野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

月刊全生

整体操法の基礎を学ぶⅡ(48)体を弛めるということ

「月刊全生」1965.10月号の野口氏の「誕生会」での氏の謝辞には、整体操法の思想の根幹がよく表現されている。野口氏は、整体協会を立ち上げたからには、公共の為に心血を注がなければならないのは十分承知の上で、それでもなお自分は眼の前の一人ひとりに向…

「月刊全生」目次散歩(5)

1966 3月号 通巻第25号 ・巻頭言「全生の決心 裡に潜む死の要素をも、生の力と化さしむるもの」 ・体癖的表現(要求の方向に感受性も偏る、感受性が偏れば反応も偏る、体癖によって異なる表現様式、体癖と感受性方向の特性、音楽の感じ方、五・六・七・八種…

「月刊全生」の目次散歩を始めてみて想う

黎明期の「月刊全生」を読み返すことから始めてみた(本ブログ「月刊全生」目次散歩)。今日届いた最新号の「月刊全生」と比較するのもおかしなこととは思うのだが、まず何よりも初期の雑誌に漲るその熱気、野口氏をはじめとする、文章を持ち寄った人々や編…

「月刊全生」目次散歩(4)

「月刊全生」目次散歩 1965 9月号 通巻第19号 ・巻頭言 早期発見 人間は生きている以上いつかは死ぬものである。老いということは体の中に生くる働きより死の要素が多くなって来たことを示すものである。然らば体そのものの中に死に至る変化を現わしていても…

身体教育研究所について

身体教育研究所のことを初めて知ったのは、月刊全生の記事を読んだ時で、すでに三十年近く前の事である。すでに記したように、私が初めて整体協会主催の講習会に参加したとき、その講師が野口裕之氏であったし、その後の講習会や研究会の指導者も裕之氏であ…

整体操法の基礎を学ぶⅡ(42)技術に於ける度の問題(二)

I先生「前回に引き続き、度の問題を行ないます。特に頸とお腹の関連を実際に自分の指で確かめて、その時の操法の度の適を得るということを、練習を通して身につけて行って下さい。では始めます。」 刺戟感受性 人間には刺戟感受性というのがあります。外側…

「月刊全生」目次散歩(3)

1965 5月号 通巻第15号 ・巻頭言 リハビリテーションの施設の在り方 ・子供と躾けの問題 人間の裡にある自律性(躾けは必要か、自然の規律、水はせきとめられるから溢れる、人間は自然の規律によって守られている、躾けが要るのは子供ではない、人間の本性は…

「月刊全生」目次散歩(2)

「月刊全生」目次 1964 9月号 通巻第6号 ・ヴァイオリン奏法と体癖(野口晴哉) ・松本ドライヴ記 ・紫煙録 ・ある対話 ・大切なものを忘れていた(小川菖蒲) ・一種と九種の無為運動(写真6) ・理由なき反抗 ・七月の体癖修正法講座(臼井) ・全生訓(背…

「月刊全生」目次散歩(1)

「月刊全生」の目次を作成しようと思います。私の手持ちの「月刊全生」のみとなりますので、欠号もかなりあります。 月刊全生 1964 3月号(第1号、「全生新聞」からの通巻第127号) *「月刊全生」は、「全生新聞」が改題されたもの。 <開館記念号> ・新道…

野口晴哉氏とその周辺

野口晴哉氏の著作や口述記録、月刊全生などには、氏が整体操法、整体指導を行ってきた過程で出会った、多くの会員についてのエピソードが記載されている。当然そのうちの圧倒的な多数は市井の人々なのだが、時に著名な人々の名前も散見される。それら著名な…

整体本来の道を

治療から体育へと大きく舵を切った1964年。先に見た「月刊全生」に続く6月号には、「整体本来の道を」と題する野口晴哉氏の文章に、指導者や会員に向けての新生整体協会の決意が示されている。 「・・私にとっては戦前の落合道場の時期が最全盛の時で、治療…

治療からからだ育てへ

野口晴哉氏が長い治療家としての立ち位置を大転換して、からだ育てへと変貌していく時期に書かれたのが、以下に紹介する「40年の治療を捨てて」(「月刊全生」1964年3月号瀬田道場開館記念号)である。全国の多くの指導者の命を削るほどの努力による新道場建…

整体操法の概念

以下では、「月刊全生」(1979.1月から2月)に掲載された野口裕之氏の「整体法について」と「整体法実践の個人指導」から引用して、まず整体操法の概要や整体法における位置づけなどについて学んでおきたい。 「整体法は、次の四者を基幹として構成されてい…

野口整体を学ぶことの愉しさ

野口整体を学ぶことが楽しくて仕方がない。理由はよくわからないが、講習会や研究会、あるいは仲間内の勉強会に参加することがとにかく楽しいのだ。もちろん毎月送られてくる「月刊全生」を寝転がってじっくり読み進めることも同様に楽しい。 何十年も前に知…

気と人間関係

野口整体の根本にあるのは気である。整体操法も野口晴哉氏と被操法者との気を媒介とした、一対一の直接的な人間関係としてとらえることができる。 生きてそこにいる個人と個人の直接的な関係性の場が整体操法の場である。つまりこの対(つい)の関係性は、自…