎の異常は直接腰椎を操法しないということである。

 

足の操法

足の操法は、大腿部外側に三か所、内側に三か所、膝下の外側に三か所、その内側に三か所、足の後ろ側の坐骨神経に沿った筋肉、アキレス腱に沿った処、足首の周囲といったところに操法の急所がある。

やり方はうつ伏せで、足に異常のある場合は、坐骨神経部、お尻を触ると穴のあいているところ、筋肉の割れ目がある。そこを押して硬結があれば、足の異常が腰に及んでいる。ここに硬結がない場合は、腰を治してから足に取り掛かる。

まず、はじめに骨盤の異常がある場合が多いので、骨盤の操法を説明します。

骨盤を上にかき上げるようにする。これをやっておかないと、穴があいているだけで、中に硬結があるかどうかも判らない。だからお尻をかき上げて、触手療法では精気づけと呼んでいる元気のなくなっている人に元気を呼び起す、そういう愉気の場所です。それを上に上げて坐骨神経を押さえる。それで足の操法をすべきかどうか確かめる。坐骨神経痛がある時に、ここをジーっとおさえていると大抵痛みがとれてくる。坐骨神経痛の痛みを急速に止める場所。ここは足と体の関連を示している。

足の操法の第一は、坐骨神経。これを押さえてみる。一本の線がある。これを内側へ内側へ。これは呼吸器が悪い時に縮むところである。これが縮むと大股で歩けない。チョコチョコと歩いているのはみなここが縮んでいる。風邪を引く前は、ここが硬くなる。風邪を引くと、もっと硬くなる。ここを操法したり、押したりすると風邪が抜ける。治療法になる。呼吸器を強くする場所にもなる。

膝の真裏、これは腰が曲がって伸びないという時に押さえると腰が伸びてくる。頭が過敏な時はアキレス腱部が冷たくなる。そこをジーっと押さえると腰が伸びてくる。親指を重ねて、直接触れる方の指には力を入れないで、上に重ねた親指に力で押す。そしてゆっくり体をかけていく。

それから足裏の真中、土踏まず。それに踵。踵は止血の急所。踵をつまむ。鼻血や歯ぐきの止血の急所。また、その処の働きを良くする。これをつまむことも操法の型になっている。

つぎに仰向きになって、上腿部外側一、二、三、異常のある場合は別にして、操法として刺戟するだけの場合にはまたがって両足を同時に刺戟する。正式には片方を横から押さえていく。それから上腿部で大事なのは内側である。体の体液が閊えている。そのつかえている場合に調節する。盲腸炎腸捻転のような場合でも、本当は腰の二番ではなくて原因はここの閊えなのです。これを治さなくてはいけない。手を当てて手前に引く。あるいは親指を当てて向こうに押す。やりやすい方でやればいい。型というのはやりやすい方がいいのです。猿に近い人は向こうに押す。人間は手前に引く。みんな力の入り方が違うのです。

膝から下の内側。これも手を当てるだけで、逆の手で角度を決めて一、二、三と押す。当てる力と向こうに押す力が合えば強く感じる。

外側は骨に沿った処を押さえる。これも三か所順々に押さえていくと固まりがあるから、それを押さえていく。ここという決定的な場所があるわけではない。一番目の少し外側がいわゆる足の三里といわれるところです。よくそこを押さえている人がありますが、そこでは意味がなく、それより内側の骨の処を押すのがいい。

最後に足首を回転する。回転するときに肩まで動くように押さえる。異常があれば引っ張って足首を治す。まだいろいろ足の操法はありますが、大体これだけが分かりやすい型で押さえる急所です。

 

練習

お尻をかき上げる時に、筋肉が非常に弛んでおれば、それは異常である。硬いのは便秘、柔らかいのは下痢。右のゆるいのは下痢、左の硬いのは便秘。そういう傾向がある。両方下がって柔らかいのは老衰。両方上がっているのは逆にエネルギーが余っている。とにかくお尻の骨を上げさえすればいい。どんな格好でもいい。お尻に邪魔になる程の脂があるのは体力がある。脂のないのは、もう体力の消耗です。病人などはその脂のあるかないかで、保つか保たないかを決める。

つぎに、穴を調べる。それから足の操法に移る。 

 

いまの足の操法で、実際には全部やる必要はない。腰の狂っている状態によって選ぶ。そこでこんどは、選ぶ為の操法と、操法したことによって影響を及ぼす場処について説明します。

はじめに、腸骨を寄せる操法

これは準備です。腸骨を寄せて仙骨部を上にあげていく操法。これは前にも述べたように、触手療法で精気づけと名前のついている処です。上がってくると老人に春が来る。そういう操法です。両方下がっていても、お尻の太い人は、年をとっていても余力があり、こういう人は上げると妄想が湧いて来る。細い人は力がない。体が疲れていても、お尻がきちんとしている人は、なかなかへばらない。太っていてもお尻の小さい人は、少し患うとへばってくる。だから、よく床ずれをおこすというのは、お尻に脂のない人なのです。お尻が大きくても、骨盤が下がっているようなのは、その力の持ち腐れ状態。ちょうどゴミ箱のようになっている。せっかく溜まっているものが、体の力にならないでカスになっている。そのために体が重くなったり、太ったりして、却って体力が弱くなる。そこでその下がった腸骨を持ち上げるようにすると、無駄になっていた筈の塊が余剰エネルギーとしての効果を発揮するようになる。だから、腸骨を持ち上げる精気づけの操法は、とくに腸骨が下がっている人ほど有効である。しかし脂があって腸骨の下がっている人には効果があるが、誰にでも役に立つわけではない。枯れている人は、一時的に精気を呼び起すだけで、すぐに元に戻る。だから相手によって上手に使い分ければいい。

なお、大便の出にくい人は、左のお尻が硬くなっているから、腸骨の左側を主に持ち上げるようにすると、出やすくなる。下痢している人は、右側を上げておくと速くジャーっと出てくる。

 

腸骨の真ん中が平らな人は月経が狂ったり、卵巣の機能が鈍っている。だから不妊症の大部分はそこが平らで、後ろから見ると大きくて立派なのに、そこだけ平らになっている。そこを上げるようにすることは生殖器の働きを亢めることに役立つ。つまり腸骨および仙骨周辺は生殖器系統の働きと関連がある。

お尻の穴の部分はまた坐骨神経痛の時に押さえると止まる。坐骨神経は腰椎三番から出て五番を通って、この穴の処でちょっと顔を出している。腰椎三番、五番とここの穴の三か所でほとんどの坐骨神経痛は止まる。それでも治らないようなのは上腿部うしろが弛んでいるからそれを押さえてから、上記三か処を押さえると良い。

この坐骨神経自身は、悪いと縮む。これを押さえていると伸びてくる。伸びると痛みが止まる。坐骨部や膝蓋骨を押し下げるようにすることを何回かやると、これが伸びてくる。またここを伸ばすようにすると、風邪が治る。簡単な流感などは縮んでいる方を伸ばすと治る。下痢や便秘も同じ。右は下痢止め、左は下痢誘導。

決断力のない人は、足の後ろ側が縮んでいる。伸ばすようにすると、パッと決められるようになる。足自体は腰を治すための準備方法ですから、これを押すと腰が急に柔らかくなる。特に腰椎三番、五番の異常、ヘルニアというものも片側の抵抗のある側を伸ばすと、それだけで腰が治ってしまうことも多い。

 

膝の真中は、睾丸炎とか卵巣炎とかいう場合の痛み止めに有効な処です。これらの痛みは盲腸炎のような痛みがあるが、睾丸が外に出ている男は腫れているから判るが、女はお腹の中なので右側が痛むと区別がつきにくい。しかし、二番を押さえて止まれば盲腸炎、四番なら卵巣炎である。膝の後ろの上、下を押さえる。坐骨神経痛の時も最後にここを押さえておくと痛みを繰り返すことが少ない。膝の関節の伸び縮みが悪い場合に腰が狂いだすのだから、膝の後ろと膝蓋骨を下げる方法をやっておく。

 

アキレス腱は頭が過敏な時押さえる。ノイローゼとか神経系統が過敏な時、ここが冷たくなっている。喘息、自家中毒、蕁麻疹などの過敏反応状態は、みなここを押さえて愉気していると落ち着いて来る。過敏反応状態の時はここを押さえると痛い。痛みを感じさせるほど強く押さえる必要はない。痛くないように押さえる。ただ、痛く感じるような角度で押さえることが必要である。

 

踵は頸から上の出血を処理するところ、あるいは頸から上の血行を調節する処。眼から出血したという時に踵を押さえると目の出血はなくなる。普通眼に出血したものは四日目でなくなり、元に戻る。鼻血や歯の出血はすぐに止まる。痔や喀血は止まらないが、喉の出血は止まる。だから鼻血や目の出血、脳溢血のような場合にここを使えばいい。

それから、踵をつまむように愉気をすると頭の鈍っているのを治す。怒るとか寝小便をするとかいった頭のブレーキの利かなくなったものを治すのに使う。この場合、押さえると特殊な痛みがある。余分に痛みを感じる時は頭に異常がある。痙攣を起こす人もそうなる。痙攣の場合は上頚を押さえればいいが、そういう素質を治すには踵を押さえることが重要。脱肛も脱腸も踵を押さえる。ここは大体ヒステリー状態の時に使う。

 

次は内股の操法。ここは体の体液の停滞時にその調整として使う。お腹の故障はほとんどこの内股の操法で治る。左側は小便が出ない時に使う。大便が出にくいというのもこの内股の左で良くなる。盲腸炎の時は右側。お腹が痛いとか、腸閉塞、腸捻転という場合も、内股の操法が重要になる。特に尿の出ない場合の救急操法的な役割をする。内股の一番上の閊えているのは、現在足のどこかに故障があって、それが急速に悪くなるような時そうなる。

 

次は膝の外側全部、ここは腸の停滞や異常の場合の処。膝の内側は生殖器にも腸にも関係する処。

上腿部外側は腸を引き締める、腸を急速に縮める処。胃下垂などは、腸が下がって動かない。これを押さえるか叩くかすると胃下垂が治ってくる。

膝の周囲は生殖器に関係しており、卵巣が悪いと腸骨と仙骨の境目と膝が冷える。

膝から下の外側は、主に腸の異常。しかし、生殖器の周囲の筋肉にも関係している。だから生殖器が発達すると、まず足の形が変わってくる。足の形に変化がなく子どものようなままであるのは、年をとっていても大人とは言えない。特に足の外側の骨に沿った部分の硬直や異常状態は生殖器の発達が未熟であることを示している。

 

足首は特に生殖器にとって大事な処。足首が拡がっているのはまだ未発達。足首の細い太いは生殖器の内部の筋肉の張力を示している。足首の回転は生殖器操法と考えてもいい。脛骨と腓骨の間が拡がっているのはガスがたまった状態。ここを締めるためには、足裏に手を当てて、押し合って、押し返してもらう。相手が押し返してきた時にフッと放すと、足首も細くなる。そのあと踵の裏筋肉を引っ張っておくと、関節の異常は治る。

足というのは、消化器や生殖器や泌尿器に非常に関係のある処である。アキレス腱は神経系統、踵は頸から上の出血に関連。内股は消化器の働きや消化器の位置の異常を正す。

以上説明してきた足の操法の処は、部分的な効用を為に操法するときは、その場所のみを行なうというのが要点で、あっちもこっちも一遍にやってはいけない。

腰の硬直を治すという場合には、その逆にこれらを全部行なうと、腰がよくなってくる。腰自体に弾力が出てくる。

一応、これらを一組のものとして全部やって下さい。足の裏もそれに加えてやってみて下さい。足の裏は呼吸器や泌尿器と関連していて、年寄りや老人的に疲れた人には極めて有効です。

やる時には押さえる構えに気をつけて、今日の場合は押さえる場所をとりあえず憶えるというふうにやって下さい。

出来ましたか。今の段階では型というか構えを身につけるということがとても重要です。家に帰ってから、もう一度練習してきてください。今日はこれで終わります。