野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶ(7)腹部整圧の方法

今回も、腹部の観察についてです。I先生の講義を通して、そこからかすかに響いて来る野口氏の生の声を聞き洩らさないように、心をこめてこの記録を進めたいと思います。というのも、野口氏が最晩年に遺された「我は去る也」と題された文章には、次のような哀しくも厳粛な表現があり、それがふと私の脳裡をよぎっていったからです。

 

我は去る也 誰にも会うこと無し 

我に会うと欲すれば 我に授けられる力あることを示し 我諾せば来たる可し

さざれば来たるに及ばず 我は之からあと 伝えず教えず 人の能力が高まり 裡の声をきき 裡の動き読める人にのみ授け度き也

空中に文字を画くこと ここで止める也 空中への放言も終える也

我が説きしこと 一言にいえば 虚の活かし方也 無の活動法也

物の学あれど 生物の学無き也

生のこと説きても 物の学につかえて判らぬ也

これを超える判る人あれば我は又説く也・・・

(「月刊全生」1976.8月号)

 

腹部調律点が示すからだの状態

頭部第二の処理を行うと、直腹筋が弛んでくる。直腹筋が硬いときは、感情の働きや腸の働きがノーマルでない。頭も不安定になる。これらは交感神経の過度の緊張状態と関連がある。消化器に異常がある。頭が統一しない、イライラする、不安である。便秘をする、下痢をする。そういうように体全体に関連する。

下腹が出て弾力がある状態は度胸がよくなる。動作がきちんと決まる。体が健康になっていく。みぞおちの力を抜いて、第三(丹田)に力を入れるということは、簡単なようだが実際には極めて難しい行為である。健康な人は、自然に丹田に力が入っていく。赤ん坊でもやっている。弱るとおへそやみぞおち、胸、鼻で呼吸するようになる。考えが深くなると、自然に下腹で呼吸するようになる。いつも咄嗟に腹でものを考えるように、腹で動作するようにしなければならない。整体の最初の目標は、腹部調律点を虚、冲、実にすることであり、端的に言えば、呼吸がひとりでに下腹に入るようにするために、その邪魔をしているものを取り除くことである。腹部第一が冲のときは、からだのどこかに故障がある。第一が実のときは、第四の硬いのと同じで、エネルギーの集注分散がどこかで偏っている。第二が実の時も、体のどこかが狂っている。

体の中心はヘソの下と腰椎3の間にあるが、そこに力が集まっていれば動作が自由になるし、動作が決まってくる。また、からだが歪んでも、自分で立ち直ってくる。呼吸がこの丹田に入ってこないときは、病気の時であったり、イライラしている時であったり、急いだり、怒ったり、悲しんだり、からだが歪んでいたりしている時である。こんな時は、とりあえず頭部第二を処理して、呼吸が運ばれるように誘導する。

 

腹部調律点を押さえる練習

第一の押さえ方は、相手の吐く息の速度で、そーっとこちらの体を乗せていくようにする。そうすると指がひとりでに入っていく。どこまでも入っていく感じにへこんでくる。ここが実の人は、触れると無意識にそこに力が入ってしまう。

第二も同じように押さえる。息を吐かせるというような積極的な吐かせ方ではなくて、吐くのにつれて押さえていく。指がポコッと入るようならば虚である。そういう時はからだのどこかに故障がある。この状態のときは、頭部第二を叩くだけでは呼吸が下にいかない。逆にここが実の時は、臓器の位置異常があったり、体の重心が中心からずれている。体力がなくなってくると、虚になる。第一の場合は、体力が有りすぎても、少なすぎても実になる。

第三も同様に押さえる。ただここは、吐く息に乗じて押さえるだけではうまくいかないので、「お幾つでしたか」といった風に声をかけて気をそらすと、相手はふっと考えようとする、その時第三にふっと力が入ってくる。そして「何歳です」と答えた瞬間にその力がすーっと抜けるので、指が入るようになる。考えると一旦力が入ってから抜けるが、考えない人は力が抜けたまま変化しない。

赤ん坊の場合、頭部第二と下腹部を押さえて、あとはこちらは活元運動したり下腹で呼吸したりしているだけで、ひとりでにお腹で呼吸し始める。それだけで、下痢だろうと風邪だろうと整ってしまう。

 

側腹の処理

第四が硬いのは、エネルギーの過剰か欠乏かのどちらかの時だが、愉気してもここが弛んでこない場合は、直腹筋も強張ってしまっているので側腹をつまむ。一般に血管が強張っている人は、この側腹が硬くなっている。

手が上がらない人や、お産でなかなか産まれない人、陣痛が不足している人の側腹をつまんで弛めると整ってくる。性交したり自慰したり、夢精したりといった性の急速な排泄があったときも、側腹が強張るが、つまむと急に柔らかくなる。

 

腹部観察の練習

腹部第一、第二、第三、第四、側腹の順でそれらの虚実等をしらべて体力状況みる。体力が余っているか不足しているか。臓器的異常があるかないか。

補足だが、ヘルニアの場合、腰椎が硬直していたり変動したりしているが、その時お腹側の腸骨の内側を腰の方向に向けて押すと、硬くなっているところがあり、押すと痛みを感じる。その意味では、腹部のこの処は、腰椎の状況を観察できる場所でもある。

このように椎骨が狂っている場合は、腸骨の内側の硬直度をしらべる。普通、硬直しているところは押すと痛いが、非常にこわばっているときは、くすぐったく感じる。

 

腹部第三が虚であっても、必ずしも体力不足とばかりは言えない。余分になった性エネルギーは捨てられるという性質があるが、それがからだの他の部分に廻っていってしまった時には、虚実の転換といって、かならず腹部第一が実になっている。

こうした転換がみられず、第三が虚であって、同時に第一が虚であるとき、体力の欠乏状態であると確認できる。

腹部第二が実で、第三が虚である場合は、生理的な発育面が遅れている、あるいは生理機構的な異常を持っていると確認できる。

腹部第二は、上肢第四調律点と関連していて、上肢第四を刺戟すると、腹部第二の閊えがなくなることがある。

腹部第三はからだ全体と関係しているが、足の一部が影響している場合がある。たとえば体に左右差があり、イライラしている人の脛骨と腓骨のあいだを締めると、急に落ち着いて第三が実になる。

要するに、からだのさまざまな処が相互に連絡しあっているが、その連絡の中継点として腹部は存在していることが確認できる。普通は背骨を経由して脊髄反射から観察できるが、背骨では判らない変化が腹部では判る。そういう理解で、お腹を観察するということをまず考える。