身体教育研究所について
身体教育研究所のことを初めて知ったのは、月刊全生の記事を読んだ時で、すでに三十年近く前の事である。すでに記したように、私が初めて整体協会主催の講習会に参加したとき、その講師が野口裕之氏であったし、その後の講習会や研究会の指導者も裕之氏であった。だから私は野口晴哉氏から直接整体法を学ぶことが出来なかったし、基本的には裕之氏を介して整体を学んできた遅れてきた世代と言っていいかもしれない。しかし、それと同時に本部主催の講習会では、裕介氏からも指導を受けたりもした。
裕之氏が身体教育研究所の前身の整体法研究所を立ち上げられたのは、今から三十年近くも前になる。私はこれまで裕之氏の研究所の活動に直接触れたことは殆どなかったが、ネットや角南氏のブログを通じて、あるいはたまに京都での公開講座や、指導員の方の講座に参加することを通じて、僅かながらでも裕之氏の活動を知りたいと望んできたのも事実であった。
裕介氏がご逝去されたあと、その後の整体協会での指導を担われた裕之氏の動向について、私には、いやが上にもその関心が高まってきているのを覚える。
角南氏のブログに、次のようなくだりがある。
土俵 (2016年10月18日火曜日 角南氏ブログ「sunajiiの公私混同」より)
昨夏、本部で独法がはじまった その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた 突然、ロイ先生が亡くなり、その後を引き受けることになり、 修養講座という制度をつくりだした 修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう 整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、 身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか これはなかなか大変な仕事である 稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、 整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった 最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、 整体を語る上でのキーワードのひとつである どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、 言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう 共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい 一朝一夕でできる仕事ではない
あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう そこが、わが師のとんでもないところである 70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う
あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう そこが、わが師のとんでもないところである 70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う