感覚・知覚
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 1 野口晴哉著作全集 第一巻 初期論集 一 養生篇 全生論(全生について、健康と全生、疾病…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 2 野口晴哉著作全集 第二巻 初期論集 二 療病談義 序 一 療病談義 本能の医術 自我は全一…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 全目次 3 野口晴哉著作全集 第三巻 中期論集 一 整体操法読本 巻一 総論 序 一 整体操法とは何か…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 4 野口晴哉著作全集 第四巻 中期論集 二 巻頭言集(翠ヶ丘時代) 年頭の辞 新年のあいさ…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 5 野口晴哉著作全集 第五巻上 中期論集 三 健康生活の原理 健康生活の原理について(一~…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 6 野口晴哉著作全集 第五巻下 中期論集 四 整体操法 Ⅰ 整体操法 Ⅱ 整体操法 Ⅲ 整体体操 Ⅰ…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 7 野口晴哉著作全集 第六巻 中・後期論集 一 潜在意識教育 叱言以前 人間の探求 活元運動…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 8 野口晴哉著作全集 第七巻 中・後期論集 二 体 癖 序 体癖論 人間に於ける自然というこ…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 9 野口晴哉著作全集 第八巻 後期論集 一 誕生前後の生活 序 育てつつあることの自覚 愉気…
野口晴哉著作全集 総目次(全十巻、十一冊 株式会社 全生社刊) (註:細目内容は、少しずつ書き加えて、このブログ上に更新していきます。) 野口晴哉著作全集 総目次 10 野口晴哉著作全集 第九巻 後期論集 二 病人と看病人 嫁と姑 背く子背かれる親 芸術論…
前回、前々回で「痛み」について野口氏がわれわれに問いかけていることを私なりの言葉で整理し直しててみると、次のように言い換えることが出来ると思う。 つまり、「痛み」そのものに対して、われわれは大きく分けると「苦痛」と「快痛」との二つの異なった…
I先生。「前回は痛みの質の違いや、その利用について説明しましたが、今日は、もう少し踏み込んで、痛みや苦痛が我々にとってどのようなものかを考えていきたいと思います。」 痛みは、一般的に言えば、誰もが嫌がるものです。ところが、実際には痛みや苦痛…
野口晴哉氏や野口整体について書かれた書物や文献はきわめて多い。私も下手の横好きじゃないけれど、野口整体に関連する書籍や、雑誌、あるいはネット情報を手にしたり、読んだりすることをこよなく愛する素人の愛好家であることを自認している。 昔、植草甚…
整体操法の世界がもつ魅力やその難解さは、それぞれに異なる個々人の「感受性」を対象に働きかけるという、これまで、ありそうでいて存在してこなかった方法によっている。 「心それ自体」を対象に言葉を持って働きかけるというのでもなく、「体それ自体」を…
ムチウチ症という病名がつく前から、車の追突事故は沢山あった。それが病名がつくようになったら急にその数が増えてきた。それは冬は寒いという観念現象と同じで、ぶつけられたのだから頸が狂った筈だ。狂ったのだから手が痺れる筈だ。痺れているからムチウ…
I先生「前回は機と度と言う問題についてやりました。押さえる場所は処の問題で、初等の問題であるが、押さえた場合に、それをどの程度耐えるか、保つかということが度の問題で、放す時機を得るというのが機の問題です。今日は、そのことを踏まえながら、整体…
操法において弛めるということの第一は相手の気を抜くということである。相手の心に抵抗を起こさせるのは下手であって、病気は絶対に治せるというと、治せるものなら治してみろ、という心が起こる。そういうのは、相手の無意識の抵抗を呼び起こす。無意識の…
I先生「前回、体を弛める方法一つとして、腹部操法をやりましたが、体を弛める方法は他にもいろいろあります。すでにやってきた肋骨挙上もそうですし、後頭部への愉気を用いることもある。いずれも呼吸の問題を通して、弛めるという練習をしてきました。なぜ…
「月刊全生」1965.10月号の野口氏の「誕生会」での氏の謝辞には、整体操法の思想の根幹がよく表現されている。野口氏は、整体協会を立ち上げたからには、公共の為に心血を注がなければならないのは十分承知の上で、それでもなお自分は眼の前の一人ひとりに向…
1966 3月号 通巻第25号 ・巻頭言「全生の決心 裡に潜む死の要素をも、生の力と化さしむるもの」 ・体癖的表現(要求の方向に感受性も偏る、感受性が偏れば反応も偏る、体癖によって異なる表現様式、体癖と感受性方向の特性、音楽の感じ方、五・六・七・八種…
黎明期の「月刊全生」を読み返すことから始めてみた(本ブログ「月刊全生」目次散歩)。今日届いた最新号の「月刊全生」と比較するのもおかしなこととは思うのだが、まず何よりも初期の雑誌に漲るその熱気、野口氏をはじめとする、文章を持ち寄った人々や編…
「月刊全生」目次散歩 1965 9月号 通巻第19号 ・巻頭言 早期発見 人間は生きている以上いつかは死ぬものである。老いということは体の中に生くる働きより死の要素が多くなって来たことを示すものである。然らば体そのものの中に死に至る変化を現わしていても…
野口整体の知というのは、知の為の知ではなく、人間として生きていくために必要とされる応用的な知である。野口氏が、気とは何かという問いに対して、「それは気としか言いようがないのです」という答え方をしていることにも窺われるように、それがよくわか…
偏り疲労 体を弛めるということ 運動というのは、体が緊(ひきしま)ることと弛むことで、それが繰り返されることで運動になっている。緊張と弛緩。集注と分散。これは人間の体に限ったことでは無く、宇宙のエネルギー全てが、集注と分散の現れであり、その…
養老孟司の近著『遺言。』(新潮新書。2017.11.20発行)を読んだ。養老氏が満80歳になって、ヒトとは何か、生きるとはどういうことかについて、全体的にまとまりがついてきたと思うので本書を書きたくなったのだという。 ここで養老氏が提起しているのは、人…
眠りを深くする 操法によって体を無理に治そうとしても、それで治しきれるものではない。その人の持っている力を発揮して、その人の力で治るようにしなければならない。ではどうしたらよいか。それには相手の眠るということがきちんと行えるようにすることで…
I先生「今日は、前にやった救急操法の中等編です。」 発熱の見分け方 熱が、朝高くて夕方が低いというのは、体のどこかが化膿している状態。朝が低くて夕方高いのはありきたりの熱だが、過労の時や結核の時もそうなる。 隔日で高い低いがあるのは、臓器の化…
からだの発する声に耳を澄ますとか、その微かな声を解読していくという作業が、いかに難しい事か。この講習記録を進めるほどに、その思いは深まっていく。しかし、われわれのからだ、生きて働いている私たちの身体というものの複雑さや精妙さを考えれば、そ…
身体教育研究所のことを初めて知ったのは、月刊全生の記事を読んだ時で、すでに三十年近く前の事である。すでに記したように、私が初めて整体協会主催の講習会に参加したとき、その講師が野口裕之氏であったし、その後の講習会や研究会の指導者も裕之氏であ…