野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(16)一側の観察

I先生からの講義の16回目。いよいよ「一側」についてである。I先生の教えは、野口晴哉先生やその高弟指導者から直接学ばれた経験と、野口先生の著作や口述記録等を手掛かりにI先生ご自身が整体指導者として積み重ねてこられた経験とが織り込まれた、得難い宝です。そしてそこには野口氏が、その繊細かつ厳密な触印象の言語化を通じて構築された整体操法の世界を、丁寧な言葉で私たちに届けようとされた強靭な意思が痛いほど伝わってくるものとなっています。そして「触覚でからだを読む」という世界が、少しずつ形を表わして迫ってきます。ワクワク。

 

一側の観察

一側の観察で難しいのは、過剰と疲労の区別である。ともに骨は自動的にはよくならない。硬結のある処は当然圧痛がある。バラバラな処は過敏痛がある。過敏な処が二か所あったとすると、その間にバラバラがある。そのバラバラの状態をよく憶えておいて、こんどは硬結を刺戟してみる。それでバラバラに変化があれば関連があるのだから、バラバラの過敏を押さえると、今度は硬結が自動的に弛んでくる。関連があるかないかは、硬結を押さえると過敏が変化する。それで関連があったら過敏を押さえる。これが一側の処理の方法である。

 

一側と心臓の異常との関係

脈が一息四脈でなくても胸椎四番の一側に硬結がなければ心配ない。胸椎四番に硬結があっても、胸椎八番の一側がバラバラならば心配ない。警戒を要するのは、八番の一側に硬直か硬結がある場合である。それに対して胸椎七番と九番の一側にに過敏がある場合は、さほど心配はない。胸椎四番と八番の一側に両方硬結があるのは、警戒が必要。これが出た場合は、剣状突起のすぐ左肋骨下を押し込むように愉気をすると割におさまる。

 

一側と胃袋の関係

胃袋は胸椎六番。拡張は胸椎十一番。六番一側の硬結、十番の過敏、痛みのある時は十一番に硬結があることが多い。六番と十一番は胃袋ではなくヒステリー状態である。十番に硬結があって、これが六番につながっている時は、食べすぎである。八番なら酸の過剰あるいは胃の血行の異常。胃内部の脈管運動は六番と八番。この場合、八番がバラバラであればいいが、硬結があると敗れる可能性がある。多くはこの上下に過敏があるが、六番に硬結があっても八番が過敏であれば心配ない。痛みがあっても自動的におさまる。なお、これがおさまりはじめると、腰椎の二番に初め硬直がおこり、ついで過敏が起こってくる。

一定の臓器と一定の椎骨とは関連しており、その椎骨一側の筋肉の硬直状態やバラバラの状態を調べてゆくことで、その臓器の異常が回復状態にあるか否かを区別できる。硬結自体と関係がある時は、過敏の側に愉気をすると硬結がなくなってくる。時に硬結そのものを直接押さえるようなこともあるが、その時は硬結のふちをぐるっと回って調べると一か所バラバラになる処があり、そこに愉気をすると硬結が縮んでくる。ちょうど頭皮に麻痺があるとそこがはげるが、はげた周辺を調べると一か所バラバラがあり、そこに硬結があり、その硬結のふちを愉気すると回復するのと同様である。水虫も、硬結そのものに愉気すると広がってくるが、硬結のまわりを愉気するとだんだん縮まってくる。だから、硬結そのものに愉気をするということはほとんどない。

 

一側と呼吸器

肺なら胸椎三番に硬結がある。これは八番(肋膜)に関連。どちらにも硬結がある場合は異常。

 

その他に、出産関係は胸椎十一番、腰椎三番、四番。胸椎の四番と九番右に異常があるのは肝臓、中毒。六番の右、八番、九番に異常があり十一番までつながっているのは性欲の食欲転換。これは、いくら食べても満腹感がない。食べても胃袋がこわれない。

 

一側の観察(練習)

一側のバラバラの状態と、硬結部位が判ったら、その硬結を刺戟してバラバラが変化するかどうかを確かめる。そして上に述べた臓器の異常との関連を確認する。

練習の要点は、背骨の中央脇から外へ外へと開くようにして調べる。ここでは、バラバラの状態が一本でも二本でも判ればよい。一旦その感じが指で判れば、その感じは決して抜けることなく、指が憶えている。次に調べる時、その感覚にもとづいてちゃんと硬結やバラバラが見分けられるようになっている。バラバラは過敏の状態を表しており、硬結は鈍りの状態を表している。処理する場合はバラバラから先に行うが、ここではまず関連に注意を向ける。

人間は偶然に肝臓をこわしたり、胃袋をこわしたり、怪我をしたりするものではない。毀れるには毀れるだけの道理があって、その道理から外れることはない。回復するときもまた道理を通って回復する。また、回復する速度も、要求が体に現われる速度もそれら固有の時間がある。それらのことを知っていると、こういう要求を抑えているから過剰食欲になるのだとか、食欲がなくなるのだとか、むやみに働きすぎるのだとかいったことも理解できるようになってくる。中毒するのも怪我をするのも、何らかの要求の現れである場合がある。従って整体操法では、要求がどのような経路を辿って体の異常になるのか、特に体の硬直と要求と現在の異常とを睨み合わせるために、観察という手順を踏むわけである。

少し先走って言うと、それらの要求と体の異常との関連を理解できるようになると、操法をしないでも相手の異常の回復を誘導できるようになる。技術を憶えてそれを使うというよりは、使わないで相手が本来持っている力を誘導し、発揮させるようにしていくのが、われわれの目指すところである。まあ、これは講習においての初等が愉気により感ずるままに行う方法であり、中等が体を読み意識的に相手を技で変えていく方法であり、高等では何もしないで相手を変えてしまう方法であることの最終の問題ではあります。