野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(12)技術上達のための重要事項② 頸椎の観察

前回の「技術上達のための重要事項①」に続く同日に行われた講座です。整体操法は、からだの表層部各所にある、「処」といわれる部分が表現している、虚実、緊張・弛緩、圧痛、過敏、鈍り、硬直などの度合いを鋭敏な手指で観察し、それを言語化、体系化したものであり、それによって、これまでの我々が見知っている身体像とは異なる、新しい身体像やからだへの新たな対処の仕方を我々に提示してくれるものです。野口氏自身がいろいろなところで述べているように、それは決して一握りの選ばれた整体指導者のためにのみ 制定されたものではありません。そして神秘的なものでも、秘伝的なものでもありません。ただ、美味しい料理の本を読んでも、それを実際にあじわってみなければ味が判らないように、直接自分のからだを通して体験しなければ判らないのは何事についても同じです。このブログに記録した実習のいくつかを、ご自分自身やご家族に対して実際にやっていただければ、より多くの野口整体の言葉が立体的に蘇ってくるのを感じていただけるはずです。そういう思いで早速記録を続けます。

 

頸椎の観察

頸椎の一側は神経系統、特にこの一側に異常がある場合は、その棘突起も異常があるかないか確かめる。大脳が緊張している場合は一様に異常のある骨が上を向いている。大脳が働いていない場合は、下を向いている。目や鼻といった感覚器の異常の変化は二側に現われるが、その変化の後の中枢的な、潜在意識的な、あるいは心理的な異常は一側に現われる。三側、上頸は、脳の血行、中頸はもちろん脳の血行に関係する、唾液や甲状腺の分泌に関係する。下頸は体の臓器的な異常が脳の血行に影響する。あるいは頸から下との関連に異常がある。

 

棘突起が上がっているか下がっているかしている時は、働きすぎているか、うまく働いていないかのどちらかである。一応まずその状態を確かめる。そのために一側を調べる。一側に異常がなく、二側に異常がある場合は、それは感覚器が壊れているだけで、別段頭の異常ではない。三側に異常がある場合は、甲状腺の分泌の異常で、気が短くなったり、泣いたり笑ったりし易くなっているが、これは頭の異常ではない。

 

頸椎の実習

座位で、下を向いてもらって調べる。椎骨に異常のある処、一側が硬くて冷たくなっている処を見つける。つぎに、首の両側の二側を調べる。二側で、椎骨の左右や捻れなどの転位を確認する。

角度の取り方は、上下型と開閉型には上から下に向けておこない、積極的に息を吸いこんで愉気をする。上記体癖以外は、下から上に向けて角度をとって愉気する。

この練習はやりすぎると、それまで硬かったものが柔らかくなり、柔らかかったものが必要以上に硬くなって首全体が疲れて太くなる。相手は肩が凝ったように感じる。特に上下型と開閉型は首や肩ではなく腰の痛みとして感じてくる。その場合慌てて腰を押さえる必要はない、上頸を押さえればよい。それ以外の体癖のひとは、頭皮が弛んでくる。その場合は、一側の冷たい処と二側の硬い処に愉気する。

 

頸椎観察の例

鼻がつまっている場合、二側の異常。二側は、鼻粘膜の分泌異常と関連している。鼻の異常でひく風邪や、鼻自体のカタル症状で鼻がつまっている。

ところが、一側が冷たいようなときには、頭の緊張の影響が鼻に現われていると見るべきである。これは長い習慣的なものだと考えられる。

習慣的な鼻詰まりのなかには、二側が狂っていて蓄膿症のようなものも珍しくない。

ただ、一側が冷たいようなとき、また三側が冷たいようなときは、神経系統的なつながりのある生殖器粘膜の知覚の鈍りと関係する。こういうものは、愉気していると、間もなく腰が痛くなってくる。まず頭の後ろが緊張してきてから腰が痛くなってくる。次におりものがあるようになり、それが出れば鼻は通ってくる。

二側の場合は鼻だけしか考えない。それぐらい二側と一側では見方がかなり異なっている。

頸椎一番、二番の一側は脳の血行の常習的な障害と関係する。四番は歯ぐきとか耳に関連があり、四番の一側が冷たい時は耳の知覚で、音声の聞こえが悪いと考えていい。耳に故障がなくても、耳鳴りがする。耳鳴りは耳の周囲の血管の毛細管がつまった現象だから、四番の一側を押さえると、ひどくなったり、減ったりする。時々やると整っていく。一側は聴覚、音を受け取る耳の知覚そのものが鈍っている。二側なら中耳炎とか外耳炎とか耳の内の故障である。同じ二番でも二側だったら目と考えたらいい。五番は二側だったら咽喉ですが、一側だと心が集注しっぱなしの弛まない心の状態を表している。五番の一側に愉気をすると、頭皮が弛んできて呼吸が急に楽になる。だから、深く眠れないとか、眠っても夢ばかり見るとか、なにか気になって熟睡できないという人は、ほとんど頭の五番に異常がある。あるいはそれが眠りに感じないで、胃炎になることがある。胸やけがする、お腹が痛い、胃潰瘍をおこす、十二指腸潰瘍になるというのは、みんな五番の一側に異常があることが多い。六番は二側は咽喉だが、一側は甲状腺の異常で、やはり生殖器などと関連している。特に、小便がしたくなると我慢が出来ないというのは六番の異常である。六番の一側に異常があれば、頻尿とか性欲を極端に抑えているとかいうのが一組にになっており、しばしば腰椎の捻れと一致する。七番は、一側が冷たい時は、迷走神経の異常緊張、二側は腕の故障。

このように、同じ骨でも一側と二側では表すものが違っているが、頸椎そのものを調整するという立場から言えば、どこで感じていようと頸椎を治すことが目標だから、いちいち気にする必要はない。ただ、調節した後にどこにどういう変化が起こるかということを予め知っていないと不便なことがある。三番を押さえたらおりものがあったり、五番、六番を押さえたら胃の痛みが変化したりすること、普通はなかなか結び付かないし、胃潰瘍や十二指腸潰瘍を調整するのに頸を押さえるなんて言えば、不思議でしょうがない。

わたしたちの体の使い方というのは、実際によって得たことを、機能的にまとめてきたものなので、最初に理屈があってそれを実践してきたということは少ない。ただ、沢山やっているうちに、共通の問題が出てきて、それから理屈を考えて、その理屈から出発して次にスタートするという方法をとっている。

ある有名な医学者の本に「手が暖かいから水が冷たい、手を冷やしておれば、お湯はもっと熱く感じる・・・」ということが書いてあったが、これは体験ではなくて、机上で考えた理論である。昔、木村政次郎という人が、体験上「手をお湯の中に入れて十分温めて水の中に入れると、水の冷たさなど感じない。手の冷えているような時に水の中に入れれば、冷たくてしようがない。手が冷たいと水も冷たい。手が暖かいときは、水は冷たくない。実際はそうだ。」という話であるが、自分で体験してみるとそうである。寒い処からき来た人は霜焼けを作っている、暖かい処から来た人は霜焼けなどつくらない。寒い処の人ほど寒さに敏感である。街を歩いていても、体の冷えている時は寒さがこたえるが、暖かいところで十分温まってからだと余り冷たく感じない。そこで、これは体が寒さを記憶している間は冷たさに敏感になる、というように考えれば現実と理論が合うようになる。整体が理論的に構成されてない部分があるのは、こういった過去の専門家の考えが、実際とは異なっている場合があり、理論的にやったが体は悪くなったといっても、なった責任は自分にある。やはり良くしなければいけない。そういう場合、自分で体験したことで良くしていく方が間違いが少ない。