野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(11)技術上達のための重要事項①深息法と愉気

I先生より、「今日は整体操法初等講座としての最終回です。次回からの整体操法基礎講座の前提として、技術上達のために重要となる諸項目を説明し、実習をします。」の前置きから 11回目は始められた。

I先生の言葉や指導の向こう側から、毎回、野口晴哉氏の息遣いがなまなましく伝わってくる。野口氏の深い経験に裏打ちされた、新しい身体像を、一語一語噛みしめながら11回目の講習を掲載します。

 

合掌行気の実習

整体操法は結局手でやる技術だから、手自体の感覚が敏感でないと役に立たない。押さえる場所、角度、程度といったようなものは、頭で憶えていても実際とは違ってしまう。操法の上手下手という中に、何度でも同じ処を同じ角度で同じ力を感じるように押さえることが出来るというのが技術の最初のものでなければならない。

これはいくら頭のいい人でも、手の感覚の鈍い人には難しいことである。また押さえる場合でも呼吸の間隙をつかまえるのが主だから、呼吸の間隙に対して、ある速度に対して、非常に敏感にならないとできない。しかし、その速度以前に、手のひら感覚が悪いのではだめである。処が変化したらすぐ離すのが原則だが、判らなくていつまでも押さえている人がいる。判らないからなんです。だから何分押さえるなんていうと、安心して押さえるけれど、本当は人が違えば変化する時間も違う。指でやることが割にピタッと行くのは、棒のように感覚のない道具ではなく、指が感覚を持っている、感じるということがあるから、ピタッといくのである。

指の感覚を敏感にするには、指に注意を集めるようにすればよい。そういう訓練をする必要がある。触手療法でやっている合掌行気法は、手に注意を集めるという意味で行うのです。そうすると指がだんだんと敏感になってくる。

指の感覚というのは、指の問題ではない。その前に、頭が虚心で、ただ手に注意を集めて感じとらなければならない。頭を空っぽにするということは難しいが、呼吸するというそれ自体では何の意味もないようなことに注意を集める。そうすると心が自然に統一されてくる。だから数をかぞえてもいけない。時間を気にしてもいけない。ただ指先で呼吸するつもりで呼吸する。手から気が出るようになっても、それだけでは十分ではない。それができるからと言って、感覚が敏感になったかといえば、そうではない。そういう人たちが、出た気を利用して、一生懸命にからだに触っていると判るようになる。さらに敏感になると、触感以上の感じまでわかるようになる。

愉気法では、相手に触らないで調べるということをやりますが、触覚だけを大事にしている人は、触らないと判らないと思うが、触手療法では触らないで判る。判ってからソーっと触るともっと正確に判る。

 

合掌行気の実習の後、自分の左手の力を抜いて、右の手に力を入れてその指先を左の掌に向けてソーっと動かしてみる。気が感じられれば、指の動きとともに冷たい風やビリビリした感じを感じる。それは他人にも伝わる。

触手療法の場合は、愉気というよりは気を感応させるということが主であるが、整体操法を行う場合には、もう少し集注できるように訓練しておかないと、粉砕骨折などを調整するようなとき、骨を動かせない。

 

積極的に気をおくる方法

まずお腹に息を吸い込む。それからお腹に吸い込んだ息を胸に吸い上げる。吸い上げながら新しい息を吸い込む。胸に来る息はこの時、二重になったわけです。それで胸でこらえている。吐きもしない、吸いもしない。すると下腹にこれがズーっと降りてきます。降りてくるときに、「ウーム」と息を下へ、もう一回腹にもってくる。普通声を出さないで「ウーム」とやるとみぞおちでつかえて硬くなる。そこで「ウーム」と声を出しながら漏らす。そこでちょっとこらえて、それから相手の体に息を吐くようにうーんと吐いていきます。これが愉気を積極的におこなう方法です。強いて言えば、それをやる前に舌を口の中で動かして、口の中を舐めて唾を蓄えて、それから息をウームと言いながら、吸い込むときにその唾を飲み込む。それから手から息をふーっと吐くつもりでゆっくり静かに吐いていく。口中を舐めながら吸い込むときは、鼻からではなく口からおこなう。お腹に息を吸い込むということは難しいですから、何度も練習してください。愉気を受ける方は目を瞑ってポカンとしている。やるほうは目を開いて当てている手のところに集注する。

感応すると、呼吸は深くなり、脈は強く打ち、相手は暖かく感じだす。また、からだが弛んで崩れてくる。体全体は心臓の鼓動によって脈打っているが、それとは異なった細かい動きが、手の平にゴソゴソと感じられるようであれば万全です。悪い処はそういう動きがある。そういうところは、必ず冷たいか暖かいか、ビリビリするような感じがある。冷たい処は多くは動きがないが、愉気して動きが出てくれば回復傾向である。

愉気していて疲れてきたら、口から息を吸い込むということをすると良い。

 

体力と呼吸

からだの活力とか生活の原動力というと、みな食べ物だと思っているが、一番重要なのは食べ物より水より空気です。肺の中の空気が停滞していると、からだに必要な活力を十分に得られない。したがって、ふだんから深呼吸をするといい。深呼吸の効果は、炭酸ガスを排出して血液を浄化するということであるが、われわれはこのこと以上に、空気の消化、というような、つまり空気に含まれているいろんな原子を、アルファー粒子に変えていくというような考えをしていく。仏教のアナアパーナ、天台の止観、あるいは錬丹術など昔からの健康法のすべては、深呼吸の方法なんです。お茶でもお華でも最後は呼吸を深くするということに行きつくのです。そこでは呼吸を深く一つに保ち息を乱さない、ということに生活、行動の基本を置いている。生きるという言葉は息をするという意味からであり、長く息をするということが長生きという言葉が出てきたのも、そんな理由だと思われる。

上手な操法というのは、指先の技術の上手下手でなく、それ以前の呼吸を深く保つことが出来るということである。どんな時でも呼吸を乱さないで行動できる、生活できるということが大事で、これは健康を保つためにも重要だが、技術を修める者にとっては最も重大な問題であり、感覚を訓練するだけなら行気法だけでもいいが、積極的に相手に愉気したり、相手の動作を操作しリードするためには、相手より常に呼吸が一つ長くないと出来ない。

 

正式の深息法

深息法は、古い気を出して新しい気を吸うことである。古い気がたまるとみぞおちが硬くなるので、みぞおちを押さえて積極的に欠伸(あくび)を誘導するようにゆっくり息を吐く。前屈するほどに外側へ外側へとと押さえ、そしてまた元に戻してというのを繰り返す。ひとりでに欠伸が出るようになったらやめて、欠伸をできるだけやってしまう。ここまでを、西の方を向いて行う。

今度は東を向いて、精気を吸い込む。陽気でも清気でも元気でもいい。そのひとの必要とするものを吸ったらいい。空っぽの気ではいけない。吸い込むのは、口中を舐めまわしながら、口から息を吸い込む。それから新しく吸い込みながら胸に吸い上げ、気が下に降りるときに、つばと一緒に「ウーム」と呑み込む。ウーンと漏らし、そして耐える。それから静かに鼻から吐く。これを三回ないし五回やります。できれば朝が良い。しかし疲れた時はいつでもいい。操法中疲れたらやる。人に愉気をすると、相手だけでなく自分の疲れまでなくなってしまう。

いろんなことが気になったり、細かい事に気が散るようになったら、この深息法を行う。普段からこのような呼吸法を鍛錬しておくことが、愉気を積極的に強く行える方法であって、技術の基本は呼吸の仕方にある。