野口整体を愉しむ

未来を先どりする野口晴哉の思想と技法

整体操法の基礎を学ぶⅡ(51)整体指導とは何か

I先生「前回は機と度と言う問題についてやりました。押さえる場所は処の問題で、初等の問題であるが、押さえた場合に、それをどの程度耐えるか、保つかということが度の問題で、放す時機を得るというのが機の問題です。今日は、そのことを踏まえながら、整体操法、あるいは整体指導とは何かについて、改めて考えてみたい。」

 

整体操法と言うのは、病気を治すことを対象に行うものではなく、あくまでも体の歪み、体の偏り運動を対象として、それを調整することを目的に行うものです。

だから、相手の偏り運動の習性のある処を見つけ出すことから始まります。それを見つけ出すために、まず無意動作の観察や体量配分計による測定などを行なう。

なぜ偏り運動が生じるのか、偏り運動が生じる元になっているのは何か。それを相手の体を観察して見つけ出していき、その元になる処を調整する。

技術が未熟な時は、体中の異常をみつけて、あちこちいじり過ぎてしまう。受ける人も、やる人もそういうものだと考えてしまう。

しかし、いじり過ぎは、今よりもっと悪い結果をもたらしてしまう。

異常になるには異常になる条件がある。しかも人により一様ではない。だからわれわれは、先ず何よりも、何故その人がその状態になったのかを、考えなければならない。同じムチウチでも、外から来たショックだけではない、その人の刺戟を受け入れる内部条件を見出しそれを調整できなくてはならない。

しかも、傷めた頸を直接調整しないで、それを修正出来るようになる必要がある。直接傷んだ処を治すのではなく、そこをいじらないまま、相手の力で自然に治っていくように誘導していくことが、操法としては高級なのだということは、これまで何度も説明してきました。

操法の技術を高めていくということは、そういう誘導が出来るようになるということです。

 

足を骨折した人が来たとして、骨が曲がってしまっているからと、足を引っ張る。でも足を引っ張ったからといって骨が真っ直ぐになるわけではない。しかし、相手にとってみると、骨折した場所の近辺を操法されると、治るような気がしてくる。異常があるところを押したり、引っ張ったりするのは、実は相手に対する潜在意識教育としてやるのです。そこを治そうとしてやっているのではない。

相手の気力といったものを、治るという方向に固定して、ずーっとその方向に、治るという一点に集注させるためにそうするのです。

だから相手にそのことを伝える必要はない。少しも相手に用心させないでいる。相手に、悪くなっているかもしれないという空想を抱いていても、それを否定しない。しかし、相手が悪いという空想を持ったままで、「必ず良くなる」という考えを潜在意識に教育していく。その教育の一環として、傷んだ処やその周辺を押さえたり引っ張ったりするのです。相手の中に、その固定化した方向を、その気力を少しも揺るがないように保っていくように誘導するということが、整体の技術なのです。

そこが、愉気法と違うところなのです。それを誤解しないように。整体指導というのは相手の体の全体の動きを見て、その体の閊えている元になっているところを対象にして調整するのが目標です。

 

無意運動の偏り習性を見つけると言いましたが、これはなかなか難しい事ではあります。体量配分計もそれを見つけ出すための一つの方法として考案されたものですが、計測する人が整体指導の意味をよく分かっていない為に、何を計測しているのか分からなくなってしまうということも生じてくる。

さらに、それ以上に難しいのは、相手の潜在意識の状態を観察するということです。相手の潜在意識を観察し、教育する。そしてそのことによって相手の体の働きの全力を発揮させる、非常力を呼び起こすよう誘導していく。

 

相手はいろんな病名を訴えます。しかしわれわれは、そういう医学的疾患のことを一旦ご破算にして、相手の体のどこに偏り疲労が生じているか、それがどのように体の各部に影響を及ぼしているかを観察して、そこから一人ひとりの操法を考え、調整していくのです。相手の体から操法を作り出していく。胃潰瘍だからといって、胸椎の何番を操法すればいいなどというのは、相手の体から出発していない、形式的・一般的なものでしかない。相手は一般的な体などではないのです。いろんな理由で胃潰瘍になっているのであって、一般的な操法で良くなるわけがない。

 

痒い処を掻いてやったり、硬結を押さえたりというのは技術のうちに入らない。われわれが操法して治ったと認めるのは、その後の十年間の経過を見て、前よりさらに丈夫になった場合です。

 

何度も繰り返しますが、われわれは指圧やマッサージの練習をしているのではないのです。指の当て方、押さえ方ばかりに関心を持っていてはいけない。相手の人間全体、体全体を丁寧に観察し理解するということがなかったら、一人ひとりにふさわしい操法を設計することが出来ないということを、忘れないでください。

今日の講義は、これで終わります。