整体操法
「整体とは何か」、「整体操法とは何か」という問いに対して、野口晴哉氏は一般の人向けの回答と、整体指導者向けの回答の二つを示してくれています。臨機説法ではないですが、これらの問いに野口氏がいかに真摯に、かつ率直に、何ごとも包み隠すことなく、…
この講義記録をブログに書き込んでいる私の心に、いつも去来しているのは、ある種の戸惑いです。野口整体の言葉が、現代を生きている私に何をもたらしてくれるものなのか。野口氏の言葉を、自分の人生のどこに位置付けていけばよいのか。上手く位置づけられ…
I先生、「整体操法講座第五回目の今日は、<眼>の問題について説明したいと思います。」 眼の問題、そのなかでも眼のまわりの筋肉の関係。これは頸椎二番が最初に関係してくる。眼のまわりの筋肉や粘膜の故障。トラホームとかはやり目とかは眼縁の病気です…
われわれは、体のちょっとした変化にも不安を抱いてしまう弱い存在です。あの親鸞でさえ、弟子の唯円に、自分はちょっとした体の異常に接しただけで、すぐにでも死んでしまうのではないかと不安になってしまう、というようなことを『歎異抄』の中で語ってい…
I先生「前回は頭部調律点の復習をしましたが、今日は背骨の触り方についての復習を行ってみたいと思います。」 頭部をやる場合に、「叩く」、「押さえる」、「愉気する」の三通りの方法がありました。場所は、大部分が頭の骨と骨の縫合部というつなぎ目にあ…
I先生の講座を通して、間接的にではあっても、野口氏の息遣いや、その情熱の形に触れることで、整体操法の凄さといものが、より鮮やかに私たちに伝わってくる、そんな想いを抱きながら、このブログを書き進めています。 最近では、多くの人達によるさまざま…
I先生。「中等講座につづく講座を始めます。この整体操法講座は、これまでやってきた基本形を体全体、運動系全体の関連の中で、より具体的に展開できるようにする目的で行います。個々人のさまざまな運動の特徴にそって、いかにして整体指導を行っていくかに…
I先生。「今日は体癖とその矯正法を概観しておこうと思います。」 12種類の体型の特徴 第一種 上下型 1.頭の系統で、一応頭で考えないと身体の働きにならない。頭が身体を支配する。 2.力が前にかかる傾向。下を向くと後ろにかかる。 3.D5から上が弛まない…
I先生、「これまでの講座で皆さんに覚えてほしかったのは、体のなかにある力、これを一応「勢い」と呼んでおきますが、この「勢い」の使い方とその処理ということが、中等講習での重要な課題としてずっと流れていたものなんです。そこで今日は、まず「勢い」…
I先生「整体操法を行うとは、どういう視点に立ってするのか。その為には、操法しようとする自分の考え方、操法する目的、操法する為に必要な立処というものを確立しておく必要があります。そういうものがしっかりしていないと、結局のところ、不安から余分な…
明けましておめでとうございます。風もなく澄んだ夜空に星々が煌めいています。2019年が、平穏な日々の繰り返しでありますよう、心からお祈りいたします。遠くの真宗のお寺からは参拝者が順々に突く除夜の鐘の音が響いてきます。 私も体を清め、といってもお…
I先生「今日は四十肩や五十肩について、その治し方の練習を中心に説明してみたいと思います。」 副腎に何か異常を起こすと、胸椎の七番、八番の可動性が鈍くなってくる。その後、五年ぐらいして四十肩、五十肩というのをやる。そして頸椎の五番、六番、七番…
I先生。「今日は、下肢の操法について掘り下げてみましょう。」 坐骨操法にしても、アキレス腱部を押さえるにしても、それは足の裏が最後の負担のかかるところだからである。 坐骨系統が硬くなってくると、足の裏が熱くなり火照ってくる。その多くは腎臓関係…
忘れてしまうといけないので、このブログにメモしておこうと思う。先ほど(12月27日 pm.10)NHKEテレの番組、「欲望の哲学史~マルクス・ガブリエル、日本で語る~」(31日の午前0時45分にも再放送される。)を視ていたら、最後の方でラカンの鏡像段階の話が…
I先生「ムチウチ症で、頸椎六番、七番をこわすと、手の指が痺れるという人がいる。しかし、手が痺れるのは必ずしも頸がこわれたことが原因でないこともある。肘が狂った場合にもそうなるし、手首が狂っただけでもそうなる。あるいは心配事がある時や、エネル…
I先生。「初等では痛みを止める操法を練習しました、中等では痛みが操法として利用できることを前提に、あえて痛みを作り出すという練習をしています。今日は、そのことを通じて、痛みの問題をもう少し展開していきたいと思います。」 操法が痛くないと、ち…
前回、前々回で「痛み」について野口氏がわれわれに問いかけていることを私なりの言葉で整理し直しててみると、次のように言い換えることが出来ると思う。 つまり、「痛み」そのものに対して、われわれは大きく分けると「苦痛」と「快痛」との二つの異なった…
I先生。「前回は痛みの質の違いや、その利用について説明しましたが、今日は、もう少し踏み込んで、痛みや苦痛が我々にとってどのようなものかを考えていきたいと思います。」 痛みは、一般的に言えば、誰もが嫌がるものです。ところが、実際には痛みや苦痛…
野口晴哉氏や野口整体について書かれた書物や文献はきわめて多い。私も下手の横好きじゃないけれど、野口整体に関連する書籍や、雑誌、あるいはネット情報を手にしたり、読んだりすることをこよなく愛する素人の愛好家であることを自認している。 昔、植草甚…
整体操法の世界がもつ魅力やその難解さは、それぞれに異なる個々人の「感受性」を対象に働きかけるという、これまで、ありそうでいて存在してこなかった方法によっている。 「心それ自体」を対象に言葉を持って働きかけるというのでもなく、「体それ自体」を…
ムチウチ症という病名がつく前から、車の追突事故は沢山あった。それが病名がつくようになったら急にその数が増えてきた。それは冬は寒いという観念現象と同じで、ぶつけられたのだから頸が狂った筈だ。狂ったのだから手が痺れる筈だ。痺れているからムチウ…
I先生「前回は機と度と言う問題についてやりました。押さえる場所は処の問題で、初等の問題であるが、押さえた場合に、それをどの程度耐えるか、保つかということが度の問題で、放す時機を得るというのが機の問題です。今日は、そのことを踏まえながら、整体…
操法において弛めるということの第一は相手の気を抜くということである。相手の心に抵抗を起こさせるのは下手であって、病気は絶対に治せるというと、治せるものなら治してみろ、という心が起こる。そういうのは、相手の無意識の抵抗を呼び起こす。無意識の…
I先生「前回、体を弛める方法一つとして、腹部操法をやりましたが、体を弛める方法は他にもいろいろあります。すでにやってきた肋骨挙上もそうですし、後頭部への愉気を用いることもある。いずれも呼吸の問題を通して、弛めるという練習をしてきました。なぜ…
「月刊全生」1965.10月号の野口氏の「誕生会」での氏の謝辞には、整体操法の思想の根幹がよく表現されている。野口氏は、整体協会を立ち上げたからには、公共の為に心血を注がなければならないのは十分承知の上で、それでもなお自分は眼の前の一人ひとりに向…
野口整体の知というのは、知の為の知ではなく、人間として生きていくために必要とされる応用的な知である。野口氏が、気とは何かという問いに対して、「それは気としか言いようがないのです」という答え方をしていることにも窺われるように、それがよくわか…
偏り疲労 体を弛めるということ 運動というのは、体が緊(ひきしま)ることと弛むことで、それが繰り返されることで運動になっている。緊張と弛緩。集注と分散。これは人間の体に限ったことでは無く、宇宙のエネルギー全てが、集注と分散の現れであり、その…
眠りを深くする 操法によって体を無理に治そうとしても、それで治しきれるものではない。その人の持っている力を発揮して、その人の力で治るようにしなければならない。ではどうしたらよいか。それには相手の眠るということがきちんと行えるようにすることで…
I先生「今日は、前にやった救急操法の中等編です。」 発熱の見分け方 熱が、朝高くて夕方が低いというのは、体のどこかが化膿している状態。朝が低くて夕方高いのはありきたりの熱だが、過労の時や結核の時もそうなる。 隔日で高い低いがあるのは、臓器の化…
からだの発する声に耳を澄ますとか、その微かな声を解読していくという作業が、いかに難しい事か。この講習記録を進めるほどに、その思いは深まっていく。しかし、われわれのからだ、生きて働いている私たちの身体というものの複雑さや精妙さを考えれば、そ…