前回、前々回で「痛み」について野口氏がわれわれに問いかけていることを私なりの言葉で整理し直しててみると、次のように言い換えることが出来ると思う。 つまり、「痛み」そのものに対して、われわれは大きく分けると「苦痛」と「快痛」との二つの異なった…
I先生。「前回は痛みの質の違いや、その利用について説明しましたが、今日は、もう少し踏み込んで、痛みや苦痛が我々にとってどのようなものかを考えていきたいと思います。」 痛みは、一般的に言えば、誰もが嫌がるものです。ところが、実際には痛みや苦痛…
野口晴哉氏や野口整体について書かれた書物や文献はきわめて多い。私も下手の横好きじゃないけれど、野口整体に関連する書籍や、雑誌、あるいはネット情報を手にしたり、読んだりすることをこよなく愛する素人の愛好家であることを自認している。 昔、植草甚…
整体操法の世界がもつ魅力やその難解さは、それぞれに異なる個々人の「感受性」を対象に働きかけるという、これまで、ありそうでいて存在してこなかった方法によっている。 「心それ自体」を対象に言葉を持って働きかけるというのでもなく、「体それ自体」を…
ムチウチ症という病名がつく前から、車の追突事故は沢山あった。それが病名がつくようになったら急にその数が増えてきた。それは冬は寒いという観念現象と同じで、ぶつけられたのだから頸が狂った筈だ。狂ったのだから手が痺れる筈だ。痺れているからムチウ…
I先生「前回は機と度と言う問題についてやりました。押さえる場所は処の問題で、初等の問題であるが、押さえた場合に、それをどの程度耐えるか、保つかということが度の問題で、放す時機を得るというのが機の問題です。今日は、そのことを踏まえながら、整体…
操法において弛めるということの第一は相手の気を抜くということである。相手の心に抵抗を起こさせるのは下手であって、病気は絶対に治せるというと、治せるものなら治してみろ、という心が起こる。そういうのは、相手の無意識の抵抗を呼び起こす。無意識の…
I先生「前回、体を弛める方法一つとして、腹部操法をやりましたが、体を弛める方法は他にもいろいろあります。すでにやってきた肋骨挙上もそうですし、後頭部への愉気を用いることもある。いずれも呼吸の問題を通して、弛めるという練習をしてきました。なぜ…
「月刊全生」1965.10月号の野口氏の「誕生会」での氏の謝辞には、整体操法の思想の根幹がよく表現されている。野口氏は、整体協会を立ち上げたからには、公共の為に心血を注がなければならないのは十分承知の上で、それでもなお自分は眼の前の一人ひとりに向…
1966 3月号 通巻第25号 ・巻頭言「全生の決心 裡に潜む死の要素をも、生の力と化さしむるもの」 ・体癖的表現(要求の方向に感受性も偏る、感受性が偏れば反応も偏る、体癖によって異なる表現様式、体癖と感受性方向の特性、音楽の感じ方、五・六・七・八種…
黎明期の「月刊全生」を読み返すことから始めてみた(本ブログ「月刊全生」目次散歩)。今日届いた最新号の「月刊全生」と比較するのもおかしなこととは思うのだが、まず何よりも初期の雑誌に漲るその熱気、野口氏をはじめとする、文章を持ち寄った人々や編…
「月刊全生」目次散歩 1965 9月号 通巻第19号 ・巻頭言 早期発見 人間は生きている以上いつかは死ぬものである。老いということは体の中に生くる働きより死の要素が多くなって来たことを示すものである。然らば体そのものの中に死に至る変化を現わしていても…
野口整体の知というのは、知の為の知ではなく、人間として生きていくために必要とされる応用的な知である。野口氏が、気とは何かという問いに対して、「それは気としか言いようがないのです」という答え方をしていることにも窺われるように、それがよくわか…
偏り疲労 体を弛めるということ 運動というのは、体が緊(ひきしま)ることと弛むことで、それが繰り返されることで運動になっている。緊張と弛緩。集注と分散。これは人間の体に限ったことでは無く、宇宙のエネルギー全てが、集注と分散の現れであり、その…
養老孟司の近著『遺言。』(新潮新書。2017.11.20発行)を読んだ。養老氏が満80歳になって、ヒトとは何か、生きるとはどういうことかについて、全体的にまとまりがついてきたと思うので本書を書きたくなったのだという。 ここで養老氏が提起しているのは、人…
眠りを深くする 操法によって体を無理に治そうとしても、それで治しきれるものではない。その人の持っている力を発揮して、その人の力で治るようにしなければならない。ではどうしたらよいか。それには相手の眠るということがきちんと行えるようにすることで…
I先生「今日は、前にやった救急操法の中等編です。」 発熱の見分け方 熱が、朝高くて夕方が低いというのは、体のどこかが化膿している状態。朝が低くて夕方高いのはありきたりの熱だが、過労の時や結核の時もそうなる。 隔日で高い低いがあるのは、臓器の化…
からだの発する声に耳を澄ますとか、その微かな声を解読していくという作業が、いかに難しい事か。この講習記録を進めるほどに、その思いは深まっていく。しかし、われわれのからだ、生きて働いている私たちの身体というものの複雑さや精妙さを考えれば、そ…
身体教育研究所のことを初めて知ったのは、月刊全生の記事を読んだ時で、すでに三十年近く前の事である。すでに記したように、私が初めて整体協会主催の講習会に参加したとき、その講師が野口裕之氏であったし、その後の講習会や研究会の指導者も裕之氏であ…
I先生「前回に引き続き、度の問題を行ないます。特に頸とお腹の関連を実際に自分の指で確かめて、その時の操法の度の適を得るということを、練習を通して身につけて行って下さい。では始めます。」 刺戟感受性 人間には刺戟感受性というのがあります。外側…
1965 5月号 通巻第15号 ・巻頭言 リハビリテーションの施設の在り方 ・子供と躾けの問題 人間の裡にある自律性(躾けは必要か、自然の規律、水はせきとめられるから溢れる、人間は自然の規律によって守られている、躾けが要るのは子供ではない、人間の本性は…
「月刊全生」目次 1964 9月号 通巻第6号 ・ヴァイオリン奏法と体癖(野口晴哉) ・松本ドライヴ記 ・紫煙録 ・ある対話 ・大切なものを忘れていた(小川菖蒲) ・一種と九種の無為運動(写真6) ・理由なき反抗 ・七月の体癖修正法講座(臼井) ・全生訓(背…
「月刊全生」の目次を作成しようと思います。私の手持ちの「月刊全生」のみとなりますので、欠号もかなりあります。 月刊全生 1964 3月号(第1号、「全生新聞」からの通巻第127号) *「月刊全生」は、「全生新聞」が改題されたもの。 <開館記念号> ・新道…
以下は、I先生から戴いた資料の転載です。I先生は、我々受講者のために、その都度こうした資料を作成して講義に臨まれました。従って、野口氏の口述記録をもとに資料を作成したとはいえ、I先生ご自身の受講体験や、操法の個人指導を通じて得た経験も踏まえ、…
野口晴哉氏の著作や口述記録、月刊全生などには、氏が整体操法、整体指導を行ってきた過程で出会った、多くの会員についてのエピソードが記載されている。当然そのうちの圧倒的な多数は市井の人々なのだが、時に著名な人々の名前も散見される。それら著名な…
整体操法の思想や技術を少しずつ順を追って学んでいく。そうすることで初めて見えてくる世界というものがある。朧気ながら感じられてくるにすぎないが、なぜ私が野口整体にこれほど惹きつけられるかという理由もきっとその感じの中にあるはずだ。そして野口…
今日の講義は、新シリーズに入って第二回目の記録です。講義はかなり以前のことでもあり、いまでもはっきりと思い出すことができるものと、まるで忘れてしまっていて改めて新鮮に感じるものとが混じり合っています。ただ、昔の私も今の私も、唯一変わらない…
前回の講習から二か月、I先生のご好意で、新しいシリーズを学ばせて戴けることになりました。このブログでは便宜上タイトル(「整体操法の基礎を学ぶ」)を変更しないままで、標題に「Ⅱ」を付け加えさせていただき、さらに通番を括弧書きしておきました。 I…
ポール・マッカートニーのナゴヤドームライブの余韻に浸ってパソコンに向かっている。今回(11.8)は妻と二人での参戦となったが、数年前の東京ドームでのポールのライブが娘と息子の家族四人でのビートルズ体験だったこともあり、少し趣が異なっていた。娘…
I先生「前回は脊椎の矯正方法の一つとして足の操法をやりました。今日は、足を使った背骨の矯正についてやってみます。」 足のいろいろな角度で、足を利用して椎骨を矯正していく。そのためには、足が正常な状態でないとうまくいかない。たとえば、股関節が…