野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶⅡ(61)四十肩、五十肩

I先生「今日は四十肩や五十肩について、その治し方の練習を中心に説明してみたいと思います。」

 

副腎に何か異常を起こすと、胸椎の七番、八番の可動性が鈍くなってくる。その後、五年ぐらいして四十肩、五十肩というのをやる。そして頸椎の五番、六番、七番が狂ってきて、手が挙がらない状態、肩が痛む状態を呈するようになる。

頸椎の上の方が故障を起こすと頭をこわしやすいが、四十肩や五十肩のように頸椎の下の方で曲がってしまうと、上の方ではあまり狂わない。そこで、四十肩や五十肩をやった人達は、脳溢血をやることが非常に少ない。だからそれらは副腎の異常、つまり更年期という変動の時期にはやったほうがいいのではないかと思われる。

だから、四十肩や五十肩に対して、あまりむきになってやらないで、その経過を待つ。楽にその経過が出来るようにして、経過を待つことが望ましい。

それらはみな治ってしまうもので、早ければ三か月、遅いのでも三年半。大体は一年半前後で自然になくなってしまう。

脳溢血や四十肩、五十肩に限らず、いろんな病気をほおっておいて、何もしないで経過を待った場合にどうなるかを確かめてみると、ほとんどの場合、異常があればそれを治すような働きが体に起こってきて、体はそれで通ってしまう。だから経過を観察するという視点を持たないと、結局無理なことをし過ぎることになって、かえって体をこわしてしまう。

病気というのは、経過があって、自然に治るものです。治るということと、治されるということは違う。胃が痛いのを鎮痛剤で止めることは出来るが、それにより他の部分をこわしてしまう。喘息を止めようと副腎皮質ホルモンを注射すれば止まるが、死を早めてしまう。そういう薬がなくて喘息を頑張っていた頃は、それで死ぬようなことはなかったが、使うようになってから増えてきた。最初からそういうことをしなければ、何ともなく通ってしまう。小児喘息なら四歳の体が変わる時期になれば治ってしまう。四歳で治り損ねても、七歳になれば治る。余計なことをすると治る時期を逸してしまう。

 

ある部分の変動を治すということは、もう一つ広いところから観察しないといけない。血液が不足したから輸血する、というのは一見合理的に見えるが、なぜ不足したかという問題は解決されないままに残る。輸血するたびに血液の自家製造がおこなわれなくなる。そうやってその人の体の働きが乱されていく。

食欲がないと言っても、体の具合でそうなったのか、失恋してそうなったのかは、確かめなければ判らない。われわれは生きている人間の体を観察するだけではなくて、生活している人間をも観察していかなければならない。ある基準をその人に押し付けるのではなくて、その人の生活している現実からその人にふさわしい基準を見つけていかなければならない。病気になっても、その病気だけをみていたり、細胞だけをみていてはいけない。その人が、生活の中でどういう体の使い方をしているかを見なくてはいけない。そして、その人の生活に合うような方法を見つけ出していくのがわれわれの考えていくべきものである。だから熱が出たからそれを止める、咳が出たからそれを抑える、尿が出ないから利尿剤を与えるというだけでは駄目である。そういう意味で、経過が長かろうが短かろうが、それを丁寧に観察するという態度が必要になってくる。

 

まだ今の人間の知識では、部分しか判らないのです。最も肝心な「生きている」ということが解明されていない。その一番大切な知識がないまま、こういう物質が足りないとか、これが多いとかいう、それだけでやっているのが現実だと思うのです。

ところが、経過を見る、経過を待つ、自然に経過する、ということに興味をもって体を観察していると、「病気を治すのに、治療なんてものは必要ないのではないか」とさえ思えてくるのです。

 

四十肩の場合、初めは肩が動かなくなる。こうなると胸椎七、八、九番の可動性は鈍くなってくる。この段階では、何となく重いか、何となく億劫になる、どこか体が硬くなってくる、といった老人の始まりの兆候が出てくる。

そうなると、それに対する調整運動が頸に起こってくる。頸には腰の曲がりとは逆側の調整運動が起こってくる。前後型だと四番、五番に、開閉だと三番、四番に、左右なら五番にというように、変動を起こす。

すると、肩が凝ってきて肩の力が抜けなくなってくる。四番の変動だと痛みを起こす。三番が重なると頸が強張ってくる。四番、五番が重なると肩の関節の動きが悪くなり、腕の運動も鈍ってくる。こういう状態になると、大抵三番、四番の変動も重なってきて、耳鳴りがするという兆候も出てくる。

そこまでくると今度は頸椎二番に変化を起こし、胸椎四番、九番にも変化を起こしてくる。また腰椎一番にも変化を起こす。

この段階になると、こんどは逆に肩や首が柔らかくなってくる。手も挙がるようになってくる。そして何時の間にか忘れたようになってくる。そして治る。

 

四十肩に限らず、人間の病気は、それが体癖的なものや、潜在意識的現象としての病気というもの以外は、どんなものでもその経過を待っていれば治ってしまう。そして、自然に経過したものはその後丈夫になってくる。

 

病気は自然に治るまで治らない。しかし手遅れになるというようなことはない。生活習慣を変えて、体癖を修正しておれば、整体を保てばみんな自然に治ってしまう。

 

練 習(四十肩に対する操法

 脇の下の一番突き当りを押さえる。これは仰臥で寝かせておいていくら押さえても治らない。坐った姿勢で押さえる。一番奥の処を押さえて外側に角度を向ける。肩が痛いうちは頸椎四番、五番がくっついているから、肩をやって四番、五番が平均に動くようにすればよい。また頸自身が硬く太くなってしまっているようなのは、三番の異常である。

それからこの操法をする前に、伏臥で胸椎九番、七番、八番をショックする。押さえて全部痛みのあるのは本式の四十肩である。押さえて九番が痛い。八番はあまり痛くない。こういう場合は八番が悪いのです。

二側を押さえます。棘突起を押さえていって、痛い痛くないを確かめて、痛くない骨の両側をショックする。それを何回か繰り返していると、胸椎九、七、八番の三つとも痛くなってくる。痛くなった時にはもう治る時期になっている。

 

棘突起の押さえ方から練習します。この要領は難しいが、飛び出している人にしか使えません。胸椎九、七、八番に限らず、体に神経痛のある人、棘突起を押さえていって、ちょっと上に角度をつけて動かしてみる。動かしておいてから、また下に二、三回下に押して動かすと、痛みが出てくる。一度痛みを感じると今度はそれを覚えていて、次の時からは異常のある処は、それと同じ系統の痛みが出てくる。

飛び出している骨を胸椎部で見つけて、それを押さえて痛みがあるかどうか、それから同じ系統の痛みがあって、その挟まれている処に硬結がある場合は、その硬結を押さえれば良くなる。

 

棘突起の押さえ方、二側の押さえ方に注意して練習すること。また、相手の痛みをこちらが知るためには何かの基準が必要になるが、押さえて上に逃げるのは膿んだような感じの痛み、横に逃げるのは針に刺されるような痛みである。痛いが椎骨が真下に動くのは異常ではない。

痛くなくても真下に押さえているのに上や横に逃げるのは、膿んだような、あるいは針で刺すような痛みを感じる筈である。背骨を押さえる場合、可動性の全体に鈍い人は感じない。そのなかでも、特に鈍りのある人は鈍い痛みを感じる。全部が鈍くて一か所だけ過敏なのは、過敏痛を感じる。痛みと痛みの間に硬結がある人は、神経痛になる素質のある人である。こういう相手の感じている痛みの質を読むということが、この場合の技術の基本である。

 

四十肩に限らず、病気はある経過をたどって順々に良くなっていく。そこで、その経過に最もよく適った操法をしたとしても、自然に経過したものと比較して、十日位しか治るのは違わないのです。何かの治療をして良くなったように見えても、経過中はまた繰り返す。四十肩の場合は半年から九か月が標準である。

自然にこわれたものは再適応するまで待つ、ということが一番合理的なのです。その再適応できるようにする為に硬直を処理して体の運動を調節してやればいいのです。

だから神経痛状態そのものを治療の対象にしないことが必要です。特に四十肩などの痛みを対象に操法したり、治療するとかえってスムーズに経過しないで、そういう病気をやる本来の体の傾向をこわしてしまう。治るべき処が治らなくなってしまう。

どんな病気の場合でも、一応退いてみて、相手の体に沿って操法するという考え方が要ります。力づくで花をさかせるようなことをしてはいけない。根に肥料をやるということは、つい億劫になりがちで、それでつぼみを指で開くようなことをしてしまう。それは正統なやり方ではない。

経過と言っても、数日のことなら見ていられるが、三年、五年となると、つい経過を見ないで力づくで何と早くしようという気持ちが先に立ってしまうが、子どもの頃喘息やアレルギーであっても、大人になると治ってしまうというものも沢山にある。これは体の成長するということ自体が、体を変えていくのです。

成長していくとか、歳をとっていくとかいう行程は、「変化」であって、たとえその時病気が変化しなくても、そういう行程が変化すると、体も変化してくるのです。そして良くなっていく。

病気になった人には、自分のその病気の経過を観察することに興味を持たせるように指導していくことも大切になります。それが出来ると、異常がある時に、そういう角度で見ているとなくなってしまう。再適応するまでの苦痛がなくなってしまいます。

 

さて、これで「整体操法中等講座」を終了し、次の「整体操法講座」に進みたいと思いますが、まだこれまでの練習も十分に進んでいるとはいえないので、しばらく休憩をして、頃合いを見て、またお集まりいただくことができればと思います。それまで、よく練習を重ねてきてもらえればと思います、では。